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加藤和彦の死で感じるもの

2009年10月19日 02時05分58秒 | Weblog
音楽でやる事がなくなったから・・と言う理由で死を選んだ加藤和彦氏。アーティストに常に付きまとう危険というものが有る。僕も自分の才能というものに向き合う度にそういう危険性と直面する。

僕の尊敬するジャコ・パストリアスも晩年は自分のプレーに飽き飽きしてヤケクソになり、遂には地元のフロリダのバーの用心棒にケンカを吹っ掛けて殴り殺された。他殺であるけど、事実上は自殺と同じ様なもんである。

アーティストでは無いけど僕の父も、晩年はリタイアしてやる事が無いと言っては酒を煽る様に飲み、泥酔状態で風呂に入って溺死した。僕はこれを自殺だと思っている。

僕の周りには鬱病と診断されている人が何故か多い。だから、彼らの話をよく聞くし、僕自身も正直、自分が鬱病なんじゃないかと思う事がよくある。医学的には薬で脳内物質を操作する事で効果が得られるらしいけれど、僕はなんとかそれに頼らずにやっていけているから、それ程深刻ではないんだと認識している。僕は酒を飲むとハッピーになれるしね。(笑)

人間関係や仕事のストレスがきっかけでそうなる人が多い様だが、自ら命を絶つのだけは止めて欲しいよね。その時点で自分だけの問題ではなく、どうしても周りを巻き込んでしまう。自分の身体は自分だけのものではないという責任感はギリギリ持って欲しい。まぁ、深刻な鬱病になるとそれを考える余裕も無いという実情を色んな方から聞かされてはいるんだけど・・。現代社会においては、全ての人が「明日は我が身」になる危険性もある。僕だっていつそうなるか分からない。

キレイ事かもしれないけど、誰かと支えあって生きているという実感と、誰かのために自分が存在してるんだと感じられる場所に身を置く事が人間には必要なんだと思う。そういう意味では、現代社会は本当に人間関係が希薄だ。
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6 コメント

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Unknown ()
2009-10-19 07:53:52
強い責任感の延長線上にうつ病と自殺があるんです。
うつ病について学んでください。
友を助け、自身を助けるために。
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責任感の強い人の方が、 (SGURU)
2009-10-19 10:40:00
そうなる・・とはよく聞きます。
自分自身では抱えきれなくなるんでしょうね。なんとなくですが分からないでもないです。(僕が鬱状態になるとしても、そういう理由ではないので) これからも、色んな方のお話を聞くことで学ぶ事も有るでしょう。

メッセージ、ありがとうございました。
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無題ですみません (とも)
2009-10-20 22:13:26
現役?のうつ病持ちです。最近は大分症状が治まりましたが、本当にこの病気は苦しいです。かかった人でないと理解されない苦しみです。原因は人間関係のトラブルでしたが、性格も災いしたかもしれません。とにかく苦しかった。あの苦しみから逃れようと思うと、死ぬことすら考えてしまうのです。実際何度も自殺未遂を繰り返しました。高校の同期も産後うつで実際に自ら命を絶ってしまいました。心の病を抱えている人が急増しているとのこと、この病気の恐ろしさを知って頂きたいのです。
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加藤和彦氏も (SGURU)
2009-10-21 00:01:26
「死にたいのではなく、生きていたくない」と遺書を残したそうですね。痛々しいです。

僕は人生の崖っぷち(その頃は鬱病だったと今は思います。)で死ぬのを押し留めたのは、自分の子供達に対するちょっとした責任感でした。(ちょっと僕にしたらシリアスですが・・)

凄くセンシティブな話なので、全ての人が納得行かないのとは思いますが、やはり死ぬのは周りの人に対して非常に無責任だと思うのです。と同時に深刻な病でもあるので、医学的な進歩も望みます。効き目の有る薬に出会うまでも一苦労だという話も聞いたことが有ります。誤解を恐れずに申し上げると、全く知らないで言っているのではなく、この病気の恐ろしさは重々承知の上で言っています。

僕自身は鬱病に関して縁があるし、その苦しみというのも多少は経験したし、色んな方からお話も伺いました。ただ、自殺に関しては一切考え方は変わりません。僕も色んな友人、親戚、そして父親を見送ってきましたが、その死に方で周りの人に及ぼす影響はあまりにも多大です。でも、やはり病気の人が一人ではどうしようもありません。

今は鬱病といっても、恐らく分からない人は居ないと思います。だからこそ、周りの人のサポート、医学的・精神学的見地からの適切なサポートがもっと身近になればと思います。
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コメントありがとうございます (とも)
2009-10-21 21:53:34
宮地さんの場合は、お子さんがいらっしゃることが自殺の抑止力というかブレーキになったんでしょうね。何かに対する責任を持つことってとても大事だと思います。私はまだ独身なのでピンと来ないところもあるのですが…。私は一時期自殺を肯定していました。人間最後の選択は自分自身でやってもおかしくない、それも尊厳の一つだと思っていました。でも残される人のことは何も考えていないんですよね。私自身、友人を亡くして初めて気付きました。何度も愚かなことをしましたが、自分の事で精一杯で他人のことなんて考える余地が無いんですよね、うつ病って。病気が落ち着いてから、少しの間だけ葬儀屋でバイトしていたのですが、いろんな方の最期を見送りました。中にはやはり無念だっただろうなというケースもあって、ここ数年で自分の中で死生観が変わってきているように思いますね。
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こちらこそ、ありがとうございました。 (SGURU)
2009-10-22 01:07:23
鬱病が重症になると、周りの他人や家族の事まで考える余裕が無くなる・・というのは、本文で書いた通り患者の方から伺いました。だから、僕の症状はまだ軽かっただけだと思います。

色んな人の死を見てきた結果、自分の人生(というか身体)は自分だけのものではないと気付かされましたし、自分は周りの大切な人のために責任持って人生を全うする義務が有ると考え、逆にその大切な人達が、こちらの心配をよそに「自分の人生は自分だけのもの」だと言わんばかりに自分の身体を粗末にしてるのを見ると、メチャクチャ腹が立ちます。あくまで、鬱病と言う理由を除外した場合ですけどね。

志半ばで自殺した僕の音楽仲間、キチンと人生について語り合った事の無い自分の父、いずれも死に方がインパクトとして残って、僕の中ではトラウマなんですが、僕は人間はどう生きたか?の方が大切だと思うんです。人生で何をやったかを後々語られる方が幸せじゃないですか?死後に、「死に方」ばかり取り上げられる人って、死んだ後も寂しくて悲しい。

今日は、長門・南田夫妻の死別をTVで知り、更に深く考えさせられました。
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