何を隠そう、僕はフュージョン・サックス奏者だった。といっても高校生の頃。1981年、僕がサックスをやり始めた頃はTVでサダオさんがCMに出てて、TVやラジオからフュージョンが流れてくるのが当たり前だった。それこそが新しい音楽だったし、次はどんなものが出てくるのだろう?ってのが楽しみでもあった。時は流れ、晴れてミユージシャンになったものの、ジャズってのがクラシック化現象を起こし、古いものばかり有り難たがられている様に思え、演奏してても何だか高校生の時の様なトキメキを感じられなくなった。
NEW4TETを演奏し始めた頃、大阪のあるDJからメールが1通送られてきた。年齢は僕の10歳以上も上で、ジャズミュージシャンをクラブ業界へ<降ろして来る>事がしたいのだという。ヨーロッパでその頃流行っていた、所謂「クラブ・ジャズ」を専門にしたレーベルを立ち上げており、第二弾のアーティストを探していたのだという。僕はエレクトリックなもの、特に打ち込みにも興味が有りやってみたいとかねがね思っていたし、これは渡りに船だと思った。実は、そのかなり前からこのアルバム『ビーツン・カラーズ』の名義であるUniversal Noizzというバンド名のフュージョン・バンドを六本木ピットインやバレンタイン(両店とも現在は閉店)、高円寺ジロキチ等で僕は稼動させていた。キーボードが主体の、まぁ、簡単に言えば大好きなウェザー・リポートの様な感じの展開が目まぐるしい音楽をやっていた。そのDJに言われて、色々流行りのクラブ・ジャズを聴いてみたんだけど、たまにいいなと思うものは有るけれど、どれも音楽的には恐ろしく稚拙で同じ事を延々と繰り返してたりしてるだけ・・。じゃぁ、自分の音楽でもっとこのジャンルに彩を加える事をやってみようじゃないの!こうして、このプロジェクトは始まった。
今までのアルバム制作の裏話を読んでこられた方はお分かりだと思うが、僕には強いコダワリが有る。特にサウンド面に関しては他人に全て任してまうのは恐ろしく不安である。しかしながら、早速打ち込み作業に入ったものの、サンプルを大阪に送ってはダメだしの嵐。(笑) 仕方が無い。いくらコダワリが有っても、こう言う事は初めてのチャレンジだし、大体、機材の使い方もまだよく分かっていない。この頃は本当に、CDやラジオを聞いては「このスネアの音はどうやって作っているんだろう?」とか「エフェクトにはあれとあれを使えば・・」など機材の事で頭が一杯でジャズの方には正直頭が全く行ってなかった。クラブ・ギグと言うのもこの頃に何度かやったけれど、爆音の中でDJの回す皿に合わせて演奏するってのは、ハッキリ言って「カラオケ・コンテスト」でもやってる様だった。せめてスクラッチとバトルが出来たら、ブランフォードがかつてやっていた「バック・ショット・ル・ファンク」の様でかなりジャズ的で面白いのに。。一抹の不安を抱きながらもプロジェクトは進行していった。
しかしながら、僕が使っていた打ち込みソフトってのが安物だったせいも有り、サウンド的に先方も中々納得してくれない。仕方なく、色々出費をしてソフトやハードを買い揃えて行き何度もサンプルを送り聴いてもらっても、結局向こうが言うセリフは決まっている。「そちらではリズム・パターンやベース・パターンをデータ化するだけでいいから、サウンド関係はこっちに任せてくれりゃいいんだよ。」 それじゃ、まるでカラオケやケイタイの着メロ作りのバイトと一緒じゃないか。この頃から、どんどん先方とギクシャクしてくる。「じゃ、楽譜送るから、それを一度音楽にしてこちらに送って下さいよ!何がダメなのか具体的な事が全然わかんないもの。」売り言葉に買い言葉の様になってしまったけれど、楽譜・・と言われると彼等(レーベル・スタッフも含め)は黙りこくる。要は「音楽」ではなく「音」なんだなと徐々に分かってきた。そして、その「音」にも流行りがあり、1年も経てば古臭く感じる様な習性を彼等は持っている。強迫観念で新しいものを聴き漁り、そのトレンドに乗り遅れない様に「音」を出す準備をする。これでは肝心の「音楽」がお座成りにならざるをえない。トレンド風の音を出そうと思えば、コード進行だって限定されてくるし、第一クラブ・ジャズにメロディーは殆ど無いも同然。これは果たして音楽なんだろうか??
2年近く作業をこのレーベルのためにやってきたものの、僕のオリジナリティーとサウンドへのコダワリが全く彼等に理解される事が無いと分かり、完全に袂を分かつ事となった。その後、折角作った音源をリリースしてくれるレコード会社を探す事に奔走する事になった。結局、「ビー・ウォーター」をリリースしたホワッツ・ニューの佐藤さんが、たまたまクラブ・ミュージックに興味が有った事から拾って貰い、更に改良してリリースすると言う話になった。この頃に素晴らしい出会いが有った事を忘れてはならない。ジャズ畑で生きてきた僕に親身になってアドバイスをしてくれた、Dreddy D氏。彼は僕の行ってた関西学院大の軽音楽部のOBで大先輩にあたる。昔から芸能界で音楽製作にあたっており、経験も豊富だ。発想も自由だしアドバイスも的確。そして、何よりも嬉しかったのは彼が「ミュージシャン」でもあったことである。そして、もう一人はSONOKAで夜中にジャズ・ミュージシャン達と丁々発止のジャムを堂々とやっていた、スクラッチのDJ Turbo。話を聞くとチャーリー・パーカーを尊敬していると言う。彼のリズム感の良さ、ピッチをコントロールしてスクラッチに音楽をもたらすセンスに惚れ込み、このプロジェクトに誘った事はこのプロジェクトの最も大きな成功だったと思っている。彼等に加え、当時NEW4のメンバーだった池田聡(wb)、フュジョンバンドだったユニバーサル・ノイズのメンバーあびる竜太(kb)と岡田二郎(eb)、そして女性ボーカルのMargoをゲストに迎え、どんどん音楽的にもサウンド的にも進化して行くのだった。
今改めて聴くと、正直、現在持っている機材ならもっと簡単にもっと良いサウンドが作れたのに・・という想いがある。それは実際に、次回作「Eternity」の中で使われているので、こうして言える事なのだけれど。しかし、聴けば一音一音に苦労した思い出が詰まっていて、何とも可愛いアルバムなのである。ジャケット・デザインは『ビー・ウォーター』と同じSucoomb氏。クラブ系のレーベルで実際にジャケット・デザインを担当する彼は「ビー・ウォーター」においても、ジャズの固定観念を打破した画期的なデザインをしてくれた。今作品でも、巨大なビルを横にして水をぶっ掛けた、何とも不思議なデザインが初めてメールで届いた時はビックリした。こういう「新しいアイディアを出し合う」という作業が僕は大好きだ。しかも音楽とデザインという別のジャンルでコラボレーション出来た事が嬉しい。
CDの売り上げに関して言うと、ハッキリ言って芳しくない。まず、Universal Noizz名義にした事によって、僕の名前では中々ネットでもヒットしない。結局、謎のプロジェクトとなってしまった事。そして、流通がクラブ業界と全く無縁だった事も原因の一つだと考えられる。最初のDJ氏の言う通りにしていれば、もしかしたら何かハプニングが起こっていたかも知れない。しかし、そうだとしても、それは僕の「音楽」では無い事は確かだ。このアルバムはジャズを基本としているし、クラブ・ミュージックから聞こえてくる「リズム」を多く取り入れている。クラブ系独特の無機質なものにはしたくなかった。故に「リズム(ビート)とハーモニー(色あい)」という音楽の3大要素のうち2つがタイトルに込められている。もう一つの「メロディー」はお聞きになれば必ず確認出来る筈である。書かなくとも、それが僕の命なのだから。
NEW4TETを演奏し始めた頃、大阪のあるDJからメールが1通送られてきた。年齢は僕の10歳以上も上で、ジャズミュージシャンをクラブ業界へ<降ろして来る>事がしたいのだという。ヨーロッパでその頃流行っていた、所謂「クラブ・ジャズ」を専門にしたレーベルを立ち上げており、第二弾のアーティストを探していたのだという。僕はエレクトリックなもの、特に打ち込みにも興味が有りやってみたいとかねがね思っていたし、これは渡りに船だと思った。実は、そのかなり前からこのアルバム『ビーツン・カラーズ』の名義であるUniversal Noizzというバンド名のフュージョン・バンドを六本木ピットインやバレンタイン(両店とも現在は閉店)、高円寺ジロキチ等で僕は稼動させていた。キーボードが主体の、まぁ、簡単に言えば大好きなウェザー・リポートの様な感じの展開が目まぐるしい音楽をやっていた。そのDJに言われて、色々流行りのクラブ・ジャズを聴いてみたんだけど、たまにいいなと思うものは有るけれど、どれも音楽的には恐ろしく稚拙で同じ事を延々と繰り返してたりしてるだけ・・。じゃぁ、自分の音楽でもっとこのジャンルに彩を加える事をやってみようじゃないの!こうして、このプロジェクトは始まった。
今までのアルバム制作の裏話を読んでこられた方はお分かりだと思うが、僕には強いコダワリが有る。特にサウンド面に関しては他人に全て任してまうのは恐ろしく不安である。しかしながら、早速打ち込み作業に入ったものの、サンプルを大阪に送ってはダメだしの嵐。(笑) 仕方が無い。いくらコダワリが有っても、こう言う事は初めてのチャレンジだし、大体、機材の使い方もまだよく分かっていない。この頃は本当に、CDやラジオを聞いては「このスネアの音はどうやって作っているんだろう?」とか「エフェクトにはあれとあれを使えば・・」など機材の事で頭が一杯でジャズの方には正直頭が全く行ってなかった。クラブ・ギグと言うのもこの頃に何度かやったけれど、爆音の中でDJの回す皿に合わせて演奏するってのは、ハッキリ言って「カラオケ・コンテスト」でもやってる様だった。せめてスクラッチとバトルが出来たら、ブランフォードがかつてやっていた「バック・ショット・ル・ファンク」の様でかなりジャズ的で面白いのに。。一抹の不安を抱きながらもプロジェクトは進行していった。
しかしながら、僕が使っていた打ち込みソフトってのが安物だったせいも有り、サウンド的に先方も中々納得してくれない。仕方なく、色々出費をしてソフトやハードを買い揃えて行き何度もサンプルを送り聴いてもらっても、結局向こうが言うセリフは決まっている。「そちらではリズム・パターンやベース・パターンをデータ化するだけでいいから、サウンド関係はこっちに任せてくれりゃいいんだよ。」 それじゃ、まるでカラオケやケイタイの着メロ作りのバイトと一緒じゃないか。この頃から、どんどん先方とギクシャクしてくる。「じゃ、楽譜送るから、それを一度音楽にしてこちらに送って下さいよ!何がダメなのか具体的な事が全然わかんないもの。」売り言葉に買い言葉の様になってしまったけれど、楽譜・・と言われると彼等(レーベル・スタッフも含め)は黙りこくる。要は「音楽」ではなく「音」なんだなと徐々に分かってきた。そして、その「音」にも流行りがあり、1年も経てば古臭く感じる様な習性を彼等は持っている。強迫観念で新しいものを聴き漁り、そのトレンドに乗り遅れない様に「音」を出す準備をする。これでは肝心の「音楽」がお座成りにならざるをえない。トレンド風の音を出そうと思えば、コード進行だって限定されてくるし、第一クラブ・ジャズにメロディーは殆ど無いも同然。これは果たして音楽なんだろうか??
2年近く作業をこのレーベルのためにやってきたものの、僕のオリジナリティーとサウンドへのコダワリが全く彼等に理解される事が無いと分かり、完全に袂を分かつ事となった。その後、折角作った音源をリリースしてくれるレコード会社を探す事に奔走する事になった。結局、「ビー・ウォーター」をリリースしたホワッツ・ニューの佐藤さんが、たまたまクラブ・ミュージックに興味が有った事から拾って貰い、更に改良してリリースすると言う話になった。この頃に素晴らしい出会いが有った事を忘れてはならない。ジャズ畑で生きてきた僕に親身になってアドバイスをしてくれた、Dreddy D氏。彼は僕の行ってた関西学院大の軽音楽部のOBで大先輩にあたる。昔から芸能界で音楽製作にあたっており、経験も豊富だ。発想も自由だしアドバイスも的確。そして、何よりも嬉しかったのは彼が「ミュージシャン」でもあったことである。そして、もう一人はSONOKAで夜中にジャズ・ミュージシャン達と丁々発止のジャムを堂々とやっていた、スクラッチのDJ Turbo。話を聞くとチャーリー・パーカーを尊敬していると言う。彼のリズム感の良さ、ピッチをコントロールしてスクラッチに音楽をもたらすセンスに惚れ込み、このプロジェクトに誘った事はこのプロジェクトの最も大きな成功だったと思っている。彼等に加え、当時NEW4のメンバーだった池田聡(wb)、フュジョンバンドだったユニバーサル・ノイズのメンバーあびる竜太(kb)と岡田二郎(eb)、そして女性ボーカルのMargoをゲストに迎え、どんどん音楽的にもサウンド的にも進化して行くのだった。
今改めて聴くと、正直、現在持っている機材ならもっと簡単にもっと良いサウンドが作れたのに・・という想いがある。それは実際に、次回作「Eternity」の中で使われているので、こうして言える事なのだけれど。しかし、聴けば一音一音に苦労した思い出が詰まっていて、何とも可愛いアルバムなのである。ジャケット・デザインは『ビー・ウォーター』と同じSucoomb氏。クラブ系のレーベルで実際にジャケット・デザインを担当する彼は「ビー・ウォーター」においても、ジャズの固定観念を打破した画期的なデザインをしてくれた。今作品でも、巨大なビルを横にして水をぶっ掛けた、何とも不思議なデザインが初めてメールで届いた時はビックリした。こういう「新しいアイディアを出し合う」という作業が僕は大好きだ。しかも音楽とデザインという別のジャンルでコラボレーション出来た事が嬉しい。
CDの売り上げに関して言うと、ハッキリ言って芳しくない。まず、Universal Noizz名義にした事によって、僕の名前では中々ネットでもヒットしない。結局、謎のプロジェクトとなってしまった事。そして、流通がクラブ業界と全く無縁だった事も原因の一つだと考えられる。最初のDJ氏の言う通りにしていれば、もしかしたら何かハプニングが起こっていたかも知れない。しかし、そうだとしても、それは僕の「音楽」では無い事は確かだ。このアルバムはジャズを基本としているし、クラブ・ミュージックから聞こえてくる「リズム」を多く取り入れている。クラブ系独特の無機質なものにはしたくなかった。故に「リズム(ビート)とハーモニー(色あい)」という音楽の3大要素のうち2つがタイトルに込められている。もう一つの「メロディー」はお聞きになれば必ず確認出来る筈である。書かなくとも、それが僕の命なのだから。
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