世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

性悪説

2018-03-17 | 世間にはいつも毒が・・

 

 📌

世界に絶える事なく続出している悲惨な状況を見ていくと、

荀子の性悪説には、

人間社会の必然を示す科学性があるように思えてしまう。

俗説ではなく、人間や組織や社会の帰結を裏付ける明察ではないのか。

性善説は幻想に近い願望であって、

性悪説こそ現実、人間の本態であることを歴史は述べていないだろうか。

いわば心理の生態系は、

常に”利己アメーバ”の増殖に脅かされる条件下にある。

”性悪科学”への防御を構築する熱意が失われると、

人間社会は性悪工程に切り替えられる。

 

 

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肩書き

2018-03-17 | 組織が悪魔になる時

📌

 日本人は、社会の形を作り始める古き時代から、

最も肩書きに拘ってきた民族であると思う。

どの時代の階級社会であっても、

この社会の代表は天皇であり続けている。

民族の歩いてきた歴史の道筋はそこにしかないと信じ続けている。

朝廷の権威がかなり失墜しても、

武家の圧倒的な支配が何百年間続いても、

天皇に取って変わろうとしていない。

ひたすら天皇からの叙任に拘るのである。

叙されて、初めてその立場が公の権威となる肩書きであり続けた。

叙任なしでは、

自他共に武力を持った野合集団としか認識しなかったのだろう。

歴史の長い国の社会形成にあって、そのことに不思議を覚えてしまう。

大陸に見る民族抗争の多発の歴史と比しても、

民族移動が極めて少ない島国で、

なぜそこまで一点の求心が必要だったのだろうか。

日本は、そういう肩書きの誇示が千年を超えて尊重されてきた社会である。

実勢、実力と関わりなく、千年を超えて日本人に染みついている。

 
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IT技術が怖い

2018-03-17 | 従いていけるか

 

📌

世界を一変させたIT

先史時代は人口も交流も小さく、

仮に5000年の時間を経過したとしても、

その文明に変化を起こす要因は微少で、

生活の仕方やものの見方は、

先祖の暮らし方のずっと焼き写しであったろう。

 

文明の変化を誘発する主な要因は、

偏に自然環境の変化であったに違いない。

 

比べれば、

この2000年の急速な科学的な進歩の姿はむしろ異常である。

地球規模に展開された開発力の大きな誘因は、

宗教の隆盛と武器の開発である。

 

一つの知恵や技術の発見は、

連鎖して地球上の文明を揺り動かして、

水面に広がる小波のように世界中に伝播していった。

 

だが、IT技術による世界の変貌の早さは、まさしく圧倒的である。

時の趨勢は、たやすく猛烈な勢いでIT技術に覆われてしまった。

強烈な感染力をもつウイルスでも適わないスピードだろう。

 

膨大なデータの瞬時の操作に驚く以上に、

通信事情の劇的な変化は恐怖でもある。

世界に向けて、子供でも指を動かすだけで発信できる。

町中に置かれたカメラの映像は、瞬時に世界中に届くほど操作が容易だ。

5000年単位で、1000年単位でゆっくり動いてきた人間の文明は、

いまや10年単位で狂ったように世界を変えている。

仮に国が荒れているとしても、

未開の土地であろうとも携帯電話が使えるとは、

いったいどんな時代なんだろう。

人々はいまの状況にすばやく馴らされているが、

変貌の怖さにきっと気づけない。

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崇める

2018-03-17 | 「鰯の頭も信心から・・」

📌

世に崇められている神は多い。 

その神を構えて人々は結集する。

誠実な信仰は、神の教えに忠実に生きることだ。

だが、忠実が個人の域からはみ出して、

他者を排除する強い動機に変わると、

その排斥に生命を捧げるという人や集団が現れたりする。

 

そのとき神の名が頻繁に口にされる。

神に命を捧げると謳われる。

捧げられても、神にはその幻想の置き場所が存在しない。

もしかしたら、捧げる者にもそれはわかっている。

神を口にするのは、自己充足に枕言葉がほしいからだ。

 

 📌

歴史の実像は、他者排撃の非情な殺戮しか示していない。

世俗の抗争の様相と何も違わない、

むしろ神をかたる分その残虐さは激しい。

現在でも、宗教上の排撃は目を覆うばかりだ。

宗教の歴史は、他者排除の凄まじい痕跡ばかりである。

だから、宗教とはいったい何なんだと、やっぱり問いたい。

それは神ではなく、

団体の教条であって、

言い出しっぺは、あくまでも人間である。

教条を構築したのも人間だ。

神の子、神の使者を登場させたのは、

団体にとっていかにも都合が良い。

さらに当該宗教の歴史の長さが、

宗教者たちの権威づけに都合が良い。

もう一度問いたい。

宗教者たちは、人々になにをなしているのか

 彼らは、導いていると言うのだろう。

暗示、催眠、恍惚、言葉の麻薬、

しかし、それは医者の処方より役に立たない。

 

 📌

宗教がある歴史と宗教のない歴史では、

どちらが

殺戮が少ない世界を作れるだろうかと空想してみたくなる。

他者排撃の論理は暴力と直結している。

この後の1000年も宗教が人々の生命の価値を揺るがすだろう。

人間は、宗教に精神を委ねない生活を創出できないのだろうか。

 

📌

神は人間を救ったことも、

愛したこともない、

使命を伝えることもない。

あなたの神は何が起こっても不動です 。

人間世界で何が起きても、岩のごとく黙してます。

それでもあなたは岩を愛している。

 

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旅の持ち物

2018-03-17 | 旅行ちょい話

 📌

移動も宿泊もファーストクラス級の旅をする人なら別だが、

やはりコンパクトな持ち物揃えが、旅の気軽さをつくる。

何を以てコンパクトというかは、個性が出るだろう。

 

アウトドア生活とか極寒地に行かないなら、

数ヶ月の旅行であっても、

以下の持ち物リストが最大限である。

旅する長さで減らすのは衣服だけ。

小道具類は変化させない。

空気が乾燥している地域は、

昼夜の温度差が大きいので夏でも冬用必携である。

 

持ち物を大きく分ければ、衣類と小道具である。

これまでの過不足の経験を踏まえて、以下にたどり着いている。

 

衣類こそ嵩が出る。

*割り切る。転用する。組み合わせを活用する。

小物で変化を付ける。

 (速乾scarf、wool muffler、ベルト、帽子、ベスト、tie 、めがね)

*黒か紺のブレザーを1着、綿jacketを1着、軽いoutdoor味のjacketを2着

*薄手のレインコート1着(存外、使い勝手がある)

*ウールセーター、ダウンセーター、ダウンjacketを各1枚。

*チノパンツを3本、ジーンズは持って行かない。 

*無地系か縞系のポロシャツ数点、Yシャツ1点

*寒さ用に中厚のスパッツを1枚加える。

*スポーツTシャツ(長、短) 3~4点、全ての場面で便利。外着、下着、寝間着に使う。

ブレザー以外の衣類全ての材質は、乾きの良さを最優先にする。

毎日の洗濯を心がけるのは、パンツ、socks、ハンカチの3品。

普段の生活でも、ウール類、羽毛の衣類を洗濯機洗いしている。

不都合は起きてない。

上記のうちから、一揃いを旅装として着用。

 

次に小道具類

*通信系 スマホ、充電器類、変換ソケット、3口タップコード

*記録系 カメラ、メモノート、ペン、コピー書類、SDカード、

*清潔系 洗面具、タオル、ティッシュ、簡易お尻シャワー、

*飲食系 スプーン・フォーク、カップ、コイルヒーター、ペティナイフ、簡易浄水器

*小金具系 マルチナイフ、針糸、爪切り、ミニネジ回し、

*薬系  常用薬、虫除け、塗り薬、マスク、体温計、アロマオイル、

*洗濯系 ひも、ピンチ、洗濯ネット、防水布バケツ、

*便利系 双・単眼鏡、目覚まし、小ランプ、粘着テープ、傘、予備袋類、

*防犯系 ワイヤー&南京錠、防犯alarm、防犯袋(pacsafe)、    

これらを使い勝手に合わせて袋分け。 

 

機内持込みは、25Lのバックパック。概ね8㎏ぐらいに収まる

預け荷物は、80L程度のソフトな2輪ローリーbag。

17~18㎏に収まる

ハード4輪ケースは、平坦でないところで不利。

  

 

 

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旅はのぞき見、今日も明日ものぞき見。

2018-03-17 | 旅行ちょい話

 📌

定点観察;

60を過ぎてニュージーランド・オークランドに語学留学した。

貧弱な会話力で、よく時々の外国での仕事を済ましてきたものと、その蛮勇は自嘲ものだ。

遠く中学時代から英語を習っているではないか、単語は十分じゃないか、ああ情けない。

このたどたどしさを少しはスムーズにしたい。

歳をくっていてもそれが動機だった。

6ヶ月間の学生である。やはり僕の年代は多くない。

100人の中に数名という割合だ。でも気にならない。

私は巧まず順応力が高いのである。

気楽風のおっちゃんなので、若い人たちも違和感なく近しく、いろいろ誘ってくれる。

イタリア人、フランス人、韓国人、カナダ人、ドイツ人、みな条件が同じなので壁がない。

当初はお上りさんよろしくで、あちこちの通りやカフェを回った。

よく歩いた。

朝7時にはカフェが開いている。朝食はいつもカフェである。

キョロキョロ歩きが2ヶ月ほど過ぎた頃から、

ある広めのカフェばかり行くようになった。

いつも同じ注文をするので顔も覚えられた。

このカフェの朝は混む。

いつも壁側の中程の席で、出入り知る客の動きを観察することが面白くなっていた。

出勤前の人たちの様子が見て取れる。

顔に見覚えのある常連客が何人も何組もいた。

それぞれのパターンも変わらない。

いつも珈琲をテイクアウトして職場に向かう人、

必ず書類に眼を通す人、いつも座り方が同じカップル、いつも誰かと声高に話す人、

今朝は機嫌が悪そうな人、服装や持ち物、店員との間の取り方、

どれも普段の表情が見えて興味深い。 

移動の多い旅行にはない定点の面白さである。

 

旅先で日本語を良くするフラン人に、フランス人は外国人に冷たいと言ったら、

彼女はフランス人はフランス人にも冷たいのよと言った。

僕は目からウロコ・・の合点がいった。彼らは他者に幻想を抱かないのだと思う。

フランス人への印象に限らず、私たちは異国人の親切を暗に期待しすぎている。

「人は親切‥」は当然のことではない。

余所者が疎まれ、警戒される事は自然であって本態的な反応なのだ。

それが第一義だ。

日本人は親切だと言われ慣れていることの奢りか、訝しがる感覚が鈍化してないか。

どうも表面的な印象に幻想を持ちすぎて、誤認してしまうことが多そうだ。

人の柔らかさとか親切とは一体何だろう。

 

バングラディッシュで案内の現地人と2泊の遠出をした。

食事は町や村の食堂、トイレは見つかればどこでも入った。

広い食堂も時間によって満席に近い、一人スプーンで食べるのも目立つので、

手で挑戦するのだがいつも上手くいかない、彼らの見事な指使いには適わない。

当たり前なのだろうが、器は見事に拭われている。

食事後、彼らは使った指先をちょこっと洗うだけで済み、

僕は両手を洗うことになる。

村のトイレでは、目の前に空き缶がぶら下がっていて、大きめの缶に水がある。

紙を使うにしてもそれを捨てるところがない。

現地流にやりたいという好奇心もある。

だが、やはり水を上手く尻穴に運べない、的を外して広めに濡れてしまう。

汚れた自分のお尻に指が触れる事への抗いが邪魔になる。

このままだと缶の水がなくなってしまうゾと心配したりする。

しかし、このご当地流の尻洗いは、紙で拭うよりよほど理に適っている。

近頃は簡易なお尻シャワーの出現があって助かる。

 

 

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