寝転がって気軽に思いました😚😚

寝転がって気ままに思いました。の続編です。
たぶん、おもしろいと思いますのでお立ち寄り下さいな。

遺伝子のお陰でしょうか。

2025年03月11日 13時59分01秒 | penhorse813@gmail.com

  おはようございます。

だいぶ暖かくなりました。ですが、寒の戻りが時々来るようで

油断がならないこの頃です。

 先週 皮膚科に行ってきました。

私の住む関西の某閑処にあるたった一軒の皮膚科の開業医さんですが、

ものすごく混流行っています。

私は右足のカカトのざらつきが気になって通っていますが

そもそも皮膚科なんて生涯お世話になる事はないと思っていました。

 ところが十年ほど前から 今のカカトのざらつきが気になり出したのですが、

それよりも足の指に白いプツプツが目立つようになり、まさか、これって ひょっとして…

イヤな予感がしました。というのも昔、(少学生の頃かな)親父が風呂上がりに 

片膝をついて何やらごそごそしてるのを思い出したのです。

その時はテレビのコマーシャルの合間に見ただけで あまり気になりませんでしたが、

しょっちゅう見てる内に何だろう…と思い ある晩訊いてみました。

「何してるん?」片膝を曲げて何やらチューブらしきモノを塗ってる様子を

私は這ってのぞき込みました。すると親父は、素っ気なく「クスリを塗ってるんや」と言うと

 クルッと私から背を向けてクスリを仕舞いました。

それ以来 クスリの処置を見た覚えがないので 治ったのか或いはわんぱく坊主に見られて

親父の権威を失墜しないようにと防御したのでしょうか。

 それから少しして また気になったので、今度はおばあちゃんに聞いてみると 

くつろぐ親父を横目で伺いながら そっと「ミズムシと違うかね」 と教えてくれました。

そして お父ちゃんに言ったらアカンでと釘をさすのです(笑)

その時は 何か判ったような判らないままに頷いてお終い。

 だいたいミズムシがよく分かってなかったわりに何故かミズムシという言葉だけ

が脳裏に残っていたようですね。

 それから幾十年の霜雪が過ぎ親父やおばあちゃんも鬼籍に入ってしまった今ごろ、

皮膚科の診察室でいつもの通りカカトの塗り薬をもらいながら センセーに足の指の白いつぶを

訊いてみました。センセーは私の右の足を小さな台に乗せて虫めがねでジロリと診ると

「これは白癬菌ですねぇ」とひと言。  

ん…なんですか?私が聞き直すと 「ミズムシの一種です」と今度はきっぱり。

このクスリを塗ればひと月くらいで治りますから…と渡されたチューブ型のクスリを見た

その一瞬、私は何十年も遥か小学生までタイムスリップしました。

 そうか!あの時親父が足の指に塗り込んでいたチューブ風のクスリは ミズムシ用だったんだ、とね。

そう云えば カカトにも熱心にクスリを塗っていましたっけ。

 ところで、このカカトのカサカサを柔軟にするワセリンみたいなのと

白癬菌治療の塗りクスリとは別なのです。

 センセーの説明ではカカトのカサカサには乾燥を避けるのが良策で一方白癬菌を退治するには

患部の乾燥が良策だと仰るのです。

 説明を聞いてハイ、分かりました。と応えて退室する背中に補助役の看護から お大事に 

と声をかけられ、お大事…と胸中で復唱したら 何だか足の部分の指先は乾燥、

カカト部分は湿気を と言われたのを思い出すと一見理に適ったようでも寝る前に

それぞれの軟膏を塗ればひと晩寝てるあいだに擦れて混じらないのかなぁ…と少し気になりました。

 そして、そんな時、親父はどうしたんだろう…ふと親父の顔を思い出しました。

それでも良い案は出ませんでしたが、気休めになったらしくて こんな面倒な病気で

親父似が出たのかと思うとなぜか少し嬉しい気がしました。

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頑張れ、復興目指せ!

2025年03月11日 06時35分19秒 | penhorse813@gmail.com

  おはようございます。

今日が東日本大震災から十四年。

 「 犠牲にとなられた方々への追悼をお願いします。

皆様には、午後2時46分から1分間の黙とうをお願いいたします。 」

これは新聞の一面の左側に 政府広報復興庁 として載せられています。

早いものですねぇ。

十年ひと昔と言いますが、この十四年間当事者の皆さんには大変な

ご心労ご不便をされたことでしょう。

あらめてお見舞いを申し上げます。

 あの日、私は勤務でその時間は社用車に乗っていて

ちょうど信号が赤になり停まっていました。

その時にふわふわという感触がクルマを包むようにありました。

なんだろう…信号機が少し揺れているように見えましたがまさか地震とは思えませんでした。

すぐにラジオから東北で大きな地震がありました。と繰り返す放送が流れてきました。

私が東北?と思ったのはここから千キロ以上離れているのに…まさか今のが地震の揺れだったのか?

と思ったからです。

 神戸の大震災からもう十数年経っていた頃でしたが、私の住む家は神戸と同じ関西地方で

直線で約百キロ。早朝でしたが物凄い揺れで二階で寝ていた私は起きるどころが家の部屋が

ギシギシと軋みながら家が横揺れしました。そのあいだは金縛りにあったように

動けませんでした。揺れが収まってようよう起き出してテレビを点けてみると大きな地震があった

、と大きな見出しと共に速報が出ていました。

後から分かったのですが私のところが震度5、てっきりここら辺が震源地 だと思うくらいで

あんなに大きく揺れたのを体感したことはありませんでした。

 後に他の大きな震災の時も、わずかながらの体感がありますが

大きく広い日本でも離れているはところの地震の揺れを感じるのですから

如何に地震のエネルギーが巨大なのでしょうか。

震災の記事も年々薄れて来ますが、悲しみを受け入れながら復興を目指して頑張って下さい。

 復興復旧については 遅い という厳しい指摘があります。

大きな震災はなぜか寒い頃が多い気がしますが作業をされてる方々や被災者の皆さんが

寒さに凍えながら頑張っていらっしゃる姿を見るにつけ心から応援をさせて頂いています。

 報道から迅速な作業が行われているようで、まだまだとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが

諸外国の災害後の復興復旧とを比べると日本は段違いに速いようです。

まだまだ寒暖おり混ざっている中ですがご自愛されながら健康に過ごされますように

祈念いたします。

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昨日の解答です  へへ

2025年03月07日 14時36分13秒 | penhorse813@gmail.com

 おはようございます。

昨日の解答を載せさせていただきます。

六借(むつかし) 不束者(ふつつかもの)若し(も)流石(さすが)適う(あ)

不図(ふと)口籠る(くちごも)成丈(なるたけ) 依怙地(いこじ)仄聞(そくぶん)

肌理(きめ)遁げる(に)お転婆(てんば)蒐集(しゅうしゅう)悦(よろこ)閑人(ひまじん)

(例)難しい (例)不束者ですが、よろしく(例)若し…Ifです。(例)流石に君はよく分かる

(例)君と気が適う (例)不図思う(例)成丈 楽したい(例)依怙地、片意地になる

(例)仄聞…うわさによれば(例)肌理細かい (例)遁げる 逃げる(例)お転婆、最近使いませんが活発な女性

(例)蒐集…集める

 最近使わなくなってるのもありますね。そしてよく見ると難漢字のクイズになって仕舞ってますね。

そうそう仕舞ってる…当て字の部類でしょう。

普通にひらがなでよいところをわざわざ漢字にする、明治から昭和初期に流行った ことば遊びのようです。

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漢字にこだわるかな

2025年03月07日 08時22分45秒 | penhorse813@gmail.com

  おはようございます。

三寒四温 以前 さんかんしおん と聞いて なんです?と訊き返して恥を掻いた記憶が

今でもあります。一昨日の 啓蟄(けいちつ)にしても 知らないと解らない事は

いっぱいあります。 けど、あまり気にするのもどうかと思うのは、知らんからというて

死なないし…とイヤミで言われた事があります。

世の中右と左 正反対があるようで知らなかったら嘲笑(わら)われて、知らないの?

と訊けば咎められて…どちらにしても声の大きい方に傾くのが世の常のようです。

話変わりますが、このブログを書くとき…打つのほうが適切のようですが、単語を

打つとき、例えば 啓蟄 ですと けいちつ と打てば何種類か出てきて

その中から選べばいいのです。昔なら 書く頃の話しですが 啓蟄 を辞書で調べて

辞書片手に啓蟄 を写すのですね。よほど漢字に精通している人でも やっぱり辞書を

繰りながらの執筆は草臥れたでしょうね。

この草臥れた…くたびれた と読むようです。たまたま 打ったら この漢字が出てきて

当て字でしょうが 入れてみました。

 他には、 六借、 不束者、若し、流石、適う、不図、口籠る、成丈、

 依怙地、仄聞、肌理、遁げる、お転婆、見窄らしい、

どうでしょうか、皆さん読めますか。私は暇を見つけて集めたのですが、

こんなの蒐集して悦んでるくらい閑人ですね(笑)

ちなみに当て字ですから素直に読むか、若しくは理屈で読むかです。

 解答は明日です。

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高校生の部活の事件です。

2025年03月06日 07時52分51秒 | penhorse813@gmail.com

  おはようございます。

今朝の新聞見ましたか? まぁ新聞社の社是によって載せていないところもあるかも知れませんが、

とにかくニュースとして取り上げている内容をお話ししましょう。

まず、何日か前からブツブツと湧いたような記事がありました。

スポーツに関わりのある というよりもっと聖域の高い高校野球のニュース

この時期に載るのですから、まぁ不祥事であります。

 かつての高校野球の名門、強豪校としてファンの方なら知らないくらい有名な

平安高校、今は系列校として龍谷大学付属平安中学校・高等学校(略竜谷大平安)の

監督が部員の頭やその周辺をノートで何度も叩いた。というもので

これが部員への暴力行為になる として学校側は本人に確認を取って然るべき処分(懲戒処分)

に処する前に本人から学校職員と監督の退任の届けが出たので受理をした。

 この記事を見て 私の感想は、 まだこんな事やってるんか… でした。

新聞社の社会面を眺めていますと まだまだこのような暴力沙汰

(ホントの暴力行為ではなくちょっと手が出た)とたぶん監督、コーチの認識なんでしょうが、

やったこともない素人でも、やっちゃいけない、と解っているのですが…残念ですね。

そして昨今は、それが致命傷になって永年築き上げた実績や名声は一瞬にして水泡と化すのです。

 この監督も64歳であと1年で定年になるはずでした。勇退の自身への花向けに と気負っていた

のではないか…と学校側は監督をかばうような発言がありました。又、不祥事を起こし処分(懲戒処分)も

決まっていたのに敢えて退任を受理したのも不可解。官公庁でもよく似た事件の場合、引責辞任で本人が

退職して退職金をしっかり受け取る事例がよく見られます。まぁよほど非道いと受理せずに懲戒解雇処分

とするようですが、解雇以外のl処罰ですとだいたい本人の申し出を受けるのが社会の通念のようです。

話しが逸れましたが そんなわけで 監督は少し謝罪をしたのでしょうが、永年務めた母校を

寂しく去っていくことになりました。

あとで調べると この手の事件…というよりも話題は高校野球に限らず他の部活動でも頻繁に

起こっているようです。ただし無名に近い高校だったりすると もう全国紙では扱わないようで

ココに載ることはいわゆる一種のステータス。良いことならいくらでも載ってほしいけど…(苦笑)

 もう一点。これは駅伝部のニュースです。

昨年の高校駅伝大会で見事準優勝に輝いた 福岡県の大牟田高校駅伝部の部員1、2年生19人

のほとんどが鳥取県の城北高校に転校する手続きを進めている。

実質的に監督の役割り果たしているHC(ヘッドコーチ)が今月末で退職して鳥取城北高校で

指導する見通しで、教え子がついて行くのです。

この手の学園ドラマであれば、学校側が折れてHCは残任、部員は元のサヤに収まって一件落着でしょうが

この場合は実業団の元監督を迎える方針でHCはその下サポートとしてやってほしい、いわゆる

降格人事になるのでしたが、つい数ヶ月前に全国大会で準優勝したHC(実質的監督)に取る処遇

がこれではHCは承服し難く退任となったようです。

 こんな事 アリ?私はもう一度記事を見直しましたが やっぱり集団転校に紛れがなかったですが

しかし このHCはよほど指導力があるようですね。

高校生という過感な年代の部員に慕われるのはよほどの人物なのでしょう。

このふたつの記事がたまたま今朝の新聞に載っていましたが高校野球は社会面、駅伝はスポーツ面。

ちょっと気を引いた記事でしたのでご紹介しました。

 

【追申】さっき(夕方)のワイドショーを見ていたら、駅伝のHCも2022年に暴力事件を部内で

起こして処分されたそうです。

但し保護者や部員から処分のあとも指導を受けたい、とかばっていたそうです。

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