ご無沙汰してスイマセン。
ネットで色々検索していて、Googleマップで場所を航空写真などで確認していたら、たまたま間違ってアメリカの地図が出てきてしまった。僕は、誘われるように自分の居た場所を拡大していった。(地図+写真にすると使いやすいですよ。)
まずはニュー・ヨーク、イースト・ヴィレッジ。3rd Aveに面した12&13stの間のアパートに住んでいた。近くにはユニオンスクエアー。週末には田舎の農園からトラックで野菜や果物を売りに来た人達の露店が並ぶ。ダウンタウンに下りていき、西に向かっていくとWest3rd Stの近くに何度も足を運んだBlue Noteがある。ジャコが遊んでたバスケット場もすぐ近くにある。
2年後、そこからアッパーイーストに引っ越したんだけど、確か72stの3rd&2nd Aveの間だったかな・・。あ~、このビル有ったなぁ。家の前にそびえ立って、部屋が南向きなのに日光が全然入らないんだよね。少し歩けば、セントラル・パークがあり、東にちょいと行くとイースト・リバーが見渡せる公園があり、そこによく赤ん坊だった長男を連れて行ったもんだ。この頃は、家で練習ばかりしてたなぁ。ちょっと勿体無い。
ふと、思い出してボストンに行きたくなった。Googleだと、簡単にひとっ飛びで行ける。(笑) 車だとフリーウェイで6,7時間かかったかな。ボストンの中心街から我が家を探すのは一苦労なので、フェンウェイ・パークを探す事にした。松坂選手で今話題のレッド・ソックスの球場があるとこ。そこから、ちょいとスクロールして行くとBerklee College of Musicの文字が・・あぁ、なんだか泣きそうだよ。(笑) 故郷って感じがする。マサチューセッツアベニューを北に進んで、ボイルストン、ニューベリー、コモンウェルス、マルボロ、そして僕が住んでたビーコン・ストリートに着く。ここで朝起きて、さっきの通学路を通ってバークリーに授業を受けに行き、ず~っと練習して、セッションして、近所の「明るいイナチャ(チャイナ)」で飯食って、また練習して、ピザ食って、バーにビール飲みに行って・・楽しかったし、凄く充実していた。過食で凄く太ったけど。(苦笑)
俺はここから始めたんだなぁと思った。住んでた時は、ボストンってつまんない街だと思っていたけど(だから、刺激のあるNYに引っ越した。)、毎日、楽しくて仕方なかった。ピアノのあびる竜太とは毎夜、どちらが長時間練習したか?っていう勝負をしてて、確かむこうが10時間のところ12時間で圧勝してガッツポーズ取った事を覚えてる。その後、血尿が出るわ、唇が切れて血が出るわで暫らく練習出来なかったんだけどね。(苦笑)
あの頃は若かった(って和田アキコかい・・)し、気力も漲っていて、何も恐れるものは無かったし、努力するのが全く苦ではなかったし、目からウロコは落ちまくるし、凄まじい生命力を全て音楽に注ぎ込んでいた。常に何かに感動し、ビックリし、大笑いしてた。卒業してからは、生活のためにずっと見えない何かと戦ってきた気がする。
最近はバークリーも学費が非常に高く裕福な人しか行けない様だし、また家賃の高沸で近所に住んで心置きなく練習したり遊ぶ事が難しいみたい。本当にバブルで浮かれてた僕らは幸せで、今の子達は可哀そうだと思う。でも、今、そこで学んでいる人達には、思いっきり楽しんで欲しいと心から願っている。
日本の大学で興味の無い法学を勉強させられる事から解放され、単身アメリカに渡り、やっと音楽に集中出来る事への感謝と喜び、学校で初日に憧れのビル・ピアース(ts)に初めて会った時の感動を今でも昨日の事の様に思い出す。迷ったり、色んなものを失ったと気付いた時、人は必ず原点を思い出そうとするけど、今日それを強く実感した。間違いなく僕はボストンからスタートしたのだ。
ネットで色々検索していて、Googleマップで場所を航空写真などで確認していたら、たまたま間違ってアメリカの地図が出てきてしまった。僕は、誘われるように自分の居た場所を拡大していった。(地図+写真にすると使いやすいですよ。)
まずはニュー・ヨーク、イースト・ヴィレッジ。3rd Aveに面した12&13stの間のアパートに住んでいた。近くにはユニオンスクエアー。週末には田舎の農園からトラックで野菜や果物を売りに来た人達の露店が並ぶ。ダウンタウンに下りていき、西に向かっていくとWest3rd Stの近くに何度も足を運んだBlue Noteがある。ジャコが遊んでたバスケット場もすぐ近くにある。
2年後、そこからアッパーイーストに引っ越したんだけど、確か72stの3rd&2nd Aveの間だったかな・・。あ~、このビル有ったなぁ。家の前にそびえ立って、部屋が南向きなのに日光が全然入らないんだよね。少し歩けば、セントラル・パークがあり、東にちょいと行くとイースト・リバーが見渡せる公園があり、そこによく赤ん坊だった長男を連れて行ったもんだ。この頃は、家で練習ばかりしてたなぁ。ちょっと勿体無い。
ふと、思い出してボストンに行きたくなった。Googleだと、簡単にひとっ飛びで行ける。(笑) 車だとフリーウェイで6,7時間かかったかな。ボストンの中心街から我が家を探すのは一苦労なので、フェンウェイ・パークを探す事にした。松坂選手で今話題のレッド・ソックスの球場があるとこ。そこから、ちょいとスクロールして行くとBerklee College of Musicの文字が・・あぁ、なんだか泣きそうだよ。(笑) 故郷って感じがする。マサチューセッツアベニューを北に進んで、ボイルストン、ニューベリー、コモンウェルス、マルボロ、そして僕が住んでたビーコン・ストリートに着く。ここで朝起きて、さっきの通学路を通ってバークリーに授業を受けに行き、ず~っと練習して、セッションして、近所の「明るいイナチャ(チャイナ)」で飯食って、また練習して、ピザ食って、バーにビール飲みに行って・・楽しかったし、凄く充実していた。過食で凄く太ったけど。(苦笑)
俺はここから始めたんだなぁと思った。住んでた時は、ボストンってつまんない街だと思っていたけど(だから、刺激のあるNYに引っ越した。)、毎日、楽しくて仕方なかった。ピアノのあびる竜太とは毎夜、どちらが長時間練習したか?っていう勝負をしてて、確かむこうが10時間のところ12時間で圧勝してガッツポーズ取った事を覚えてる。その後、血尿が出るわ、唇が切れて血が出るわで暫らく練習出来なかったんだけどね。(苦笑)
あの頃は若かった(って和田アキコかい・・)し、気力も漲っていて、何も恐れるものは無かったし、努力するのが全く苦ではなかったし、目からウロコは落ちまくるし、凄まじい生命力を全て音楽に注ぎ込んでいた。常に何かに感動し、ビックリし、大笑いしてた。卒業してからは、生活のためにずっと見えない何かと戦ってきた気がする。
最近はバークリーも学費が非常に高く裕福な人しか行けない様だし、また家賃の高沸で近所に住んで心置きなく練習したり遊ぶ事が難しいみたい。本当にバブルで浮かれてた僕らは幸せで、今の子達は可哀そうだと思う。でも、今、そこで学んでいる人達には、思いっきり楽しんで欲しいと心から願っている。
日本の大学で興味の無い法学を勉強させられる事から解放され、単身アメリカに渡り、やっと音楽に集中出来る事への感謝と喜び、学校で初日に憧れのビル・ピアース(ts)に初めて会った時の感動を今でも昨日の事の様に思い出す。迷ったり、色んなものを失ったと気付いた時、人は必ず原点を思い出そうとするけど、今日それを強く実感した。間違いなく僕はボストンからスタートしたのだ。
ところで最近「Universal Noizzはやらないんですか?」と友人達からよく訊かれます。みんなライブに来てくれた人たちなんですが、凄く好評だったんですよね。またやりましょう。
そうなんですかぁ?!嬉しいですね。。
でも、あのアルバム(ビーツン・カラーズ)なんですが、やはり売り方がよくなかった様で、ジャズかクラブかってツマンナイ理由なんですけど、不良債権の様になっています。(苦笑)
やりたいのはやりたいのですが、何か一工夫、考えてやりたいですね。
とにもかくにも、名ベーシストのDREDDYさんとは純粋にギグをやりたいです!