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クリエイティビティとは?<レナウン編>

2015年02月16日 23時11分28秒 | Weblog
先日、若手ミュージシャン達と話していたら、「お前にはトラディショナルが無いと言われちゃいました。」という話を聞かされ、彼のキャラクターと共に笑ってしまったのだが、内心「クリエイティビティが無い‥と言われるよりよっぽどマシだ。」と思ってしまった。

この歳まで生きて来て理解した事が有る。世の中にはオリジナリティーを持ってクリエイトしないと満足出来ない人種と、他人のコピーをしてある程度のクオリティーに達すれば満足する人種の2種類だ。僕は明らかに前者だが、後者の人にこの理念をいくら説明したところで理解して貰えない。僕は日本に帰国してから、アーティストもリスナーもあまりに後者をチョイスする人が多くて辟易している。20年前まで生活していたアメリカではこういう感覚は全く無かった。



さて、この話題で僕の記憶は中学生の頃まで遡って、ある出来事に辿り着いた。中学生の頃、林間学校で数日間、共同生活をした時の頃・・にである。

夏の林間学校の時期が近づき、クラスでは「キャンプ・ファイヤーの出し物」についての会議となった。いわゆる、焚き木を囲んでのクラス芸・・というやつである。僕は小学生の頃から、「お楽しみ会」だの「お別れ会」だので、毎年その年の時事ネタを取り入れたドラマやクイズなど、テレビ番組制作会社並みのアイディアを持って、出し物を企画して来た。

「さて、ここは俺の出番だな・・。」とゆるりと意見を述べようとした時、クラスで一番元気な女子がサッと手を挙げて言った。

「女子は男装、男子は女装が良いと思いまぁす!」

はぁ??なんなんだこの貧困なアイディアは。こんな企画、通る筈がない。バカ者が・・。苦笑しながらそう思った瞬間である。

「それが良いと思います!」「私も!」「私も!」

一斉にクラスの女子が手を挙げた。当時、一クラスは40人ほどで、女子の方が男子を若干数で上回っていた。組織力で完全に上回っている女子が結託して、このくだらない企画を通してしまったのである。

しまった!俺とした事が油断してしまった。これはなんとか挽回しなくては!

「おい、おい、で、オチはどないすんねん!これの何がおもろいねん!」・・・と、喚くも数の原理で相手にもされず、ただの不規則発言として記録にも残されない。議長の「では、男装&女装の案で宜しいですね?」の問いに、女子全員の「はぁい!!」の元気な声が教室に広がった。不本意にも女装をさせられる羽目になった男子達が「なんで俺が・・」とざわめく。僕にとっては、女装は良いとして、この企画の内容の無さと、笑える要素が一つも無い所が許せず、喜ぶ女子達を尻目に手を挙げてこう叫んだ。

「女装はします!しかし、せめて衣装は自分達で決めさせて下さい!」

ここからは、レジスタンス活動である。「女装」という名目の元、如何に自己表現をするか? 女子が男装しようが、俺は俺のやり方でこのステージで笑いを取ってやる!!

そして、これぞ!と言える2人の有志を得て企画を練った。そうだ!当時CMで流行っていた「レナウン娘」をモチーフにしよう!



確か、母の女性用カツラがウチに有った筈。時代遅れですっかりタンスの肥やしになっていたものである。70年代のサイケデリック感はこれで出せる。母に了承を得てこれを使う事を決定。しかし、一つしか無いカツラは僕が被るとして、他の二人はどうすれば良いかを考えなくてはならない。

「キングギドラみたいな三頭竜的なものはどうかな?」と有志の一人が言った。

なるほど!僕がカツラを被ってさえいれば「女装」の体は保ったまま、後は自由が利くではないか。早速、母に相談して使い古しのシーツをゲットし、それを切ったり、頭を三つ出せる様に縫合したり、色を塗り、気色の悪い三頭竜を作り上げ、三人一体となって歩く練習などを始めた。

しかし、気が付けば当初のモチーフ「レナウン娘」から、どんどん遠ざかっているではないか。すると一人が言った。

「う~ん、やっぱり俺たちは男だから『レナウン息子』が良くない?」

レナウン息子・・・・

なんなんだ、この不思議で甘美な響きは。「レナウン」という女性用=エロい下着・・のイメージから醸し出す少しエッチな響きと、「息子」という極度にミスマッチなコラボレーション。素晴らしいアイディアである。流石、俺が集めた有志。そのアイディアは戴こう。

早速、衣装であるシーツの背面に『レナウン息子』という大きなロゴをあしらった。今ならロゴも凝りに凝ったものをプリントしたであろうが、当時はたかが中学生で、しかもPCも何も無いアナログ時代である。よってロゴはマジックで手書きのショボイものである。これを何とか誤魔化さねばならない。

ここはステージに煙幕を張ってミステリアスにするしかない!! 

僕の中では、レナウン娘になり切れなかった三つ頭の妖怪『レナウン息子』が霧の中で漂う・・・というシュールで壮大なイメージが浮かんでいた。物悲しい様相でありながら、霧の中に浮かび上がる背中の『レナウン息子』という烙印が必ず笑いを誘うという寸法である。煙幕に関しては、当初ドライアイスが検討されたが、真夏の山中までどう運び、どう保存するかが議論となり、結局、花火と一緒に駄菓子屋などで売られてる煙玉をプラスチック製の卵ケースに入れて、真ん中のヅラの僕が持ち、両隣の二人が順番に火をつけるという事になった。


本番当日。まずは煙玉に火を点けるという作業の許可を先生から取る必要が有った。

「なんでそんなものが必要なの??」と問いただす先生達に、「これが無いと、僕らは表現しきれないんです!お願いします!!」と訴えるしかなかった。僕らの熱に押され、「じゃぁ、仕方がないから、煙が出なくなったら私の所に戻ってらっしゃい。私が毎回火を点けてあげるから。絶対、自分で火を点けちゃダメよ!」と一人の先生が仰ってくれて、何とか許可を貰った。

絶対的な自信を持ちながら、他のクラスの出し物を眺めていた。「ふ、『レナウン息子』に敵うオリジナリティーの持ち主は、所詮この田舎中学校にはおらんな。」・・・既に勝利の雄叫びを上げたいほどであった。

そしていよいよ満を持しての出番である。

行進を先に始めたのは女子達。見ると、カウボーイの格好をしている。少し前のTVのバラエティー番組でアイドルがやってた恰好である。なんたる事か、こいつらはその真似がしたいがために、あてもオチも無く男装&女装アイディアを出していたのか・・・。なんと情けない事か。キャーキャーと騒ぎながら、オモチャの鉄砲をパンパン撃っている。

もし、この案にただ乗っかっていたら俺達は何のアイデンティティーも表現できなかったではないか。レジスタンスに参加できなかった哀れな他の女装男子達よ・・・。しかし、我々にはこの『レナウン息子』が有るのだ!見よ!この雄姿を!!

「さ、先生、煙玉に火を点けて下さい!」
母のヅラを被った僕は手に持った卵ケースを差し出し、その上の煙玉に目を遣った。頷いた先生はライターの火を一個の煙玉の導火線に点けた。

煙は幾分勢いが良い。いや、良すぎるではないか。前が全く見えない。なんてったって、僕が手に持つ卵ケースの上で大量の煙を噴出しているのだ。3人共々咳と涙で歩行さえ困難になっている。思い描いていたシュールで壮大なイメージと随分と違う。大量の煙に包まれ歩行困難になっている我々を見て、多少、他のクラスの連中がざわめき始めている。

しかし、煙玉は意外とあっさりとその生涯を終えてしまい、あっという間に煙は消えてしまった。「これではインパクトが無くなってしまう!」焦った僕は仲間を先導して火を点けてくれる先生の元に急いで向かった。「1個と言わず、今有る煙玉全部に火を点けて下さい! もう、僕達には時間が無いんです!」 戸惑いながらも、全部は流石に危険だから・・・と3個に火を点けてくれた先生に感謝しつつ行進に戻る。

女子達は相変わらず何の目的も無くカウボーイの格好で行進を続け、鉄砲の火薬が切れたのか、口で「パンパン」言いながら行進している。「愚か者め」と思いながら行進に復帰したところで気が付いた。果たして俺達にオチはあったのだろうか?・・・と。インパクトを追い求めてはいたけど、背中に書かれた『レナウン息子』を過信し過ぎて肝心のオチを考えていなかったではないか。しまった。

キャンプ・ファイヤーの周りは、目的も無くキャッキャ騒ぎながら行進する男装の女子、恥ずかしそうに行進する女装の男子、そして理解不能とも言える「シーツと煙に包まれた妖怪」の悶絶が延々と繰り広げられていた。

煙玉の勢いは凄まじく、煙と共に熱も帯び始め、遂には卵ケースを溶かし始めた。
「アッチィ~!!」
我々の命とも言える煙玉の入った卵ケースを落としてしまい、見兼ねた先生達が消火にあたった。

終わった・・・。



全ての出し物が終わった後、リーダー格の先生からのお話が有った。林間学校では共同生活を学び、助け合う精神を養う事が最大の目的であり、このキャンプ・ファイヤーもその一環であり、クラス一丸となって出し物を企画する事を期待していた・・・と。

「・・・にもかかわらず、〇組の出し物には全くクラスとしてのまとまりを感じなかったし、何がやりたかったのかサッパリ分からんかった!」

うちのクラスの事である。ほら、女子のあのツマラン企画のせいで怒られちゃったじゃないか。

「特に、あの『レナウン息子』! 意味が全く分からないっ!!」

え~!? 名指し~!?(てか実名じゃないけど。)

偉そうに女子達のアイデアを馬鹿にしていた割には、クオリティの低い出し物で理解も得られず、笑いどころか失笑さえも得られなかった。大失敗である。


しかし、この日から僕の一般社会の無理解との闘いが始まった。理解されないからと言って、クリエイトする事を諦めてしまってはいけない。理解されないからと弱気になって人のモノマネをしたって自分のアイデンティティーは一生表現できない。他人と違う事を常に考え、行動に移さなければならない。自分のオリジナリティーの価値を信じて邁進するしかないのだ。若者達よ、覚醒せよ!

・・・って、まぁ、『レナウン息子』から言われたくないよな・・・。(笑)
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