黒柴hanaと子どもたち

子どもたちは、巣立ちの準備をはじめてます。これからは、黒柴と人間のおばさんペアのお話になるかも。

明日から、青森へ行ってきます。原子力のゴミ捨て場なんですけど

2011-04-27 21:14:24 | Weblog

私は、18まで青森の黒石市にいて、仙台、熊本、東京、

その後、パパの転勤で青森に。

青森は、原子力船むつ、騒ぎから始まって、六ヶ所村の再処理施設、その上、今、発電所も開発中であるらしい。

 

なんでって、

貧乏だから・・・・。

 

それに、つきます。

だれも、好きこのんで、そんな施設を誘致したくないけれど、

ホントかなあ~って思いながらも、安全だからって言葉と。その背後にある補助金やら、雇用やら、そうでもしなければ、夕張再来になってしまう。

そうして原子力関係施設オンパレードの県が出来上がっていったんだ。

 

バブル以降、どんどん、つぶれていったお店、会社。

古くからある、亀屋がつぶれたときは、驚いた。ちょうど、転勤で青森行ってたころ、

はっきりと、この国の現実を思い知らされた気がする。

子供たちが小さい頃、おばあちゃんちに行ったときに行くお店っていうのが、全部、つぶれてなくなってる。

青森が生き残るためには、国が推進する原子力に協力するしかなかった。

 

そうそう、自民党のころ。

だから、あたしは、民主党もどうしようもないと思うけど、一番悪いのは自民党だと思ってる。

自分たちがやってしまった間違いなんだから、批判する場面じゃないでしょ。そんな状況で相変わらず退陣要求だって。

どんだけ空気読めないんだろう。

幼稚園児だってわかるんじゃないかしら。

青森にいたころ、いずれは首都圏で定住する予定だったんで、おなじく転勤族のお友達と、一戸建てやマンションの展示場めぐりをしてた。

そんな時、青森の駅前すぐに建つ予定のマンションを見に行ったとき、このマンションは六ヶ所の核燃施設の家族がいっぱい契約してるらしいよっって。

やっぱ、家族は、六ヶ所に置きたくないんだねって話をした。

 

青森では、高給なんだ、核燃で働く人って。

っていいながらも、あぶないよねって、どこかで、みんな思ってたんだよね。

だのにローカルTV局では、核燃のCMとか、原子力は安全ってPR番組がいっぱい放送されてた。

 

長いものには、巻かれろって。

 

今、青森の人たちは、

青森だけじゃなくて、全国の原子力発電所を受け入れた自治体の人たちは、

うちじゃなくて、良かった

 

ふ~~~~~~~~って、思ってるんだろうなあ。

 

だけど、青森に、福島規模の地震がきたら、

うちの実家どころか、東京までだって危ないかもしれない。

 

だのに。

まだ、原発でって世論は、

どんななってんだろう、この国の住民は。

 

せめて、この機会に、改めて考えよう

だと思うけどなあ。

 

間違えちゃったのは、しょうがない。

だから、反省して、

どうしたら良いのか、今度こそ、本気で考えようって思うけど。

津波で被災しなかった、私たちは。

 

被災した人たちの苦しみ分、私たちは真剣に考えなきゃ、と思うよ。

 

 

まずは、一週間、青森に行ってきます。

 

パパは、連休ボランティアですって

被災していない西日本でも、東日本をカバーするために頑張ろうって動きがはじまってます。

 


週間金曜日買ってきたど~

2011-04-26 20:35:29 | Weblog

この連休は、原発、放射線を考える時間を持とうと思って、

賛成派、反対派のそれぞれの意見をきかなくちゃね。

ずっと、反対してきた週間金曜日が別冊を出したので買ってきた。

仕事が忙しいので、とりあえず、いろいろ集めるだけ集めて、連休中に読もう。

 

久々に本屋に行って見た。

最近は、ネットで記事をよむ事が多かったけど、基本的に活字が大好きなんだけど、やっぱ、紙ベースの本は、好きだ。

ああやって、並んでいると、わくわくして、今日だけで、5冊は買ってきた。

 

かさばるし、読んじゃったら、たいしておもしろくなくて、捨てちゃうかもしれないけれど、

やっぱり、子供のころから、本屋は大好き。

子育てが一段落したら、ずっと図書館にいたいくらい。本を分類して、並べるのも好きなんだもの。

電子データも、好きなんだけどね。

インデックスなんかは、電子データでデータベース化して、いろんな事から、検索できるように。

老後の趣味は、それにしようかな。

 

まあ、今の状況が落ち着いて、どんな未来が待っているかによるけど。

最近は、セシウムが話題?

甲状腺ガンが、話題になっているらしい。

パパ母が、3年くらい前になって、甲状腺取ったけれど、今も、元気だ。

どこも悪くない、パパ父より、よっぽど元気。

 

早期発見すれば、問題ないんだろうけど、小さい子供が手術だなんだっていうのは、かわいそう。

太郎も、高3で手術して、その後の人生が全く、変わってしまった。

学生時代の病気っていうのは、その後の人生に大きく影響するので、できるだけ、そのリスクは少なくしたほうがいいと思う。

うちの子は、もう大きいけれど、外での生活も多いので、家の中では、ノーヨウ素、ノーセシウムで。

そうして、できるだけ、放射線をさけていきたい。今は、大丈夫だと思っているけど、明日の保障がない福島原発でいる限りはね。

 

 

そういえば今日、チェルノブイリ25年目だったんだ。

何やってたんだろう、そのころ。

電力の仕事してた。原子力システムやってても、まったく他人事にしか思ってなかったんだ。

発電の手段ってだけで、なにか、あったらとか、事故とか、まったく頭になかったから、

だから、チェルノブイリで衝撃を受けなかったんだ。

それに、まだ、原子力は始まったばかりで、水力の発電所も作ってたし、原子力発電がここまで広がるとは思ってなかった。

 

二郎のいうとおり、

ただ、批判するだけじゃなくて、考えようとしていなかった自分、ただ便利を享受していたけの自分を反省しなくちゃ。

って思った、25年目の春でした。

 

 

 

 

 

 


土日は、情報収集と買出し。

2011-04-23 11:01:02 | Weblog

平日はフルタイムで働いているうえに、帰ってから、hanaの散歩にも行かなきゃならないので、

6時過ぎとかにスーパーに行っても、毎日、必要な、水や飲み物は売り切れ。納豆なんか見た事ない。

先週の日曜日に、ペットボトルの2リットルが98円で並んでいるのを見た。

しかも、2本も買えるんだって。

朝、買出しにいけば安くかえるんだなあって思ったけど・・・・・。30円安く買っても、いらないものも買っちゃうからなあ、私の場合。

セブンで大丈夫だわ。

 

外の雨音がとても気になる昨今。

今日の雨は、とても不安定で、時々、晴れたり、強風とともにコロコロ天気が移り変わっている。

どうせなら、激しく降り続いてくれたほうが、気をつけて雨にぬれなかったり、外出を控えたりするのになあ。

ゆりは、自転車で通学したし、太郎は遊びに行ったし。

帰ったら、シャワーだ。

 

別に、怖がっているわけではなく、雨には気をつけるとか、

放射線の情報を、天気と同じ感覚でチェックするってことを日常にしているだけ。

こんな事、もう、いらないよって早くならないかしら。当分無理だろうけど。

 

だけど、庭の草は、ぼうぼう伸びてきたので、来週は草刈しなくちゃ。

今年は、緑のカーテンをやらなきゃだから、土と苗も準備して、すこし頑丈なカーテンにしようかな。

 

 

 

 

 


毎日、小さな余震?

2011-04-22 20:54:14 | Weblog

ぐらっ????

あれ気のせいかなって思うと、後で千葉や茨城で震度3くらいの余震がたくさんあって

夜中の地震にも目が覚めなくなったのだけれど、

時間は、短くなっているのかなあ。

 

はじめのころは、いつまでも続く揺れに、どんどん不安感が強くなっていったものだけれど、

最近は、あれ、きたかなって思うと終わる感じ。

 

だから、前ほど、ネットで確認しなくなったから、そのせいかもしれないし、

少し、安心して、テレビを見なくなったからかも。

 

普段は、そんなにテレビを見ないのに、

最近は、地震や原発情報を知りたくて、ネットを見ながらテレビをつけていたんだから。

節電とは間逆だけど、一応テレビは、LEDです。

 

廊下と階段は、センサー式のLEDのライトにして、玄関とリビングもLEDの電球で数を半分にしました。

センサーライトは電池式で2年間は持つっていうので、停電のときも安心かな。

 

計画停電のとき、一番まいったのは、暗さ、その次が寒さだったから

 

仙台のパパ実家から、電話があった。

おもえば、震災後、初めての電話だった。

ライフラインはもう復活して、もう普通の生活をしているとの事。でも、八木山にある家のベランダからは、太平洋側の被災地がよく見えて、

そのかなたには、福島原発がかすかに見えるそうで、

夏、南風が吹くようになったら、あの放射線が仙台方向にまっすぐ流れてくるのかと思うとゾッとするってパパ父。

 

親戚一同から送られてきた、支援物資が夫婦二人には多すぎるというので、

うちに送ってくれるそうだ、しかも、いつもの手作りケーキも。

余震が多くて、怖いって言っていたけれど、さすがに戦争を乗り越えた世代は強い。

 

二郎は、連日、大学のサークル勧誘コンパへ。

太郎は、バイト。

家には、女3人だけだわ。(内メス1匹)

 

久しぶりに東京電力の社長見たなあ。

体調は大丈夫だったんだ。

この人は、たぶん辞めるんだろうけど。国の原子力担当も辞めなきゃだめだよねえ。

今までの原子力反対派の人たちと同じように、左遷されるとか、もう出世できないとか。

 

でも、誰が、悪いじゃなくて、

だれもが、どうするべきかを、考えて、行動するべきなんだろうけど。

 


レグザにバッテリーが???

2011-04-21 21:30:09 | Weblog

7月発売予定らしい。

寝室の14型のTVを買い換えようと思ってて

すぐにも買おうと思っていたのだけれど、レグザ、バッテリー付きが発売されるらしいので、

ちょっと待ってみようかな。

 

でも、パパが単身赴任から帰ってくると、テレビも帰ってくるから買わなくて良いって事なんだけど、

あっ、でも、CATVだから、

どっちにしろ、停電のときはテレビ見られないんだ、純粋にピークの節電に協力するだけになるのかあ。

 

CATVじゃないおうちの方は、バッテリーつきのテレビをどうぞ。


やっと大学生。また、心配の種が・・・・。

2011-04-19 22:43:58 | Weblog

大学に合格したものの、

ホームページで入学式の中止やら、ガイダンスその他の日程変更やら、

全部ネットでの出来事で、

4月に入っても、宙ぶらりんで主婦していた二郎。

 

お夕飯の頃になると自然と台所に立つ始末で。

週末はロールケーキまで作ってしまいました。

 

やっと、あさってから学校通いが始まる模様。

ちゃんと手続きが出来ているのかしら。心配だけど、まあ、大学側もそんな事は想定内だろうから、

まあ、なんとかなるでしょ。

 

科目登録し損なった人用って日程もあるくらいだから。

 

最初心配なのは、都内への電車通い。

池袋で小学校まで過ごした割には、まったく記憶に残っていないらしく、

大学周辺だって、自転車で遊びにいったものだけど、

すっかり、青森、さいたまの子になっているものだから、あの混雑した電車、大丈夫かしらと思ってしまう。

 

埼京線じゃなくて、京浜東北のほうが、まだ空いてるのかなあ。

でも、京浜東北だと2回乗り換えなきゃいけないから、池袋で一回のほうがいいかなあ。

とか、

まあ、自分で決めるんだろうけど、落ち着くまで、何かと心配な母です。

 

お兄ちゃんのときは、最終電車で乗り越した駅に、車で迎えにいったよなあ。

やっぱ、京浜東北にしたほうが、大宮どまりだから、そっちがいいか。

 

しばらく、心配だあ。

やだなあ。

でも、きっと、二人目だから、お兄ちゃんのときほど、心配しないかなあ。

って、心配してる。

 


GW。帰りは新幹線で帰れそう~

2011-04-19 22:01:03 | Weblog

ゴールデンウィークは、おばあちゃんの一年祭(ほうじ)なので、青森に帰省しなくちゃならない。

5月4日に102歳で大往生したっていうのは、帰省するには都合がよい日で、

ちょうど、弘前公園の桜も満開のころで、最後の最後で、プレゼントをもらった気分です。

 

仕事は、超~忙しい時期で、とってもお休みを取れない時期なのに、

法事じゃ、仕方がありません。

 

法事なのに、1年祭っていうのは、神道では、そう呼ぶそうで、そういえば、おじいちゃんの50年祭も一緒にやるっていってたなあ。

父親がぼけてきたので、意識があるうちにやっちゃうって言ってたなあ。

子供が育ったら、今度は親の面倒っていうけど、

ほ~んと、それが現実になりそう。自分の健康には注意しなくっちゃ。

 

最近は、放射線にも注意しなくちゃだから、大変だわ。

福島原発関連情報は、毎日毎日、後ろ向きな発表ばっかりで、

そんな事、はじめっから、分かってたでしょうがって発表やら、工程表ったって、今まで予定通りに仕事が進んだ事ないんだから

あてにはならないって事は、みんな知ってる。

 

予定の、3倍以上の時間がかかるのが平均だから、3年以上はかかるかなあ。

日本以外の国の力が、作業を進められるかだわ。

 

まったく、事故を想定していなかったんだから。

国内の原発関係者の力なんて、全く、あてにならない。

 

JR東日本を、見習いなさいよ。

って、いうか、帰りの事を思うと、今は死活問題なので、新幹線かんばれ~。


原発が悪いってそればっかりじゃなくて

2011-04-17 13:49:59 | Weblog

確かに、密閉されていなければいけない物質が炉の中にあるってい発電の方式が良いわけはないんだけど、

その時代には、選択肢としてあったんだとしたら、

できるだけリスクを回避するように、みんなの助言をきくなり、会社や国としても努力するなり、

運用の仕方が他にもあっただろうに、

 

出る釘は打てとか

 

長いものには巻かれろとか

 

日本人が、それは仕方ないかなあって、分かっていても知らない振りしていた、国や大きな力をもっていた団体へのあきらめ。

そのことを、今、はっきり否定されたんだと思う。

 

「沈まぬ太陽」が映画化された時、こんなことが公表されるなんて日本も変わるのかなって、ちょっと思った。

それが、大きな何かの力で、もっと進行したような、気がする。

 

今回の震災で、何の罪もない人類だけじゃない、自然も他の命も、いろいろなものを犠牲にして示された過ち???。

 

それを、残された私たちは、正しい方向に直していかなければいけないんだろうな。

 

学校でも、3・11以来、日本は変わったのだから、

あなたたちは、これからの日本を作り上げていかなければならない。って

 

ゆりは、うざ~っ。て言ってるし。

二郎の、たまたま転勤先で被災しちゃった、転校友達は、他のみんなも不幸になればいいんだあって、ぐれちゃってるけれど、

 

わたしのような、親の世代は、そんな子供たちが不安を感じず、

型にはまらず、自分たちで作り上げていける未来を

ワクワク感じていけるような環境を作っていくのが、役割なのかな。

 

原発だって、現場で作業している人たちや、国内外問わず、ありとあらゆる人たちの叡智を結集しているから、今日、こうして普通にしていられるんだろう。

普通に、学校に行って、今、勉強すべき事を勉強し、会社で行われるべき業務をこなす。

それが、今、やるべき事。

 

考えてみると、ニートやら、派遣切りやら、就職難民やら、

そんな事もできないことが、多発していた昨今だったんだなあ。

 

今、この、困難をのりこえれば、そんないろんな事も一緒に、解消できるのかもしれないとか

ただ、ただ、作って消費してっていう形ではない、人の生き方を考え直していく事で、なんて夢見たりするけど。

 

昔から、今のままじゃいけないって言う意見はあったんだよなあ、それが、反体制ってみなされて、打ち消されて。

電気をいっぱい使うから、原発作らなきゃじゃなくて、

今ある電力で、生活していく方法っていうのを、模索していく道に進んでいたらこんなには、ならなかったんだろうな。

 

だけど、今は、今で。

三陸の海は、今日も瓦礫の山で、

今日は、体に感じる余震はないけど、当分は、地震酔いと放射線チェックの日々。

 

そんな中でも、今まで、のほほんとしていた日本人から、いろんな知恵が出てきたり

考えられない速度で復興していく施設や、企業には、頭が下がる思いだ。

私も、頑張らないと、思わされる。

 

今の、希望は、JR東日本。

連休中に、新幹線を全線復旧させてね。新幹線の名前、はやぶさにしたんだから。

奇跡はおこるし、できるよ、東北の粘り強さで。

それが、東北の観光をよみがえれせ、たくさんのボランティアを運んで、復興を早くさせるよね

週末ボランティアとか。

 

 

 

 


就職人気ランキングなくなると・・・。

2011-04-15 21:55:04 | Weblog

特に、やりたい事もなくて、

とりあえず勉強して、就職に有利そうな学部を受けて、一番良さそうなとこに入学するって子が多いのに。

就職の時だって、人気ランキングの上から狙って、

受験のときの偏差値と同じ感覚で・・・・・だのに、目指すべき就職偏差値がなくなったら、彼らはどう動くんだろう。

 

今年は、今までの流れで人気会社に就職を希望していくのだろうけれど、

今、入学する子供たちは、受験の途中からすでに、波乱ずくめで、

まだ、入学式をしていない子や、一年延期の子、入学を悩んでいる子。

 

そんな彼らが就職するころには、また、就職先を選ぶ彼らは、

どんな就職傾向が、見られるのか。

今までどおりでは、ダメな彼らは、どんな新しい未来を作ってくれるのか、

 

ちょっと楽しみだったりする。


人見知りだからボランティアって思ったのに・・・

2011-04-15 20:23:15 | Weblog

さいたまスーパーアリーナに双葉町の方たちが避難して来た日。

大学が延期になって暇をもてあましていた二郎に、ボランティア行って来いって指令をだしたのだけれど、

 

すでに、満杯。

あちこちで今、そういう状況が発生しているらしくて、

 

そろそろ現場での作業が多くなって来ているらしく、二郎は仙台のおじいちゃん宅から、宮城の被災地には通えるのだけれど、

それと、同じタイミングで大学が始まってしまうわけで。

結局、物資の拠出や義捐金くらいしか、出来なかった我が家です。

 

あと2年後だったら、太郎は理学療法士として避難所でボランティアできたかもしれないし、二郎もゆりも大学生としてお手伝いできたかも

しれませんが、

 

まあ、節電も含めて、何ができるのか模索していきたいと思います。

とりあえず、母は、会社で双葉町の方たちの避難場所に継続的に援助を行っていく方針だというので、その時々でリクエストに

答えていけるように心がけていこうと思ってます。

 

水や紙類、こどもたちのための本や、夏に向けての寝具がほしいという事でした。

 

小学生以上の子供たちは、学校がはじまったのでしょうが、もっと小さい子供たちが、どうすごしているのか。

人口が1万人にも満たない地域に、千人を超える被災者の方たちがいるってどういう状況なのか、どんな事が大変なのか

全く、わからないのですが、直接、現場のニーズをくみ上げて、わたしたちに必要なものを提示してくれるらしいので、

その時々で、協力していきたいと思います。