おはようございます。
春を迎えるにあたって黄砂、花粉、pm2.5 様々なモノが天から降ってきました。
それもようやく収まりかけてきました。
田んぼが水をたたえてきますと 田植え時期にかかってきます。
この時期は気温もまだ不安定な頃ですが今朝も少し肌寒いなぁとボヤきながら起きました。
私は寒がりでもないのですが、この数年は寒さを堪えるとノドに来るようになりました。
来る・・少しいがらっぽくなるのですが歌手でもないのでどうってことないのですが、
朝に励行していますラジオ体操。あの動作の中で前向きに上半身を
倒してそれから後ろに反る動作があります。腰のあたりに手を当てて うぅ、と声を上げながら後ろに反る
あの動作の時にノドを痛めてると咳き込むのです。私の健康のバロメーターのひとつが 後ろ反りの時に
咳が出るかで身体の調子がわかるのです。
今年の1月頃から毎朝毎朝このラジオ体操をやってますと、エライものですねぇ、
左右に曲げる動作や前後の屈伸など ずいぶんと曲がるようになりました。
最初は寒い中 無理して ゴキリ、とでもなったら泣くにもなけんなぁ、とソロリソロリと
自分の身体に、どや、大丈夫か 訊きながらやっていました。
一月の寒空、朝も早いうちから パーポーパーポーのお世話にはなりたくありませんからね。
しかし 慣れというものはやっぱりあるのですよ。
最初は、寒さの中ということもあるでしょうが、前後屈折がほとんで出来なかったのが
今ではソコソコ曲がるようになりました。 但しこれは本人の感想でして効果を表すものではありません。
とお断りを述べておかないと広告審査機構からお叱りを貰わないように (笑)
話がずいぶんと逸れました。
要はこの春先ですが、暖かいようでも朝晩はヒヤリとする日がありますよね。
そんな時にウォーキングをしたあと汗ばんだりして まぁいいや乾くだろうと放っておくと
ゾクゾクとすることがあります。
私の場合ゾクゾクの前に先ずクシャミが出ます。
あのクシャミっていうのは、大きな声でやるとスカッとしませんか。
私はそのクシャミを3回ほど連発したあと 背中に悪寒が走るようです。
シマッタ、と悔やんでもあとの祭り。
悔やむ とはウォーキングから帰って来たら一番に着替えをするべきだったのです。
ですが 無精な私は帰ってくると先ず、お茶を飲みます、それは運動のあとの水分補給。
身体は絶えず水気を欲している と何かに書いていたのを実行していますが、汗をかいたあとの処置は
おざなりになっています。
お茶を飲むについてはテーブルの上にコップとお茶が揃って置いてあるので手間かからず。ですが
着替となると、二階の部屋まで上がってタンスの抽斗(これ、引出しと読むそうです)を開けて
シャツを取り出さないといけません。そして着替たシャツは洗濯機に入れなきゃなりません。
とまぁ書いてもこれだけの字数になるのですから いざ実行に移すとなると雑作(ぞうさ)なこととなって
しまうのです。
せっかく歩いて心身ともに気持ち良くなったらお茶飲んで(もっと暑くなったらビールかな、)
冷えた牛乳を飲んでポテチをパリポリと摘んでドテっとしてテレビ観るのが今生の至福の喜びなんですよ。
そしてテレビを見る時につくづく今の世の中は便利になったなぁ・・と思います。
今しがた寝転がってテレビを見ると言いましたが これが私の小学生の頃ですと、寝転がってテレビを見る
とまではいいのですが、番組が終わったり 面白い番組無いかなぁと探したりするときには、いちいち起きて
テレビの横にあるチャンネルを廻さないといけないのです。 んん・・意味がわからん!
寝転がってテレビのチャンネルを変えるのに起き上がって操作をする、しかもテレビの横で・・?
近未来に生誕された方には、二十世紀の生活様式が理解できないでしょう。
日進月歩の世の中で家庭用電化製品、例えばテレビ、冷蔵庫、洗濯機、クーラ、掃除機などは出来た昔から
基本的には変わりないように思います。
ですが、細かいところで 今のようなコントローラが出来たことは無精な
私にはノーベル賞を差し上げたいほどの便利な発明に思えます。
だって昔なら テレビの画面の横に丸い器具、チャンネルが付いていました。
当時 チャンネルという単語、初耳でしたが、実効性のある
モノですから、直ぐに覚えましたが、あの頃以来外来語がそのままで流通しました。
もっと昔は森鴎外や夏目漱石などの偉い学者さんが日本人にはやはり日本語が良い。
お湯という日本古来からの優雅な言葉がある、米国はホットウォーターと言ってる、彼らには優雅さや風情
言葉の多彩性など微塵もない、あんなのと一緒にしたらアホになってしまう、
と外来語をわざわざ日本語に直していらっしゃいました。ベースボールは野球、テニスは庭球、
卓球もそうですし、旅行、化学、運動、天文台、植物・・・
今我々が何気なく話してる単語は大体明治時代の偉い学者さんが考えた言葉だそうです。
ですが、戦後になるとアメリカの統治のもと外来語が洪水の如く入ってきました。
そうなると もう学者さんもお手上げ状態。元来が新しモノ好きな国民性があった所為で
またたく間に外来語が溢れました。
そんな中でのチャンネル。
昭和の中頃に育った人は、今でもチャンネルを廻すだとかテレビを廻す(笑)と言う人いらっしゃいますね。
近未来に育った人は、 テレビはもとよりチャンネルを廻す というのを理解出来ないのは仕方のない話で
チャンネルは変替えるモノで 廻すモノではない、だってチャンネルとはボタン式になってるのに
どこをどうして回すのかと嘲笑されてお仕舞。
唯一 洗濯機を廻す、これは発売以来 未だに回してるのですから共通語でしょうか。