さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

名残の歌舞伎座 -20-

2010年03月31日 | 名残の歌舞伎座
花道際

花道際の席が取れた時は本当に嬉しい♪
花道を通る俳優の「気」が間近に感じられ、ふわっとした風や
俳優によってはいい香りが漂うこともある。

思い返すと今もいろいろなシーンが蘇ってくる。
直近では、「籠釣瓶」の玉三郎八橋の微笑みに勘三郎次郎左衛門ともども
震えがきたし、「弁天娘」の吉右衛門南郷もメチャメチャ素敵だった。

でも一番鮮烈な思い出として私の中に残っているのは、
平成12年6月大歌舞伎の「源平布引滝ー義賢最期ー 」だ。

長らく上演が途絶えていたのを孝夫時代の仁左衛門丈が復活され、
たちまち当り役とされた義賢。
素襖大紋という正装姿で「戸板倒し」や「仏倒れ」などある凄い舞台。
平家の軍勢に襲われて華々しい戦いをくりひろげるが多勢に無勢、
息も絶え絶えな義賢が花道にきて倒れるところ、
義賢の苦しい息遣いがこちらにまで伝わってくる。

「大好きな仁左衛門義賢が苦しそう!
どどどうしよう…」

思わず席から立ちあがって助け起こしたくなったものだ(笑)

花道には歴史の中でついた傷とともに名優たちの汗もしみ込んでいる。




名残の歌舞伎座 -19-

2010年03月30日 | 名残の歌舞伎座
花道

歌舞伎にとってはなくてはならない花道
狂言によって廊下になったり道になったり川になったりと変幻自在
観客席の中を役者が出入りする日本独自の劇場設備で、
私は世界に誇るものと思っている。

この「花道の創造」について、林屋辰三郎著「歌舞伎以前」に面白い記述があった。
かいつまんで書かせてもらうが、

京都大学図書館蔵の阿国歌舞伎絵詞によると

阿国が「貴賎群衆の折柄なれば、かぶきおどりを始めばやと思ひ候、
まつまつねんぶつおどりを始め申さう」とはじめると

「念仏のこえにひかれつつ…」と観客席の中から名古屋山三の亡霊が登場。

すると阿国が「思ひよらずや、貴賎の中に分きて誰とか知るべき、
いかなる人にてましますぞ、御名を名のりおはしませ」となり、
舞台は阿国と山三の対話の後

「よし何事もうちすてて、ありしむかしの一ふしを
うたひていざやかぶかん…」と阿国・山三他の総踊りとなる。


舞台自体は能舞台を踏襲していても、「貴賎の中に」すなわち
観客の中から現れる構想は、いいかえると観客の貴賎を演劇の仕組みの中に
そのまま取り入れることで、舞台と芝居が一つに融け合うことである。
これは、能の中では決してみることのできない現象である。

これが「花道」の創造に導いたのではないかとあった。


Hot Souffle♪

2010年03月29日 | 今日のおやつ♪
ルノアールを拝見してから、青山墓地の前にある大好きな洋菓子店で休憩。

こちらのお店限定メニューのHot Souffle♪
注文してから焼いてくださるので、20分ぐらい待つことになるが
パティシエさんが工房から熱々焼きたてをテーブルまで運んできてくださるのに
いつも心高鳴り、思わず相好を崩す♪

またまた体重が増加の一途をたどりはじめたが、
展覧会後の後半戦に備えるためにもしっかりとカロリーを摂っておかないとね(笑)



名残の歌舞伎座 -18-

2010年03月29日 | 名残の歌舞伎座
イヤホンガイド

長年歌舞伎座通いをしながら、実を云うとイヤホンガイドを
お借りしたのは数えるほどしかない私。
開幕前のお話などを聴いてみたいとは思うのであるが、
子どもの頃によく中耳炎を繰り返していて、
耳に物が入るのが心地悪いからだ。


でも御名残に小山觀翁さんの「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」の解説を拝聴したいし
4月はぜひお借りしてみようと思う。