西山よしおからのメッセージ

愛知県津島市、市議会議員としてこの地域の将来を考え、皆さんの意見を取り入れ、還元できる方法を提言できる場にいたします。 

9月定例会、一般質問:「医療事故」に関して

2009-09-03 10:46:46 | Weblog
医療事故に関して
去る8月26日の中日新聞報道に依りますと「津島市民病院で頚椎症の手術ミスで両手足が麻痺するなど後遺症となった患者に、損害賠償」という記事が載っておりました。既に本会議に上程されております議案57号において病院事務局長より、議案大綱説明を受け、議案質疑において***より為されておりますので、この件に関しては「ここに至った患者さまに、重ねてお詫びいたしますと共にこの場をお借りしまして再発防止に取り組んでいただくことを病院関係者にお願いいたす」ところであります。

新聞報道では、いたずらに読む人の不安や不信を煽ることにもつながりかねず、
医療現場の実態や過誤の起きる背景を把握しないことには、いつまでたっても医療不信はなくならず、未然に防ぐ医療ミスの解決策を見いだせないのではないだろうか、かように思う次第であります。要するに事故の本質を見ず、その場を取り繕う行政処分で医療過誤・事故が無くなるわけがなく、過去相次ぐ医療ミスが表面化しているわけであります。
ちなみに、「医療過誤(医療ミス)は医療従事者に過失がある場合のみを指し、医療事故とは医療の全過程において発生するすべての事故」を言います。

インフォームドコンセント
医療はいつでもある頻度のリスクを伴い、医療現場で最も大事なことは患者と医師との信頼関係であります。
インフォームドコンセントと云うと医療の専門用語でありまして、なじみが薄いと思いますが、分かりやすく言えば「納得診療・説明と同意」と解釈され、先ず、患者中心の医療、患者自ら主体的に選びとる最も根本的な概念であり、診療においては、「患者の納得」が大切であると書かれております。
医療訴訟を予防するために「説明義務」(インフォームドコンセント)が義務付けられましたが、これは本来患者と医師との信頼関係を築くためのものでありますが、今やすべての周りの家族との契約を行うことで、患者側も権利として受け止めている状況ではないかと思うわけであります。そしてここで1番問題になることは、患者と医師の間の知識の格差であり、この格差を埋める患者と家族の十分な「理解」と「納得」が重要であるとも、患者側がいつでも取り消しが出来るとも伝えております。
このように患者の選択権・自由意思を最大限尊重すると云う理念に基づいているのですが、このインフォームドコンセントの存在価値とその有効性をどう解釈して見えるのか、こう云うと難しく聞こえますので、普通の売買契約とはどこが違うのか、お聞かせください。


医療事故予防
今後、どのようにすれば医療事故を防ぐことができるか。
例えば、「患者が病院の廊下を歩行中に転倒しけがをした。」「車いすの患者が、壁にぶつかり、手でかばおうとして他の患者にけがを負わせた。」このような場合でも、患者が医療者の指示が出ておらない限り、当人の自己責任とされることであっても、病院内では医療者が患者の安全を確保しなければならないと云うことであります。
当然、安全管理体制の整備、医療安全管理部門の配置が問われますが、市民病院内においては、どういった対策が取られておりますか、お聞かせください。
「医療事故は人災であり、減らすことも、防ぐことも可能で、また、そうしなければならないという認識」が出発点であり、「ヒヤリ・ハット」の事例報告とまとめを学習効果としてその原因を論じあい、いかにすべきか対策を明らかにすべきと考えますが、市民病院内ではこういった院内報告制度が確立されておりますか。
医療事故を防ぎ、医師の社会的信頼を取り戻すのは、被害者家族と医療機関、それと社会との連携で原因究明や再発防止を進めるのが真の事故防止につながると思いますが当局の考えをお聞かせください。

赤字公立病院の医療は医療従事者の基本的な数、マンパワーで成り立ち、義務感と医療人としての誇りから、このスタッフの犠牲のもとに成り立っているともいえます。
医療過誤か、許容範囲の合併症なのか、判断は難しいケースもありますが、医療現場で働く、特に医学生はこれには敏感で、外科は労働もきつく、処遇も悪く、すぐに訴訟を起こされる危険な職業として、産科と並んで敬遠されると聞きました。
このことで、医師の診療意欲の欠如、不誠実な対応等に至っては、医療における社会の倫理性からも問われるわけであります。医療過誤訴訟をおこす多くの理由は、「経済的な補償」ではなく、元の元気な体を取り戻し、「過誤を認めさせたい」「納得できる説明がほしい」からであります。
今後とも、より安全な医療システムを構築し、患者が被害に遭わないように正確な治療が行われることを望むものであります。