昨晩の加藤泉さん(g)とのデュオは、有名無名のスタンダードばかりで楽しかった。タイトにリズムを刻む泉さんの上でゆったりと自由に演奏出来て、やっと自分の求めていた演奏に一歩近づけたから。曲はウタモノが多かったかな。
最近は凝ったコンテンポラリーな曲やアレンジもの、ひいては自分の小難しいオリジナルを演るより、歌ものスタンダードなどをフェイクしながら自由に演奏する方がどちらかと言うと好き。かっちりとした形が有るものより、全く形が無くなって行く過程を楽しめるからだと思う。音楽のアメーバー化と僕は個人的に呼んでるが、そこがクラシックと大きく違うところ。
形(テーマ)→自由(アドリブ)→形(テーマ)…っていうジャズのフォーマットにも飽きたのかも知れない。マイルスやコニッツなどレジェンド達も、そういうきちっとしたフォーマットを嫌ってるから、テーマをフェイクしまくるのだと思う。
クリス・ポッターがクリニックで、「コンファメーション演ってみようかな。でも、最近吹いてないからテーマちゃんと吹けないかも。」なんて言いながら吹き始めたら、確かにメロが違ってるんだけど、それはそれでめちゃくちゃカッコいい。ビバップやるにせよ、そこまで出来たら良いなと思う。
難しいテーマのユニゾンやハモリも気持ちいいけど、フォーマット通りアドリブの後また全く同じメロが来るのか…と思うと、打ち込みやってた身としては、そこ、何かのマシーンでも使ってコピペでいいじゃん…とまでステージ上で思う時も有る(笑)
テーマとアドリブの境目が無くなる事で、何の曲やってるのかリスナーには分かりにくいという難点は確かに有るけど、常に自由を渇望するのがジャズっていうジャンルなんじゃないだろうか。そこって極めて人間らしく、AIには決して真似出来ない所だと思う。
そうね、AIが人間の仕事を今後たくさん奪って行くのだろうけど、音楽に関して言うと、機械に頼る事の出来ない、「揺れ」や「自由度」が多いジャズやクラシックのプレイヤーは生き残れるんじゃないかな。
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