さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

2006春-8

2009年12月20日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


この数日あと、すぐにかの君から、
3月の京都行のスケジュールをもらったが、
歌舞伎座の三月興行は、仁左衛門の「道明寺」
大好きなキース!
ローリングストーンズのア・ビガー・バン・ツアー来日公演
三の丸尚蔵館、若冲の「動植綵絵」公開開始
その他いくつかの演劇や花見と
スケジュール表がすでにいっぱいだった私は
3月に東京を離れることができなかった。
そして、4月はかの君が東京を空けることができず
「京都検定1級攻略!寺社めぐりプロジェクト」は、
立ち上がりからすぐに頓挫した。

「せっかくスケジュールを頂いたのに、
なかなか、プロジェクトに参加できなくて、本当にごめんなさい。
今年から来年にかけては、待ちに待った「若冲YEAR」で、
歌舞伎座の方も、13世片岡仁左衛門13回忌追善狂言があって…」、
と送った私のメールに

「仕方がありませんね。若冲と仁左衛門丈には勝てませんから…
とりあえず、一度今後のプロジェクトの計画をたて直しましょう。」
とメールが返って来た。

三の丸尚蔵館若冲第一期が公開されたので、4月に入ってから
私はかの君を案内しながら、近くのホテルでランチをした。

「私は、5月の中旬と下旬に京都行きの予定がありますが、
あなたのご都合はいかがですか?」
かの君はスケジュールが沢山書き込まれたシステム手帳を開いて、
カレンダーの13~14日と27~28日をペンで指した。

「どちらも前日の金曜日に仕事が入っていますので、
土日なら、終日ご一緒に京都をまわれるでしょう。」

「月に何度も京都へご出張なんですか?」

「ええ、この月は、頻繁に行くことになるかもしれません。
基本的にはコンクリートの建築設計なのですが、
和室とか茶室とかをオーダーされると
建材とか、表具とか…やはり京都が一番なのでね。」

「あぁ…テキストの中に出ていましたね!京指物・京表具って。
伝統工芸も沢山あって未だに覚えられないですが…
むき出しのコンクリートの壁面は、それ自体に表情があって
茶室とかにしたら、きっと素敵でしょうねぇ。」

「和と洋をうまく調和させる事や
構造上の断熱などの問題もあり難しいですが、面白いですよ。
みなさんがご存知のような茶室そのものを写すのではなく、
イメージの中で、「わび」などが表現できれば成功なんです。
利休も織部も光悦もとても前衛的な部分があるでしょ!
コンクリートの打ち放しに、
漆の板一枚を床の代わりにしたり…
でもこういうのをオーダーしてくれるような
遊び心を持ったお客さんは、少ないですけどね。

ああ、すみません。つい仕事の話になっちゃって…。
今日は重要なプロジェクト会議でした。
それで、京都の方はいつにしましょうか?」

仕事の話をしている時のかの君は、
自信に満ち溢れているようでとても輝いていた。

私は、どちらの日程も大丈夫のように思ったが、
13~14日は葵祭の直前でもあるし、
ホテルの予約が難しいような気がしたので、
下旬の方が好ましいとかの君に伝え、

「一応、家のものと相談して、帰ってからお返事いたしますね。」と答えた。

そしてもっとかの君の仕事の話を聞いていたかったが、
食事が終ると、私たちは、持参した京都の地図や本を参考に
プロジェクト第1弾となるコースをあれこれと相談した。

計画が概ね決まると、二人は、ホテルを出て三の丸尚蔵館で若冲を観て、
そのあと皇居東御苑内を散策した。
初夏の花であるはずのトキワマンサクやキレンゲツツジなどがもう咲いてた。

かの君は暑そうにジャケットを脱いで、肩からぶらさげて
私の少し前を歩いた。

再会前、かの君に抱いていたのは、行きずりの人への単純な憧れだった。
今、それが少しずつ変化をしはじめ、二人の京都での道行に
小さな不安が芽生えていることを感じながらも、
私は、それ以上の大きな期待で胸をふくらませていた。

かの君は大きく手を広げて深呼吸してからつぶやいた。

「春もそろそろ終わりだなぁ…」


このあとは京都検定ノススメ-2-に続く

2006春-7

2009年12月19日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


国立劇場の2月文楽公演もあの「曽根崎心中」で、
吉田玉男の徳兵衛、吉田蓑助のお初、そして浄瑠璃は、
竹本綱太夫・ 鶴澤清二郎
竹本津駒大夫・鶴澤寛治という超豪華顔合わせの公演だった。
しかし、お体の具合がよくないらしいと聞いてはいたが、
吉田玉男さんの休演は、とてもさびしくて残念で、
1日も早いご快復を祈るばかりだった。

切なく美しい天神森の段
私はいつもこらえきれずに泣いてしまう。
愛する二人が死に行く風情は、どんな名優が演じても、
この文楽人形のかもし出す哀感には及ばない。

人形は、あの姿がすでに出来上がっているのではない。
役を割り当てられた首(かしらと言い文楽人形の顔の部分)は、
髪を結いあげられ、主遣い(首と右手の動作を担当)によって
思いを込めて丁寧に衣裳を着せられ、魂を吹き込まれる。
「主遣い」「左り」「足遣い」と人形は三人で扱われるが、
「足遣い」だけで十年、それから「左り」にまわって
「主遣い」に進めるのには二十年以上もかかる。
世界各地にさまざまな人形芝居があるが、文楽人形ほど
精緻で優美に完成されたものは他に類をみないであろう。

国立劇場のある半蔵門から、神楽坂に近い飯田橋は
地下鉄で15分もかからない。
風情ある街並みにひっそりとあるその小さな店は、
特別吟味したスープで仕立てるおでんが絶品と友人から聞かされていた。
初めてだったので、とりあえずおまかせのコースを頼んだが、
何と言ってもおでんの味が素晴らしかった。
私たちは、カウンターの中央に座り、
二人の合格を祝ってまずビールで乾杯をした。

「これからが大変ですね。
どうやって勉強したらいいのかと途方にくれてます。」
かの君のグラスにビールを注ぎながら私が言うと

「そうだなぁ…過去問といっても今年1年しかないわけだしね。
聞いた話では、問題のレベルは記述式なだけに、
2級よりは基本的にやさしい問題らしいので
やはり公式テキストをしっかり勉強するのが
ポイントじゃあないかと思うなぁ…。
あとは、実際に寺社を見て歩くことでしょう。」
美味しそうにビールを飲み干しながらかの君は答えた。

「テキストの中で拝観したことのある寺社に印をしてみたんですが、
なんと拝観したことのない所ばっかりでした。」

「私も、仕事でちょくちょく京都に行っている割には、
テキスト中の寺社は、知らないところが多いんですよ。
どうですか?今年は二人で、その未拝観寺社を巡ることにしては。」

「二人で? 本当にご一緒していただけるんですかぁ?
こんなおばさんとでもいいのですか?」

「私だっておじいさんですよ!
お互いに年のことは言いっこなし!
気持はただいま青春真っ只中!」とかの君はグラスを干した。

「私、テキストに書いてある、禅宗様とか和様とかの建築様式の違いが
よくわからなくて、伊藤さんのようなプロの方の
ご指導を頂きながらまわれたら、とっても嬉しいのですが…
それに、一人では行かれないような遠方のお寺さんとかもあるし…」、

おでんがあまりにも美味しくて、ビールから切り替えた冷酒も
口当たりが良く、私もだいぶいい気分になっていた。

「じゃぁ決まったぁ!
ガイド兼ボディーガードのギャラは高いですよ~!って冗談ですが…
私が京都へ行くスケジュールをなるべく早めにお知らせします。
それであなたが都合のつく時に来ていただいて、
一緒に京都をまわりましょうよ。
一人で勉強しているよりもモチベーションも上がりそうだし、
こりゃぁ~今年の勉強はとっても楽しくなりそうだなぁ~!
では、今後の二人の寺社めぐりプロジェクトに乾~杯!」

こうして、バレンタインデーの宴は、かの君と私の、
「京都検定1級攻略!寺社めぐりプロジェクト」を立ち上げる結果となった。

「足手まといでなければ、どうぞよろしくお願いいたします。
それと…あの~これ…今日、バレンタインデーだそうで、
お恥ずかしいのですが…お饅頭好きとうかがったもので…」
私は、老舗の菓子匠の包みをかの君に手渡した。

「バレンタインデーなんてここ十数年ご無沙汰だったなぁ~。
義理でも頂けるなんて嬉しいです。」
かの君は、早速その場で、菓子の包みを開け出した。
「わぁ~!ピンクのハート型の饅頭なんて、生まれて初めて見ましたよ。
最近は和菓子のバレンタインもあるんだなぁ~。」

思いがけなく本当に喜こぶかの君に、私は
今まで知らなかった少年のような一面を発見した。


2006春-6

2009年12月18日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


2月の初旬、ついに結果が届いた。
おそるおそる、商工会議所の封筒を開けてみると、
「合格おめでとうございます。」の文字が目に入った。
あなたの点数は・・・75点、
危うくセーフと言ったところだ。
全然解らないところは、一か八かに賭け
適当にマークしたのが、結構当たっていたようだった。
(当たったなんて、ロト6じゃないのになぁ…)

案の定、明治の問題は2点しか取れていなかった。
平均点が3.3点なので、平均以下のレベル。
でもまぁ、一応合格は合格だし、
これでかの君と一緒に1級を目指せる立場になったことが一番嬉しかった。

その晩、かの君からメールが入った。

「大たこの君☆
結果届いていますよね。
私の言ったとおり、
『合格おめでとうございます。』だったでしょ!
おかげさまで、私も86点で合格しておりました。
早速、祝杯をあげませんか?
私は、今月は火曜日の夜なら都合がいいのですが、あなたのご都合は?
何か食事でリクエストありますか?
出来るだけ早い方がいいなぁ~。ご連絡をお待ちしています。」

「メールありがとうございました。
あらためて、2級合格おめでとうございます。凄いですね86点なんて!
おかげさまで、私もなんとか合格ラインに滑り込むことができました。
75点でした。択一なので、当てずっぽうのまぐれ当たりが功を奏しました。
幸運にもどうにかこうにか、ここまではなんとか来られましたが、
記述式の1級を考えると、私などは気の遠くなる思いがします。
まぐれ当たり戦法はもう役に立たないようなので、
今後とも益々ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

祝杯の件ですが、今回は私にご馳走させてもらえないでしょうか?
神楽坂で美味しいおでんを食べさせてくれるお店があるので
一度行ってみたいんです。
予約をいれますので、火曜日の御都合のいい日を教えていただけますか?」

かの君からの返信では、2月14日・21日のどちらかとのことだった。
私は、21日の夜には、「北越誌」という演劇の予定があるので、
昼に文楽を観る14日の夕方に会う約束をしたが、後で娘に指摘されるまで、
その日がちょうどバレンタインデーであることなどはすっかり忘れていた。


2006春-5

2009年12月17日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


翌日私は、阪急電車で河原町に出て、両足院を拝観した。
前建仁寺住持の龍山徳見が創建の搭頭、本尊は阿弥陀如来。
方丈は嘉永年間のもので、300坪の庭園は、枯山水の方丈前庭と
池泉廻遊式の書院前庭からなる。
池の北側にある茶室水月亭は織田有楽斎の茶室「如庵」の写しで、
露地・林泉は薮内家五代竹心紹智作と伝え、
伝如拙筆「三教図」や長谷川等伯筆の「松に童子図」などを所蔵している。

若冲筆「雪梅雄鶏図」がさりげなく床に掛けられていた。
美術館のようにガラス越しではない若冲を拝見したのはここが初めてだった。
若冲の雪の作品のなかでは、とても穏やか。
一面に雪が積もった静寂な朝
コッコと一羽の雄鶏が何かを啄む一瞬をとらえたのか?
雪と鶏冠と椿のような花の色が印象的な作品だった。

寒い時期なので、拝観者もほとんどいなくて、
息がかかってしまうのではと心配なくらい
間近でゆっくりと鑑賞することが出来た。
きっと相当長居をして眺めていたようで、
両足院に関しては、若冲の軸しか記憶に残っていない。

建仁寺も拝観して、そのあと祇園にある店で
とても可愛らしい豆寿司の昼食を取り、
家族にはデパ地下で鯖寿司と大好きな柚子の香のするいなり寿司を買って、
京都駅に行くために地下鉄に乗った。

京都の王道といえばバスであろう。
しかし、邪道といわれるが、私は、京都市営地下鉄のヘビーユーザーである。
どこに行くのも、まず行けるところまで地下鉄を利用する。
かの君とのきっかけも地下鉄の駅だったし、走れば走るほど赤字と聞くと、
納税者ではないので、いささか申し訳ない気持になるが、
私にとっては「市営地下鉄さまさま♪」なのである。

京都駅に着いて、のぞみの時間にはまだ少し余裕があるので、
試験に出るまで知らなかった京都駅ビルの大階段下の室町小路広場で、
平安京建都1200年記念
七代目清水九兵衛作「朱甲舞」の巨大な舞人を観たりして時間をつぶした。

「のぞみ242号」は定刻に京都駅を出発した。
駅を出てトンネルを抜けたころ、携帯にメールが入った。
かの君であった。

「大たこの君へ☆
若冲は堪能されましたか?
この度は、突然なお誘いにもかかわらず、
大阪まで御足労いただき、お疲れ様でした。
おかげさまで、私も大変楽しい時を過ごすことができました。
今後とも、『京都検定チャレンジャー』同志として、
末永くお付合い願えれば幸いです。
もうすぐ、結果がくるころですね。
お話から推察すると、あなたもきっと合格していますよ。
これからは、1級目指して、お互いに頑張りましょう。」

私は、この東山トンネルに、特別の思い入れがある。
行きは、トンネルに入ると「さぁ京都だぁ♪」とワクワクするし、
帰りはトンネルまで、車窓を流れる京都の街を見つめながら
「また来られますように!」と願いをこめて別れを告げる。
昨日、そんな話をしたもので、
きっとかの君は、時間を計ってメールをいれてきたのであろう。

「走る浴衣の君」も決して雅ではないが、この時から
私は「大たこ」に格下げとなった。

2006春-4

2009年12月16日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


私は、夜風にあたりながら少し歩きたかったが、
かの君は、「ホテルまでお送りします」
と言って通りに出てタクシーを拾った。

「ずいぶんとお引き留めをしましたが、大丈夫でしたか?」

「はい!大丈夫です。すご~く美味しいお料理でしたね。
それにロケーションもなんとも言えなく素敵で、
素晴らしい夜を過ごさせていただきました。」

「お気に召していただけたようで、私もほっとしました!
何しろお好みもわからなかったし…
ところで明日の予定は決まっているのですか?」

「はい、大好きな伊藤さんに会いに行こうかと思っているんですが…」

「えぇ~っ?」

「あぁ…ごめんなさい。若冲です!伊藤若冲。
建仁寺両足院の特別公開を拝見したいなと思っています。」

「焦ったなぁ~ とんだ勘違いを! 悪い人だ。
あなたにとっての、最愛の伊藤さんとは、若冲のことでしたね。
いいなぁ~。私も京都にはいるのですが、
仕事があるのでご一緒できなくて残念です。
明日は、何時ごろの新幹線でお帰りですか?」

「2時頃ののぞみをとってありますが、伊藤さんは夜までお仕事ですか?」

「おそらく夕方まで。クライアントの予定次第で、予定は未定ですが…。
帰りののぞみは何号ですか?」

「たしか242号です。」
私はバッグの中から乗車券を取り出して確認した。

ホテルに着くとかの君は、タクシーにこのまま待ってもらうように頼み、
私をロビーまで送ってくれた。

「明日は、京都を楽しんでくださいね。私も東京へ帰ったらメールします。」

「今日は、本当にありがとうございました。お芝居も楽しませていただき、
その上あんなに美味しいお食事まで御馳走いただいて…
とっても幸福な1日でした。」

「それにもう一つ、大たこもとてもお気にいられたようでしたね。」

「あぁ~あの時は、はしたなくてごめんなさい。
でも路上の大たこ体験とても楽しかったです。」
エレベーターの横で、また楽しい会話が続いてしまいそうだった。

「お車待たせてあるの、大丈夫ですか?
お時間がよろしければ、ラウンジでコーヒーでもいかがですか?」

「そうでした。車を待たせていたんだ。
楽しくて、なかなかお別れができなくて…
お疲れでしょうにごめんなさい。
これから京都に帰りますので今日はこれで。ではおやすみなさい。」

車寄せに向かって去っていくかの君の背中は
学生時代剣道を嗜んだというだけに、真っすぐで若々しかった。

部屋に戻ってから、家に電話を入れた。

「あぁ… おかん。どうだった?お食事会楽しかった?」と娘の声。

「曽根崎心中のあのお初天神近くのお店に連れていってもらったんだけど、
とにかくすご~く美味しいお店で、
その路地裏がまたなんとも言えなく素敵だったの。」

「ふふ~ん。路地裏とは、そのおじさまはなかなか、
おかんの好みを押さえてますねぇ~。
おかんは、ずっとテンション上がりぱなしだったようで、
声が華やいで楽しそうだね。
父には、よろしく伝えておくから、まぁ楽しんできてください。」
主人も在宅していたのに、電話を代わらなかったのは、娘の配慮のようだった。
たしかに、自分の知らない男性と食事をして、
浮き立つ妻の話を聞いても面白くも何ともないだろう。

2006春-3

2009年12月15日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


夕暮れの道頓堀から、私たちは、タクシーで曽根崎に向かった。

「曽根崎心中」ゆかりの地、通称、お初天神とよばれている露天神社。
祭神は少彦名大神と菅原道真。
菅丞相が大宰府に向かう途中、ここで涙を流したとか?
「露と散る涙に袖は朽ちにけり、都のことを思い出ずれば」
露天神とは、この和歌にちなむのらしい。
元禄時代に本当にあった心中事件。
お初と徳兵衛が死に場所に選んだ曽根崎の森は、
今は、ビルに囲まれ、派手な看板やネオンの森となっている。
日も暮れた境内には、散歩中の老人と私たち二人だけだった。

「あなたからの初メールに『曽根崎心中』が素敵だったとあったでしょう。
『二人は恋の手本となった。』とはまた風情のある表現ですねぇ…
仕事関係でこのあたりはよく来ていたのに、今までまったく知らなかったんです。
いただいた顔見世のパンフレットに出ていたのを見て
私もとても興味を覚え、そこでここにお連れしたかったんです。」

「有難うございます。
前からとっても来てみたかった所だったので本当に感激です!」

「曽根崎心中」とは近松門左衛門作の人形浄瑠璃。
初演は元禄16年、大阪竹本座
竹本座は当時沢山の負債を抱えていたが、
この大当たりで負債が完済できたそうだ。
しかし、なぜかそれ以後の上演は途絶え、近松生誕300年にあたり、
それを昭和28年、新橋演舞場で歌舞伎として復活し、
二世鴈治郎の徳兵衛、二代目扇雀(現坂田藤十郎)のお初で初演された。
このときは、私も1歳の赤ん坊なので、さすがに観てはいないが、
今も語り草となっている。
心中ものでは普通、男が女の手を取って花道を引っ込むのが、
初日の緊張からか、お初が徳兵衛の手を引っ張って花道を引っ込んでしまった。
しかしこれが大当たりして、以来、この演出が定着した。

「この方が、最愛の人と一緒に死ねるお初の嬉しさがよくわかりますね」
私は興奮しながら、こんな経緯をかの君に話した。

このお初を当り役にしている
三代目鴈治郎(現坂田藤十郎)奉納の手水舎やお初・徳兵衛の像もあった。
私は、ちょっとためらう気持ちがよぎったが、
恋の手本のゆかりの本殿に二人揃って手を合わせた。

(二人一緒にお参りなんかしていいのかなぁ…
私は家内安全をお願いしたが、かの君は何をお願いしたのだろう?)

仕事がらか、かの君はしばらく境内のあちこちを見てから、
お初天神近くにある何とも言えない、いい風情の路地裏に私を案内した。

「わぁ~!素敵ですねぇ…」
迷路のような細い路地裏は、何十年も昔にタイムスリップしたかのような
飲み屋街になっていて、その中の一軒が今夜の食事の店だった。

「こんばんは また寄せてもらいました。」

「あぁ~伊藤さま、御待ちしていましたよ。どうぞこちらへ」
ベージュ系の紬に真白な割烹着をかけたおかみさんが
私たちを穏やかな笑顔で迎えてくれた。

カウンターに8人も座ったら満員というそこは
おかみさんと二人のお嬢さんと、三人で営んでいる家庭料理の店だった。
私たちは、一番の奥のカウンターに座り、その日のお勧めをつぎつぎに味わった。
素材重視、採算度外視、料理好きの母娘が趣味でやっているのでは?
そんな風に思えるほど、料理はどれも美味で温もりがあった。
お嬢さん工夫の水菜のサラダも美味しかったが、
目の前でおかみさんが作ってくれた、もはや家庭料理の域を脱している
卵焼きとこだわりの鮭カマの塩焼きがとびきり美味しかった。

お店は、老舗料亭とも係わりがあるようで、
かの君は、以前にも何度かこの店を訪れているらしい。
おかみさんも歌舞伎好きだったので、芝居の話にも花が咲き、
至福の時間が流れていった。
お腹も満腹になり、気がつくと時計は9時をまわっていた。

「また、大阪滞在の折には、必ずお邪魔させていただきますね。」
私たちはおかみさんやお嬢さんたちに御礼を言って店を出た。



2006春-2

2009年12月14日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


仁左衛門・玉三郎のご両人が大阪松竹座の
正月興行に顔をあわせるのはおよそ8年ぶりになる。
花道から二人が出てくると、あまりの美しさにジワがおこった。

芝居が始まる前までは、かの君との再会を思い、そのことで胸がいっぱいだったが、
いざ始まってみると、仁左衛門演ずる、
「十六夜清心」の極楽寺所化清心にうっとり♪ 鬼薊の清吉にもゾクゾク♪
正も悪もどちらのタイプもとても魅力的なので、
(誘われたらどっちにもついていっちゃうだろうな♪)
なんて、私はすっかり芝居の中に入り込んでいた。

昼の部がはね、劇場の外に出てみると、
夜の部の観客に飲み込まれそうになりながら、
松竹座の前でかの君が約束通り待っていてくれた。

「お疲れさまでした。芝居楽しんでいただけましたか?」

「溜息が出るほど仁左衛門さんが素敵でしたぁ。」

「それはそれは良かった!」

「あっ 私としたことが…まだご挨拶もしないうちに…
今日は本当に有難うございました。
お迎えまでして頂いて申し訳ございません。
あぁ…それに新年のご挨拶もまだでした…」

かの君は大きな声で笑い、
「そんなに杓子定規に考えないでください!
あなたが楽しんで頂けたようなので、それで私もとても満足です。
よろしければ、少し歩きましょうか?」

まだ陽もあり、食事までの時間もあったので、
私たちは松竹座界隈を少し歩くことにした。
前の通りをしばらく行くと、「日本一の大たこ」にずいぶんな行列ができていた。

「美味しいんでしょうね!あんなに並んでいるなんて。」
ちょうど小腹も空いていたので、私が思わずつぶやくと、

「食べてみましょうか?」とかの君が言った。

「えっ…ううん…あぁ~はい…」

「ちょっとここで待っていてください。買ってきますから。」

「あの… 私も一緒に並んでいいですか…」

「その格好で? 面白い人だなぁ!じゃあ二人で並んじゃいますかぁ!」

なんだか高校性のころに戻ったような、ウキウキする気分だった。
二人で10分ぐらい並んだであろうか、いよいよ私たちの番が来て、
湯気でかつおぶしがゆらゆらゆれている大たこを5個だけ折にいれてもらい、
パチンコ屋さんの前にあるベンチに座って、
私とかの君はふぅふぅしながらそれを頬張った。

「美味し~い♪」

「歯にのり付いてますよ!」

「本当?」私が慌てると、

「嘘ですよ!しかし…今日も着物姿なのに…
あの時のように大胆ですね。着物をソースで汚さないように。」
とかの君は、私を眺めながら、残りの大たこをたいらげた。

その日、私は、小付の藤色の付下げを着ていた。
旅先ではあったが、歌舞伎の初春公演ということもあり、
まがりなりにも晴れ着のいでたちだ。
コートこそ着ていたが、この恰好で、ましてや路上で
おばさんがたこやき頬張るのは絵にならないし、むしろ奇異!

言われて初めてそれに気がつくと、「いつもはしたなくてすみません…」
と言おうとしたが、アツアツの大たこが一瞬喉につまりそうになって
私はただ、モゴモゴするだけだった。

「大丈夫ですかぁ?でもそういう気取らないとこが、あなたの魅力ですよ。」
とかの君に笑われて、

(再会早々なのに、またやっちゃった…)
と私は真冬の路上にもかかわらず、すっかり冷や汗をかいてしまった。


2006春-1

2009年12月13日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


「あけましておめでとうございます。
ご家族の皆さまと良き新年をお迎えのことと存じます。
昨年の『浴衣の君』との再会に感謝と、
今年の1級合格を祈念して先ほど、近所の神社に初詣にいってきました。
ところで、1月20日の大阪にはお出かけできそうですか?
ちょっと提案があります。もし観劇にお出で頂けるようでしたら、
大阪でのお食事はいかがでしょうか?
顔見世でご覧になられた『曽根崎心中』ゆかりの地に
ご案内しようかと思っております。ですから、
宿泊先は大阪のホテルをご予約いただいた方がよろしいのですが…
(ちなみに小生は前日から京都泊です。)
終演までには、松竹座にお迎えにまいります。
いろいろと一人勝手に決めておりますが、ご都合もあるでしょうから
御家族とも御相談の上、当日の朝までに携帯の方にご連絡いただければ幸いです。」

元旦の夜、パソコンを開けてみると、かの君からメールが入っていた。
確かに芝居は魅力的ではあったが、それよりもまずかの君に会いたかった。
心の中では、秘かに大阪行きを決めてはいても、
主婦としては、やはり躊躇してしまう。

「父どう思うかしら?」とまず、娘に聞いてみた。

「お食事でしょ。別にいいんじゃない。父にそのまま話してみたら?」

「気分悪くしないかしら?」

「もしかして父がやきもち焼くってこと?それはないでしょ!大丈夫じゃない?
亭主が心配するほど、女房はもてず!
まして、父は微塵も心配しないと思うけど…」
と娘は私ちらっと見てからあっけらかんと笑って言った。

そんな娘の言葉に少々むかつきながらも、
私はかの君からの観劇と食事の誘いについて主人に話してみた。

「せっかくだから行ってくれば?
それにとうに、行こうと決めてるでしょ!」

(やっぱりバレたか!)

「お芝居だけ観せていただいて、日帰りしようと思ったんだけど、
チケット頂いたので、私がお食事でも…」

いつになく弁解がましく言ってはみたが、
やはり主人は、すでに私が行くことを決めているのをお見通しだし
娘の推察通り全然心配もしていなかった。

晴れてご主人さまのお許しが出たので、
私はいそいそと新梅田シティ内にあるホテルを予約した。
それからは、箪笥の中からあれこれ出して
何を着て行こうかと迷う毎日。

「素肌に片袖 通しただけで 色とりどりに脱ぎ散らかして~♪
 床に広がる絹の海~♪」
昔、みなみこうせつが唄った「夢一夜」の
阿木燿子作の詞が頭をかすめた。
「着てゆく服が まだ決まらない
いらだたしさに 唇かんで私ほんのり 涙ぐむ♪」

コーディネイトが決まらぬ焦りと逢える日を待つときめきが混じり合い、
この詞のようにせつなささえも湧いてくるのはいったい何なのだろうか?

2005-13

2009年12月12日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~

明日はクリスマスイヴという日に
家のポストに私宛の郵便物が入っていた。
開けてみるとかの君からのクリスマスカードだった。
お年のわりには、可愛らしすぎるクマさんのクリスマスカードで
お孫さんにでもわけてもらったのであろうか?
実は、私はテディベア好きで、
それを知っている友人たちはいつもクマのカードを送ってくれる。
もちろんかの君がそれを知る由もないが、そんな偶然も嬉しかった。

「クリスマスおめでとう!
この年になって、クリスマスプレゼントをもらえるなんて、
思いもかけないことだったので大変嬉しかったです。
歌舞伎入門の本も襲名披露のプログラムも有難うございます。
坂田藤十郎の特集もあって、とても勉強になりました。
お心遣いに心より御礼申し上げます。
ところで、大阪松竹座のチケットを1枚ですが同封いたしました。
もしご都合がつかれましたら、ご観劇くださいませ。
仕事の関係先から貰ったものですから、
行かれない場合でもご心配なさらずに。
私はその日、京都で仕事が入っていて観ることができません。
ただ、夜はあいておりますので、観劇後に大阪とか、京都とかで
ご一緒にお食事などできたらなぁと自分勝手な事を考えております。
もちろん、ご家庭の主婦ですから決してご無理はなさらないように。
また来年にパソコンの方へメールしますね。
どうぞ、ご家族の皆さまと素敵なクリスマスをお過ごしください!
そして良いお年をお迎えくださいね。」

私にとっては、あまりにも刺激的すぎる
クリスマスプレゼントが届いてしまった!

チケットは大阪松竹座「寿 初春大歌舞伎」1月20日の昼の部
仁左衛門と玉三郎の「十六夜清心」他。
気になっていた公演であったが、大阪であることと
超豪華顔合わせということもあり完売必至とあきらめていたものだった。

(どど・どうしましょう…
大好きな仁左衛門さんと玉三郎さん…
そして、あのかの君と京都でのお食事…)

誰が聴いているのだろうか?
ナット・キング・コールの歌う
「The Christmas Song」が流れてきた。
定番だが穏やかなこの曲が大好き!

私は、くりかえし、くりかえし
何度もかの君からのクリスマスカードを読みながら
また、あの暑い夏の日を思い浮かべた。

京都検定を受験したことに始まった、53歳のメタボなおばさんに
突然訪れたこの奇跡の出会いは、さらなる魅惑の展開を予感させた。
そして私は夢心地で、熱に浮かされたまま、
2005年の師走はあっという間に暮れていった。

2005-12

2009年12月11日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


「お帰りなさい♪」昨日とは違うまた素敵なドアマンが、
タクシーのドアをガードしながら迎えてくれた。

フロントでキーをもらって部屋に戻った。
こんなに早く、かの君から返信がくるとは思っていなかったので
嬉しいけれど、心の準備ができていなかったというのが本音だった。
いきなり年明けにお食事をというのには、
想像するだけでくらくら~っとした。

娘からもメールが届いているようだったが、
キーを置くと着替えもせぬまま、
ソファーに座りこみ、まずかの君にメールを送った。

「早速のご返信ありがとうございました。
ちょうど帰りの車の中でしたので返信が遅くなってごめんなさい。
夢のような再会に、今私は本当に舞い上がってしまっております。
年明けのお食事会は楽しみですが、
こんなおばさんとでご迷惑ではありませんか?
年初もお仕事の方がお忙しいのでは? 
携帯でメールを打つのが不慣れなので、東京に帰って、
パソコンから、あらためてメールさせていただきます。
お誘い本当に嬉しく有難うございました。
それでは、おやすみなさい。」

そして、翌日私も東京に戻った。
東京駅についてすぐ、丸の内のビル内にある書店で
初心者向けの歌舞伎入門の本を買った。
お財布を拾っていただいたお礼もしていなかったし、
昨日のお茶代も気になっていたので
南座で2冊もとめた番付の1冊と
歌舞伎の本を御礼がわりに送ろうと思ったからだ。
11月から、京都検定のことばかりが頭にあったので、すっかり忘れていたが、
丸の内のきらめくショーウィンドウは
クリスマスが近いことを思い出させた。

(そうだ! 御礼状の代わりにクリスマスカードを送ろう。)
カード売り場には、カラフルな可愛いカードが沢山並んでいたが、
私は、その中の一番シンプルなものをかの君のために選んだ。



2005-11

2009年12月10日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


この世の名残、夜も名残
死に往く身をたとふれば、あだしが原の道の霜
一足ずつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め
寂滅為楽と響くなり

近松門左衛門作「曽根崎心中」の新藤十郎さんが演ずる
死を覚悟したお初は、晴々として幸せそうで、
70歳を超えておられるとは思えないほど、
益々可愛らしく、本当に素晴らしかった。

昼夜通しの観劇で、そろそろ疲れが出てきたので、
「本朝二十四孝」まで観て南座を出た。
劇場内が暑かったのだろうか、
外気がひんやりとしてとても心地良かった。
ふと空を見上げると雲間から半月がのぞいていた。
恋の手本となった「お初徳兵衛」の純愛に刺激されたのか、
まだ開演中の静かな南座の前で、観劇の余韻に浸りながら
私は教えてもらったかの君の携帯にメールを送った。

「めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに 
くもがくれにし よはのつきかな

今朝ほどは、思いがけなくお目にかかれて本当に嬉しく思いました。
もう少しだけ、ご一緒にお話をしていたかったです。
カフェではお茶も御馳走になってしまい、大変恐縮いたしております。
今、南座の前でメールしています。
『曽根崎心中』が本当に素敵でした。
また、どこかでお目にかかれる日がくることを楽しみに待っております。
では、おやすみなさい。」

携帯を持ったばかりで、片手でメールを打てない私は、
人さし指でピコピコと送信までずいぶんと時間がかかったのを覚えている。
それから、ホテルに戻るため、タクシーに乗って間もなく、
携帯の着信ありのランプが点滅した。

「こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに 
やくやもしおの みもこがれつつ

あれからすぐに、メール頂けると思っておりましたのに、
なかなかメールをくださらないので
今日はほとんど仕事が手につきませんでした。
すぐにも、東京でお目にかかりたいのですが、
年末、主婦はいろいろとお忙しいでしょうから
年明けに食事などしませんか?
また、この携帯にご連絡を入れてもよろしいでしょうか?」

「お客さん、玄関の方につけまひょかぁ~?」
「あ・あぁ~すみません。お願いします。」
舞い上がってメールを読んでいたら、もうホテルの前に着いていた。



2005-10

2009年12月09日 | 京都検定ノススメ -1-


~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


テーブルの上に残された名刺には
「伊藤建築設計事務所 伊藤景和」とあった。

「わぁ…なんか若冲さんみたいな名前だぁ! 
ひょっとして建築デザイナーかなぁ?」
しばらく名刺とにらめっこしていると、
今朝の奇跡の出来事がスライドショーのように頭の中を流れた。

今日は、南座の顔見世を昼夜観劇する予定だったが、
「かの君の衝撃」ですぐに支度をする気にもならず、
部屋にもどってもまた名刺を見つめていた。

いつメールを送ったらいいのだろう?
カフェでのお茶代も先に支払って帰ってしまわれたので、
そのお礼のメールをすぐに入れるべきだろうか?
でも今頃はチェックアウトで忙しいいだろうし…後の方が…
いや、本当にメールをして欲しいなんて思っているだろうか…
うら若き女性ならともかく、こんな年食ったおばさんのメールなど
待っているわけがないじゃないか!
行きがかりの社交辞令みたいなもんだろうか?
でもだったら、名刺なんてくれるだろうか?
まして、携帯の番号やアドレスまでも書いてくれて…

若い頃の私だったら、迷わずすぐに、お礼のメールを入れたであろう。
年を重ねて益々魅力的な「かの君」に対して、
自信のかけらもなく無くなって、優柔不断に思い悩む、
今の自分がとても情けなかった。

ゴトゴトゴト~
マナーモードになっていた携帯がテーブルの上で震えた。

「検定の結果はどうだったの?ちっとも電話がこないものだから…」
声の主は師匠だった。
今朝電話を入れる約束だったのをすっかり忘れていた。

「あぁ…申し訳ございませんでした…。
こちらから、お電話をいれなくてはいけなかったのに。
いろいろご指導いただいたのに全く出来ませんでした。
とくに、最後の明治時代の10問がお手上げでした。」

「だって四択でしょ?そんなに難しいのがでたの?」

「第二代京都市長とか… 官営の製紙工場のあった場所とか…
療病院の移転先とか…????でした。」

「ふ~ん。まぁとにかく結果が出なくては、
落ちたかどうかもわからないから…
あんまり落胆しないようにね」と言って電話は切れた。

時計をみると、もうすぐ11時だった。
朝からの思いがけない展開にずいぶん時間をとってしまった。
私はあわてて化粧を直し、一つ紋の無地の着物に着替えて南座へ急いだ。



2005-9

2009年12月08日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話はばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


私は、体中の血液がまるで逆流するかのようで、
メタボリックシンドロームでくたびれた心臓が
必死に血液を送るために喘いでた。

隣にいたご夫婦連れにも、私たちの奇跡の再会がそれとなくわかったようで、
素知らぬ風を装いながら、懐かしく会話する私たちに、
全神経を集中させているのか、ひたすら無言で食事をしていた。

朝食を済ませた私たちは、そのまま1階のカフェに移った。
『かの君』は愛煙家のようで、私に許可をとってから、
カフェの奥にある窓際の喫煙スペースに席をとった。

その時も、自分が何を話したかは、あまりに興奮していたのでよく覚えていない。
かろうじて記憶にあるのは、今年京都検定2級に初めてチャレンジして、
結果はおそらく不合格だろうと言ったことだけで、
「あなたにめぐり会えるかしら?なんて思って京都検定を受験しました。」
とは、さすがに言えなかった。

小一時間の会話の中で、『かの君』は偶然同じ新町キャンパスで受験していたことや、
私よりちょうど一回り上の65歳だと知った。
グレーのジャケットに淡いピンク色のチェックのシャツがとてもお洒落で、
髪の色によくマッチしている。
うつむき加減にライターで火を点ける仕草も往年のハリウッド男優のよう。
ゆったりと落ち着いた物腰が本当に素敵で、
ロマンスグレーとは、まさにこういう男性のことを言うのだろう。
年をとればとるほど渋く魅力的になっていく『かの君』にひきかえ、
『走る浴衣の君』ときたらこの10年は、更年期障害と中年太りと
シミ・シワに悩まされる日々だ。
きっと『かの君』は「ずいぶんとフケたな!」って思っていることだろう。

『かの君』は去年3級を受験して、今年2級に挑戦。
自己採点では、「たぶん受かった」と言った。
(さすがだ!
私も2級に合格して来年一緒に1級に挑戦したかったなぁ…
こんなことなら、もっと勉強しておくんだったぁ…)
と今さら後悔しても後の祭り。

なんとなくしょんぼりしてしまった私に、
「これからは、二人一緒に1級合格まで頑張りましょうよ!
よろしければ一度東京で会いませんか?」

『かの君』はジャケットの内ポケットから出した名刺の裏に、
重厚感のあるボールペンで
さらさらと携帯の番号とアドレスを書いて、
「ご都合のいい時にでも、ぜひご連絡ください」と言いながら立ち上がった。

「あなたの為にまたまた新幹線に乗り遅れそうなので…
今日はこれで失礼します。」

私も慌てて、「その節は本当に申し訳ありませんでした!」
と立ちあがって低頭したが、
「冗談!冗談!でも仕事もあるので、11時すぎの新幹線で帰ります。
そろそろチェックアウトの時間なんで、これで。」

「私は名刺とか持っていなくて… 連絡先は…」

「あとで、この携帯にメールを入れて下さい。きっと連絡してくださいね!
それから、今日の顔見世も是非楽しんできてください。
後日、勉強のためお話を聞かせてもらいたいです。では。」

ただただおろおろしている私をおいてきぼりに、あの日のように
また軽く手を振り、『かの君』はカフェから出てロビーに消えてしまった。



2005-8

2009年12月07日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


可愛いらしい和服姿の女性が運んできた
京都ならではの朝ごはんに思わず笑みがこぼれた。
京野菜のお浸しや炊きあわせ、焼き物・だし巻きなどが少しずつ
美しい器に盛られたこの和朝食が私のお気に入り!
東山三十六峰を一望できる最上階の洋食の朝ごはんより、
私はいつもこちらを選んでしまう。
そして、好きなだけたっぷりと頂ける、
ここの自家製のおじゃこも楽しみのひとつなのだ。

私も受験しましたと言って、向かいの男性と
京都検定の話をさらに続けたかったが、
食事中にあまり話しかけるのも失礼かと思い、
「いただきます」と手を合わせ食べ始めると、

「ここのおじゃこが、とっても美味しいんですよ。」
とその男性が、卓の真ん中にある蓋物に入ったおじゃこを
小皿に取り分け、私にも勧めてくれた。

そのときだった!

私はその男性の右手親指の下にある大きな傷に目が奪われた。
(この傷は…)
たしかにその傷に見覚えがあった。
おじゃこのお礼も言わずに、呆然とその傷をみつめたままの私に

「この傷が気になりますか?古傷をお見せして失礼致しました。
若いころ、仕事関係の事故で怪我したものでこんな大きな傷痕が残っちゃって…」

という男性の声も遠くの方から聞こえてくるようで、
奇跡というかあまりの偶然に私は眩暈さえ覚えた。

「あ・あの… 突然失礼なことを申し上げますが、
人違いだったらごめんなさい。
もうずいぶんと昔のことですが…
もしや祇園祭の日に地下鉄の駅で
お財布拾っていただいた方ではありませんか?」

あの暑い山鉾巡行の日、
ハンカチで汗を拭きながら私の前にお財布を差し出した
その男性の右手には、大きな傷あとがあったのだ。
あの時は、スーツ姿のビジネススタイルだったが、今日はカジュアル。
メガネのフレームも違うし、髪もすっかりシルバーグレーになっていたので、
初めは全然気がつかなかったが、その傷あとだけは昔のままであった。

あの日、私は恥ずかしさのあまり、男性の顔をしっかりと見ることが
出来なかったし、面かげもすっかり薄らいでしまっていたので
その時にとても気になったこの痛々しい傷あとを見ることがなければ、
この天のいたずらのような再会にも気がつかなかっただろう。

男性も呆然としながら箸を置いて、しげしげと私を見つめて、

「そうだぁ…あぁ…あの時の… 思い出しました!覚えてます!
そういえば『走る浴衣の君』だぁ…
お声がどこかで聞き覚えがあるような気はしていましたが…
全然気がつかなくて… すみません。
今日はお洋服だしそれに少しふっくらされたようで…
あっ失礼!女性にこんな事言っちゃって…
あなたは、この傷を覚えておられたんですね。
こんな古傷が役に立つとは思わなかったです。
いやぁ~!おどろいたなぁ…
こんなことが本当にあるんですねぇ!
それにしても出来すぎたドラマのような再会ですなぁ…」


2005-7

2009年12月06日 | 京都検定ノススメ -1-

~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


その晩は、なかなか寝付けなかった。「合否は関係ない!」
なんて偉そうに語っていたわりには、いざとなると、
やっぱり不出来の結果が悔やまれていたのだと思う。

翌朝、寝不足でぼ~っとしながら、6階にある和食のお店に行った。
月曜日の割には、店内が混んでいて、テーブル席は満席なため
相席になるかもしれないが御座敷の方でも良いならということだったので、
待ことが嫌いな私は、そのようにお願いした。
案内された和室は、十畳ほどで、真中に座卓が2つ並んで置かれ、
私が最初の客であったので、上座の中央に案内されたが、
そこに座るのもおこがましいので、右端に座ることにした。

お願いしたのは和朝食。お粥かごはんかを選ぶことができるので
オーダーをしていると、
「ご相席をお願いいたします」というホテルの方の声ともに、
男性がひとり「おはようございます」と入ってきた。
続いて、御夫婦連れもそのあとに入ってきたので、
その男性は、もう一つの座卓をそのご夫婦に譲って
私の向かい側に座った。

私も「おはようございます。」と挨拶をして、
まだ、食事が運ばれていなかったので、
「どうぞこちらへお座りくださいませ。」
と男性に上座に移ってもらおうと声をかけた。

「あぁ…いや!お気遣いなくそのままで。
今日はずいぶんと混んでいるみたいですね」
豊かな銀髪が美しい60代とみえるその男性は微笑みながらそう言った。

「本当に!混んでいますね。
テーブル席が満席なようで、朝こちらにご案内いただくのは初めてです。
私の方が上座に座わってしまって、申し訳ございません。」と私は答えた。

となりの卓の観光客風のご夫婦連れは、
今日回るコースでも相談されているのだろうか?
ガイド誌を広げて、奥さまが熱心にいろいろ説明されているのに、
御主人が今一つ乗り気でなさそう。
(まるで我が家みたいだぁ!)なんて可笑しく思っていると、

「お一人で観光ですか?」と向かいに座った男性がたずねてきた。

「はぁ…顔見世に…」
京都検定受験のためと言っても、
このころはまだ「京都検定」なるものを知らない人の方が多いので、そう答えた。

「それは、いいですねぇ~。僕はまだ一度も顔見世を観たことが無いんですよ。
たしか今年は、坂田藤十郎の襲名披露公演ですよね!」

「そうなんです。 お詳しいですね。歌舞伎お好きですか?」
と私がたずねると、

「いえいえ全然!むしろ苦手な分野で…
じつは、昨日あった京都検定を受験したもので、
テキストの伝統文化ってやつに歌舞伎の項目があって、
坂田藤十郎も南座顔見世ものってるんです。
今年はその山城屋さんの襲名とかだそうで…
試験に出そうな気がして、チェックしてきただけなんです…
ひょっとして、その山城屋さんの御贔屓ですか?」

いえ御贔屓なんて… ただ歌舞伎が好きなだけで…」と答えたが、
それよりも「わたしも受験しましたぁ!」と言おうとしたところに、
二人の前にお盆にのった和朝食が運ばれてきた。