最初に、「え⁈」と思われるかもだけど、敢えて書こう。サックスがリズムセクションと同じタイム感で吹いても全く心地良くはならない。
なので「Laid-back(レイド・バック)」という言葉がよく言われるのだけど、8分音符を単純にモタらせて吹いた所で、付け焼き刃な感じがして、どうも僕は納得行ってなかった。長年そうやって誤魔化しては来たのだが、デクスター・ゴードンのそれとは明らかに異なる。デクスターは8分音符がストレート8thに近く、8分のウラ(Up Beat)が3連符の3つ目辺りに合っているので、自ずとアタマ(Down Beat)が遅めに入っている様に感じる。まぁ、ご本人はそんな事考えずに吹いてるのだと思うけど。
ずっとデクスターやアート・ペッパーのストレート8thに近い8分音符に憧れてはいたのだが、自分のキャラには合わない…とか理由を付けては、それを習得するのを後回しにして来た。しかし、ここに来て自分のタイム感の最終的な目標はこの壁を突き破らない限り到達出来ないと思い、ひたすら彼等を聴く事に費やして来た。何故ならコンテンポラリー・ジャズを聴いてもジョン・スコフィールドやクリス・ポッターだって同じ様なタイム感で演奏しているし、僕の好きなアーティストのタイム感は時代とは無関係に共通しているのだから。
昔から日本人には悪い意味での「独特のスイングが有る」と言われて来た。走り易いとか忙しないとか。それを克服する為にそれぞれが必死で研究を重ねて来たのだが、ことフロント楽器に於いては、不必要にスイングさせようとしたり、リズムセクションとピッタリ合わせようとする事で悪い方向に行ってしまっている気がする。
学生時代、「2拍4拍でリズムを取れ」或いは「4拍目にクリックを合わせて」とか「3連符の3つ目だけにクリックを合わせて」などと教わって全て練習して来たのだけど、そうする事によって逆にリズムがツッコむ自分を発見し、研究の結果「1拍目と3拍目でビートを捉える」というのがベストだと気付いた。だってチャーリー・パーカーは其処にこそタイトにリズムがハマっているのだから。
その捉え方で、ある程度はビートに落ち着きが得られたのだけど、やはりまだ納得は行かない。
そこには、まだ「タイトで居たい自分」が見え隠れするからだ。そこにジャズの魅力の一つであるソニー・ロリンズに代表される「大らかさ」は一切存在しない。そう言えば、チェコ、オーストリア、ハンガリーを旅した時にあちこちで聴いたクラシック音楽も同様な「大らかさ」や「ゆったり感」を感じた。ジャンルに関係無く、日本人に根本的に足りないのはそこじゃないのか?と感じた重要な経験だ。遅刻を嫌い、「電車は間違いなく時刻表通りに来る」…というパンクチュアルな社会で当たり前に生活している日本人の気質なのかも知れない。
そこで、気付いた。「もう、1拍目だけ合わせて、あとはテキトーに辻褄合わせでいいんじゃね?」と。
3拍目にも照準を合わせようとすると、1拍目と3拍目の間が縮まり易い事に気が付いた。「正しいタイム」をフロント楽器が主張し始めると、途端にバンド全体のグルーヴ感は心地悪いものになってしまう。そこはリズムセクションに任せて、「せーの」で次の小節の頭で合わせる様に意識を変えると、憧れの「大らかさ」が表現出来る。
もう、ドラマーが熱弁する「サブディビジョン」なんか完全無視!だ(笑)
練習でも1拍目だけにクリックを鳴らし、スケールやフレーズもクラシックのエチュードの様にストレート8thで吹く様にすると、タイムが逆にタイトになるし、デクスターやペッパーの様なタイム感にもなる。その上で、カラオケ上でも同様に演奏すると、勝手に大らかな演奏になっている。そう言えば、ジョン・スコフィールドがクリニックで「絶対スイングするな!」と謎な発言をしていたけど、彼の重たい8分音符はそこに起因しているのだ思う。先日聴いた、うちのコレクションのスティーヴ・グロスマンもそういう意味で全くスイングしていなかった。
スイングしないが一番スイングしているのだと僕は思う。ジャズって謎だなぁ(笑)
研究もまだまだ道半ば。更に深い研究が必要だし自分でもまだ完璧にこなせてるとは思えない。しかし、ひとつの解答は得られた。今回もスランプに苦しんだが、最近はスランプが楽しい。新しい自分に将来出会えるというワクワク感が有るからだ。ま、これも、演奏仕事を「趣味」だと言い放ち、承認欲求がゼロに等しくなって、ひたすら己の為だけに研究と練習を重ねる様になって、心に余裕が出来たから言える事かも。
スタン・ゲッツもインタビューでこう語っている。
「自分が楽しむ為にしか演奏してないよ。それを観客も楽しんでくれるとしたら、それはボーナスだ。」
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