あれから17年...最近、この、かつて日本ジャズ界を震撼させた事件をご存じない方も増えた様なので、過去に書いた「宮地事件簿」からコピペでお届けいたします。因みに、今はメチャクチャ健康です!(笑)
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僕はこの頃(1999年)、非常に風邪を引きやすかった。ちょっと風邪が流行すると、すぐにその流行に乗ってしまう状態であった。 顔色がいつも悪く、仲間からは「デスラー総統」と呼ばれていた。 月に一度のペースで風邪を引き、治ってはまたぶり返すの繰り返し。 共通する点は、常に37・9度の微熱が続き、午後1時ごろから38・5度に達する。
自分では日頃の運動不足と不摂生が抵抗力を落としているんだと勝手に判断し、たいして深刻には考えていなかった。(で、「自転車事件」のような事をして体を鍛えていた。)
しかし、99年ゴールデン・ウイークのある夜、40度を越す高熱と腰の激痛に襲われ、救急車で近所の病院に担ぎ込まれた。腰の激痛とは裏腹に、「肺炎」と診断された。レントゲンを見ると、肺が真っ白に写っていた。かなり危険な状態だったらしい。 結核の疑いもあると言うので隔離病棟への入院を余儀なくされた。(後に疑いは晴れるのだが。)
ちょうどその時にブッキングされていた目黒SONOKAでの「宮地傑5」のライブも、「西尾健一(tp)4」に急遽変更され、表の看板には「宮地傑病気のため・・」と書かれていたらしい。1週間で退院したものの、その後相変わらず微熱は続いた。
そして明けて2000年の正月。生徒を自宅に集めた新年会で、また熱を出し、生徒に隠れて別の部屋で布団にくるまっていた。正月休み明けに、さっそく以前入院した病院に行くと、「ひどい肺炎だ、あなた今日は帰れませんよ。早速入院の準備をして。」と医師が言うではないか。「ウッソ~!!」全く信じられなかった。
そして、なんと運の悪い事に、ちょうどその頃またまたSONOKAでのライブが入っていた!前回同様「宮地傑5」はバンマス抜きの「西尾健一4」に早代わりして成功を収めたらしい。
さて、2度の入院にもかかわらず、医師団は全くその原因を掴めないでいた。回診中のどっかの医大の教授先生にも診察してもらったが、「君、ミュージシャンなんだって?クスリやってないだろね。アレは抵抗力落とすから・・。」なんて言いやがる。たいした大先生だこと。せいぜい医療ミスに気をつけたまえ。(笑)
今回も1週間で、とりあえずは退院した。しかし、恥ずかしながら宮地傑34歳(当時)、今度は息子が幼稚園で貰ってきた「みずぼうそう」を持ち前の抵抗力の弱さから患ってしまった。この頃、ちょうど「ウェザー・アイズ」のジャケット写真の撮影があったので、危うくブツブツ顔での撮影になるところだった。
それが完治すると、今度は激しい下痢と吐き気に襲われた。新しい病原菌をゲットしたらしい。ちょうどその日(1/30日曜日)、町田市のホールで坂田稔氏(ds)のコンサートがあった。すでに狭いジャズ業界の中で「宮地は病弱」という噂が流れていた。信用を失いつつあったので、どうしてもこの仕事、休むわけには行かなかった。しかしながら日曜日でどこも休診日である。
ラッキーな事に、うちのカミさんの親戚が新宿で開業医をしている。(後にこの先生が僕の命の恩人となる)この少し前から、この先生に血液検査などを入念にして頂いて、肺炎の原因を調べて頂いるところだった。電話をして休みのところを無理やり見ていただくことにした。お茶を飲んでも吐いてしまう状態だったので、点滴を4~5本打って貰ったと思う。なんとか町田まで行き、仕事をこなす事が出来た。ちなみに、そのフラフラのプレーはCD「坂田稔 IN LIVE Vol 1.」で聴く事ができる。
そして、ついに肺炎の原因を知る時がきた!
あまりにショッキングな内容のため、お尋ねします。
あなたは、肺炎の原因を知りたいか?
YES!
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僕はこの頃(1999年)、非常に風邪を引きやすかった。ちょっと風邪が流行すると、すぐにその流行に乗ってしまう状態であった。 顔色がいつも悪く、仲間からは「デスラー総統」と呼ばれていた。 月に一度のペースで風邪を引き、治ってはまたぶり返すの繰り返し。 共通する点は、常に37・9度の微熱が続き、午後1時ごろから38・5度に達する。
自分では日頃の運動不足と不摂生が抵抗力を落としているんだと勝手に判断し、たいして深刻には考えていなかった。(で、「自転車事件」のような事をして体を鍛えていた。)
しかし、99年ゴールデン・ウイークのある夜、40度を越す高熱と腰の激痛に襲われ、救急車で近所の病院に担ぎ込まれた。腰の激痛とは裏腹に、「肺炎」と診断された。レントゲンを見ると、肺が真っ白に写っていた。かなり危険な状態だったらしい。 結核の疑いもあると言うので隔離病棟への入院を余儀なくされた。(後に疑いは晴れるのだが。)
ちょうどその時にブッキングされていた目黒SONOKAでの「宮地傑5」のライブも、「西尾健一(tp)4」に急遽変更され、表の看板には「宮地傑病気のため・・」と書かれていたらしい。1週間で退院したものの、その後相変わらず微熱は続いた。
そして明けて2000年の正月。生徒を自宅に集めた新年会で、また熱を出し、生徒に隠れて別の部屋で布団にくるまっていた。正月休み明けに、さっそく以前入院した病院に行くと、「ひどい肺炎だ、あなた今日は帰れませんよ。早速入院の準備をして。」と医師が言うではないか。「ウッソ~!!」全く信じられなかった。
そして、なんと運の悪い事に、ちょうどその頃またまたSONOKAでのライブが入っていた!前回同様「宮地傑5」はバンマス抜きの「西尾健一4」に早代わりして成功を収めたらしい。
さて、2度の入院にもかかわらず、医師団は全くその原因を掴めないでいた。回診中のどっかの医大の教授先生にも診察してもらったが、「君、ミュージシャンなんだって?クスリやってないだろね。アレは抵抗力落とすから・・。」なんて言いやがる。たいした大先生だこと。せいぜい医療ミスに気をつけたまえ。(笑)
今回も1週間で、とりあえずは退院した。しかし、恥ずかしながら宮地傑34歳(当時)、今度は息子が幼稚園で貰ってきた「みずぼうそう」を持ち前の抵抗力の弱さから患ってしまった。この頃、ちょうど「ウェザー・アイズ」のジャケット写真の撮影があったので、危うくブツブツ顔での撮影になるところだった。
それが完治すると、今度は激しい下痢と吐き気に襲われた。新しい病原菌をゲットしたらしい。ちょうどその日(1/30日曜日)、町田市のホールで坂田稔氏(ds)のコンサートがあった。すでに狭いジャズ業界の中で「宮地は病弱」という噂が流れていた。信用を失いつつあったので、どうしてもこの仕事、休むわけには行かなかった。しかしながら日曜日でどこも休診日である。
ラッキーな事に、うちのカミさんの親戚が新宿で開業医をしている。(後にこの先生が僕の命の恩人となる)この少し前から、この先生に血液検査などを入念にして頂いて、肺炎の原因を調べて頂いるところだった。電話をして休みのところを無理やり見ていただくことにした。お茶を飲んでも吐いてしまう状態だったので、点滴を4~5本打って貰ったと思う。なんとか町田まで行き、仕事をこなす事が出来た。ちなみに、そのフラフラのプレーはCD「坂田稔 IN LIVE Vol 1.」で聴く事ができる。
そして、ついに肺炎の原因を知る時がきた!
あまりにショッキングな内容のため、お尋ねします。
あなたは、肺炎の原因を知りたいか?
YES!
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