ノッポの放冗記

エンジニアとバスケのどうでもいい体験・知識・情報を綴ります。行くボールのながれは絶えずして、しかも私の本に帰ってこず。

Basketball

2021-02-08 23:04:17 | Basketball

 今朝は一面雪景色、長女が出がけに素っ頓狂な声で「雪が凄いよ」と確認してみると大したことはなかったのですが、長女にとっては雪深かったのですかね。

 

 

 

 今宵のDRAGONS.BB練習は、妻実家の急用のためところてん方式でいくつかの家庭対応がノッポに回ってきたのでやむを得ず欠席。

 今年は技術向上並びに戦術理解を深めるため(度重なる失敗を繰り返さぬよう)、D・C級コーチ講習会ワークブックで事前学習としてあれこれ書いて慣れたせいでしょうか、練習後にはメモを残してます。

 

 

 基本は書いて覚えるアナログな昭和世代なので、書き進めていると意外と刷り込まれています(たぶん)。

 バスケットボールは中学から始めるも公式・非公式合わせて必敗無勝だったチームでは戦術はなく、ファンダメンタルも備わらず。

 なので高校は初心者同然、4代上までは県内強豪だったようですが、強豪時のコーチは緑の高校へ転任して成績の良い中学プレイヤーは根こそぎスカウティングされ、そのあおりを受けてオレンジ高校にはスカウティングされないプレイヤーが集まり(転任を境に逆となったわけで)、ノッポの代に至っては各市町村弱小チームの補欠メンバーばかりの三線級といった具合でした。

 ノッポにとってはそれが幸いしたのか外部コーチだった徳さんから徹底的にファンダメンタルをたたき込まれて、何とか形になるも元々のポテンシャルが低かったので実質2年間では時間が足りずチーム一同結果は残せず。

 大学では体育会部には入らず(当時、教育学部以外の入部者はほとんど居なかったはず)、社会人の二水クラブに加入、過去に強かったオレンジ高校と当時の強豪だった緑の高校からのOBを主体としたチームは県内でも1,2を争う強豪で1993年には全国クラブ選手権に出場しています。

 そんなチームなのでほとんど出場機会は無く、出たときも何もせずにスパッとラストパスが来るといった熟練チームでは勝つ喜びを初めて覚えるも技量を覚えることはなく。

 仲の良かった先輩が大学を卒業して県内外へ巣立ってチームで見かけることが無くなると自然とノッポの足も遠ざかりそのままFade Away。

 時を経て、今の会社に入社すると会社先輩のパナソニック政経塾長から津幡ファイブの練習に誘われ約4年ぶりにコートに立つも、当時のチームは主力メンバーがごっそり抜けた超暗黒期で人数をそろえることがやっとの状態、技術や戦術以前の問題で人足として貴重な存在?でしたが、1998年夏に肺病に見舞われそのままFade Away。

 そこから13年余りを経てまたもやパナソニック政経塾長に誘われ津幡オヤジファイブに加入、県登録チームでないので細々と練習していたところ、2014年にある筋を介してANTIQUESの練習に参加、そのまま加入。

 チームは40代半ば以降が中心で、戦術は各人独立独歩の臨機応変フリーランス型、技術力向上というよ維持が主の良く言えば大人なチーム、悪く言えば不干渉といったところでしたが、2018年のカテゴリー変更によりKNCのメンバーが大量加入、チームにも刺激が加わり活性化、とうとう今年度のO50選手権で宿敵?のUMを撃破して優勝したことは先に述べたとおり。

 一方で、ノッポは40代最後、たまたまANTIQUES練習に参加されているエース猫背さんの伝手を頼って石川県の「虎の穴」ことDRAGONS.BBの門を叩かせていただき、今に至っています。

 技術や戦術は30年を経て大きく様変わりしていますが、今は高校・クラブ時代以来でしょうか、細かな指導を仰ぎながらも下手なりに楽しませてもらっています。

 総体的にはチームの仲間に恵まれてきたかなと改めて思う次第で。

 独り心地で少々?多々?長くなりました。


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