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世界に絶える事なく続出している悲惨な状況を見ていくと、
荀子の性悪説には、
人間社会の必然を示す科学性があるように思えてしまう。
俗説ではなく、人間や組織や社会の帰結を裏付ける明察ではないのか。
性善説は幻想に近い願望であって、
性悪説こそ現実、人間の本態であることを歴史は述べていないだろうか。
いわば心理の生態系は、
常に”利己アメーバ”の増殖に脅かされる条件下にある。
”性悪科学”への防御を構築する熱意が失われると、
人間社会は性悪工程に切り替えられる。
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世界に絶える事なく続出している悲惨な状況を見ていくと、
荀子の性悪説には、
人間社会の必然を示す科学性があるように思えてしまう。
俗説ではなく、人間や組織や社会の帰結を裏付ける明察ではないのか。
性善説は幻想に近い願望であって、
性悪説こそ現実、人間の本態であることを歴史は述べていないだろうか。
いわば心理の生態系は、
常に”利己アメーバ”の増殖に脅かされる条件下にある。
”性悪科学”への防御を構築する熱意が失われると、
人間社会は性悪工程に切り替えられる。
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日本人は、社会の形を作り始める古き時代から、
最も肩書きに拘ってきた民族であると思う。
どの時代の階級社会であっても、
この社会の代表は天皇であり続けている。
民族の歩いてきた歴史の道筋はそこにしかないと信じ続けている。
朝廷の権威がかなり失墜しても、
武家の圧倒的な支配が何百年間続いても、
天皇に取って変わろうとしていない。
ひたすら天皇からの叙任に拘るのである。
叙されて、初めてその立場が公の権威となる肩書きであり続けた。
叙任なしでは、
自他共に武力を持った野合集団としか認識しなかったのだろう。
歴史の長い国の社会形成にあって、そのことに不思議を覚えてしまう。
大陸に見る民族抗争の多発の歴史と比しても、
民族移動が極めて少ない島国で、
なぜそこまで一点の求心が必要だったのだろうか。
日本は、そういう肩書きの誇示が千年を超えて尊重されてきた社会である。
実勢、実力と関わりなく、千年を超えて日本人に染みついている。
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世界を一変させたIT
先史時代は人口も交流も小さく、
仮に5000年の時間を経過したとしても、
その文明に変化を起こす要因は微少で、
生活の仕方やものの見方は、
先祖の暮らし方のずっと焼き写しであったろう。
文明の変化を誘発する主な要因は、
偏に自然環境の変化であったに違いない。
比べれば、
この2000年の急速な科学的な進歩の姿はむしろ異常である。
地球規模に展開された開発力の大きな誘因は、
宗教の隆盛と武器の開発である。
一つの知恵や技術の発見は、
連鎖して地球上の文明を揺り動かして、
水面に広がる小波のように世界中に伝播していった。
だが、IT技術による世界の変貌の早さは、まさしく圧倒的である。
時の趨勢は、たやすく猛烈な勢いでIT技術に覆われてしまった。
強烈な感染力をもつウイルスでも適わないスピードだろう。
膨大なデータの瞬時の操作に驚く以上に、
通信事情の劇的な変化は恐怖でもある。
世界に向けて、子供でも指を動かすだけで発信できる。
町中に置かれたカメラの映像は、瞬時に世界中に届くほど操作が容易だ。
5000年単位で、1000年単位でゆっくり動いてきた人間の文明は、
いまや10年単位で狂ったように世界を変えている。
仮に国が荒れているとしても、
未開の土地であろうとも携帯電話が使えるとは、
いったいどんな時代なんだろう。
人々はいまの状況にすばやく馴らされているが、
変貌の怖さにきっと気づけない。
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世に崇められている神は多い。
その神を構えて人々は結集する。
誠実な信仰は、神の教えに忠実に生きることだ。
だが、忠実が個人の域からはみ出して、
他者を排除する強い動機に変わると、
その排斥に生命を捧げるという人や集団が現れたりする。
そのとき神の名が頻繁に口にされる。
神に命を捧げると謳われる。
捧げられても、神にはその幻想の置き場所が存在しない。
もしかしたら、捧げる者にもそれはわかっている。
神を口にするのは、自己充足に枕言葉がほしいからだ。
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歴史の実像は、他者排撃の非情な殺戮しか示していない。
世俗の抗争の様相と何も違わない、
むしろ神をかたる分その残虐さは激しい。
現在でも、宗教上の排撃は目を覆うばかりだ。
宗教の歴史は、他者排除の凄まじい痕跡ばかりである。
だから、宗教とはいったい何なんだと、やっぱり問いたい。
それは神ではなく、
団体の教条であって、
言い出しっぺは、あくまでも人間である。
教条を構築したのも人間だ。
神の子、神の使者を登場させたのは、
団体にとっていかにも都合が良い。
さらに当該宗教の歴史の長さが、
宗教者たちの権威づけに都合が良い。
もう一度問いたい。
宗教者たちは、人々になにをなしているのか
彼らは、導いていると言うのだろう。
暗示、催眠、恍惚、言葉の麻薬、
しかし、それは医者の処方より役に立たない。
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宗教がある歴史と宗教のない歴史では、
どちらが
殺戮が少ない世界を作れるだろうかと空想してみたくなる。
他者排撃の論理は暴力と直結している。
この後の1000年も宗教が人々の生命の価値を揺るがすだろう。
人間は、宗教に精神を委ねない生活を創出できないのだろうか。
📌
神は人間を救ったことも、
愛したこともない、
使命を伝えることもない。
あなたの神は何が起こっても不動です 。
人間世界で何が起きても、岩のごとく黙してます。
それでもあなたは岩を愛している。
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移動も宿泊もファーストクラス級の旅をする人なら別だが、
やはりコンパクトな持ち物揃えが、旅の気軽さをつくる。
何を以てコンパクトというかは、個性が出るだろう。
アウトドア生活とか極寒地に行かないなら、
数ヶ月の旅行であっても、
以下の持ち物リストが最大限である。
旅する長さで減らすのは衣服だけ。
小道具類は変化させない。
空気が乾燥している地域は、
昼夜の温度差が大きいので夏でも冬用必携である。
持ち物を大きく分ければ、衣類と小道具である。
これまでの過不足の経験を踏まえて、以下にたどり着いている。
衣類こそ嵩が出る。
*割り切る。転用する。組み合わせを活用する。
小物で変化を付ける。
(速乾scarf、wool muffler、ベルト、帽子、ベスト、tie 、めがね)
*黒か紺のブレザーを1着、綿jacketを1着、軽いoutdoor味のjacketを2着
*薄手のレインコート1着(存外、使い勝手がある)
*ウールセーター、ダウンセーター、ダウンjacketを各1枚。
*チノパンツを3本、ジーンズは持って行かない。
*無地系か縞系のポロシャツ数点、Yシャツ1点
*寒さ用に中厚のスパッツを1枚加える。
*スポーツTシャツ(長、短) 3~4点、全ての場面で便利。外着、下着、寝間着に使う。
ブレザー以外の衣類全ての材質は、乾きの良さを最優先にする。
毎日の洗濯を心がけるのは、パンツ、socks、ハンカチの3品。
普段の生活でも、ウール類、羽毛の衣類を洗濯機洗いしている。
不都合は起きてない。
上記のうちから、一揃いを旅装として着用。
次に小道具類
*通信系 スマホ、充電器類、変換ソケット、3口タップコード
*記録系 カメラ、メモノート、ペン、コピー書類、SDカード、
*清潔系 洗面具、タオル、ティッシュ、簡易お尻シャワー、
*飲食系 スプーン・フォーク、カップ、コイルヒーター、ペティナイフ、簡易浄水器
*小金具系 マルチナイフ、針糸、爪切り、ミニネジ回し、
*薬系 常用薬、虫除け、塗り薬、マスク、体温計、アロマオイル、
*洗濯系 ひも、ピンチ、洗濯ネット、防水布バケツ、
*便利系 双・単眼鏡、目覚まし、小ランプ、粘着テープ、傘、予備袋類、
*防犯系 ワイヤー&南京錠、防犯alarm、防犯袋(pacsafe)、
これらを使い勝手に合わせて袋分け。
機内持込みは、25Lのバックパック。概ね8㎏ぐらいに収まる
預け荷物は、80L程度のソフトな2輪ローリーbag。
17~18㎏に収まる
ハード4輪ケースは、平坦でないところで不利。
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定点観察;
60を過ぎてニュージーランド・オークランドに語学留学した。
貧弱な会話力で、よく時々の外国での仕事を済ましてきたものと、その蛮勇は自嘲ものだ。
遠く中学時代から英語を習っているではないか、単語は十分じゃないか、ああ情けない。
このたどたどしさを少しはスムーズにしたい。
歳をくっていてもそれが動機だった。
6ヶ月間の学生である。やはり僕の年代は多くない。
100人の中に数名という割合だ。でも気にならない。
私は巧まず順応力が高いのである。
気楽風のおっちゃんなので、若い人たちも違和感なく近しく、いろいろ誘ってくれる。
イタリア人、フランス人、韓国人、カナダ人、ドイツ人、みな条件が同じなので壁がない。
当初はお上りさんよろしくで、あちこちの通りやカフェを回った。
よく歩いた。
朝7時にはカフェが開いている。朝食はいつもカフェである。
キョロキョロ歩きが2ヶ月ほど過ぎた頃から、
ある広めのカフェばかり行くようになった。
いつも同じ注文をするので顔も覚えられた。
このカフェの朝は混む。
いつも壁側の中程の席で、出入り知る客の動きを観察することが面白くなっていた。
出勤前の人たちの様子が見て取れる。
顔に見覚えのある常連客が何人も何組もいた。
それぞれのパターンも変わらない。
いつも珈琲をテイクアウトして職場に向かう人、
必ず書類に眼を通す人、いつも座り方が同じカップル、いつも誰かと声高に話す人、
今朝は機嫌が悪そうな人、服装や持ち物、店員との間の取り方、
どれも普段の表情が見えて興味深い。
移動の多い旅行にはない定点の面白さである。
旅先で日本語を良くするフラン人に、フランス人は外国人に冷たいと言ったら、
彼女はフランス人はフランス人にも冷たいのよと言った。
僕は目からウロコ・・の合点がいった。彼らは他者に幻想を抱かないのだと思う。
フランス人への印象に限らず、私たちは異国人の親切を暗に期待しすぎている。
「人は親切‥」は当然のことではない。
余所者が疎まれ、警戒される事は自然であって本態的な反応なのだ。
それが第一義だ。
日本人は親切だと言われ慣れていることの奢りか、訝しがる感覚が鈍化してないか。
どうも表面的な印象に幻想を持ちすぎて、誤認してしまうことが多そうだ。
人の柔らかさとか親切とは一体何だろう。
バングラディッシュで案内の現地人と2泊の遠出をした。
食事は町や村の食堂、トイレは見つかればどこでも入った。
広い食堂も時間によって満席に近い、一人スプーンで食べるのも目立つので、
手で挑戦するのだがいつも上手くいかない、彼らの見事な指使いには適わない。
当たり前なのだろうが、器は見事に拭われている。
食事後、彼らは使った指先をちょこっと洗うだけで済み、
僕は両手を洗うことになる。
村のトイレでは、目の前に空き缶がぶら下がっていて、大きめの缶に水がある。
紙を使うにしてもそれを捨てるところがない。
現地流にやりたいという好奇心もある。
だが、やはり水を上手く尻穴に運べない、的を外して広めに濡れてしまう。
汚れた自分のお尻に指が触れる事への抗いが邪魔になる。
このままだと缶の水がなくなってしまうゾと心配したりする。
しかし、このご当地流の尻洗いは、紙で拭うよりよほど理に適っている。
近頃は簡易なお尻シャワーの出現があって助かる。