なんで三線やってるんだろう!?
20代30代はバイクで旅ばかりしていた。
素敵な景色や人との出会いが旅の醍醐味。
40歳の骨髄移植(提供)をきっかけに三線と出会うことに。
骨髄移植のために東京の病院に何度か通ったのだが、時間があれば近くの上野公園を散歩していた。
ある時、三味線を弾いてる若者に出会い、三味線の音色に興味を持った。
CDを聴いてみようと思い、たまたま手にしたのが沖縄民謡と津軽三味線のCDだった。
そして三線と津軽三味線を同時に始めることになった。
津軽三味線は教室で習つもりだったが、入った教室は間違って長唄三味線だった。
長唄というのはよくわからなかったが、なんとなくやることに。
結局、津軽三味線は独学で。
三線はカンカラ三線を自作して、独学で始めた。
大戦時に沖縄の人達が収容所に入れられたが、
その時、カンカラ三線を作って、みんなで沖縄民謡を歌って頑張ってたという。
そんな話に感動したため、三線を始めるときはカンカラ三線を自作しようと思った。
数ヶ月間カンカラ三線で練習して、沖縄を旅した時に本皮の三線を手に入れた。
ある時、
あなたにできることでボランティアしませんか?
という老人ホームのポスターを見て、
三味線弾けば喜ばれるかな? と思い、さっそく出かけた。
初めてのボランティアだ。
案内してくれた職員が演奏前に言った。
あなたがいくら上手く三味線弾いても何も反応しないかもしれないけど、
気にしないでくださいね。
特別養護老人ホームだったので、重度の認知症の方が多かったのだ。
津軽三味線でじょんがら節とあいや節、その後は博多の民謡や童謡唱歌などを演奏した。
するとお年寄り達は手をたたいたり、歌ったりして喜んでくれた。
帰りに先ほどの職員が言った。
今日は感動しました。
日頃何も反応しないお年寄りが、あなたの三味線に合わせて手をたたいたり歌ったりしたのだから。
三味線って面白い、音楽って面白い、ボランティアって面白いな!
それから毎週、いろいろな高齢者福祉施設に通った。
ある時、三線で演奏してみた。
みんなで一緒に歌えて、津軽三味線よりも三線の方が楽しいぞ!
わが家の近くに総合福祉施設シーメイトができてから、毎月数回の訪問が始まった。
あるイベントで他の教室の方と知り合い、ボランティアの誘った。
その時に、彼らが言った言葉。
こんなふうに、みんなで楽しめる三線はいいね。
でも教室で習うのは、一般の方が知らない流派の曲が多くてつまらない。
じゃあ、自分で三線サークルを作るか!
ということで誕生したのが博多教室だった。
いろいろなトラブルがあり、結構大変だったけどね。
次に作った春日教室の体験会では、他の教室からスパイのような方が来てたし。(笑)
何とか軌道に乗ると、NHK文化センターや岩田屋コミュニティーカレッジなどから
講師の依頼がきた。
私のような訳のわからない者よりも、他にちゃんとした先生がいるのに。
人の縁とは面白いものだ。
シーメイトとももち教室が誕生して現在に至る。
博多教室が誕生して10年が過ぎたな~
20代30代はバイクで旅ばかりしていた。
素敵な景色や人との出会いが旅の醍醐味。
40歳の骨髄移植(提供)をきっかけに三線と出会うことに。
骨髄移植のために東京の病院に何度か通ったのだが、時間があれば近くの上野公園を散歩していた。
ある時、三味線を弾いてる若者に出会い、三味線の音色に興味を持った。
CDを聴いてみようと思い、たまたま手にしたのが沖縄民謡と津軽三味線のCDだった。
そして三線と津軽三味線を同時に始めることになった。
津軽三味線は教室で習つもりだったが、入った教室は間違って長唄三味線だった。
長唄というのはよくわからなかったが、なんとなくやることに。
結局、津軽三味線は独学で。
三線はカンカラ三線を自作して、独学で始めた。
大戦時に沖縄の人達が収容所に入れられたが、
その時、カンカラ三線を作って、みんなで沖縄民謡を歌って頑張ってたという。
そんな話に感動したため、三線を始めるときはカンカラ三線を自作しようと思った。
数ヶ月間カンカラ三線で練習して、沖縄を旅した時に本皮の三線を手に入れた。
ある時、
あなたにできることでボランティアしませんか?
という老人ホームのポスターを見て、
三味線弾けば喜ばれるかな? と思い、さっそく出かけた。
初めてのボランティアだ。
案内してくれた職員が演奏前に言った。
あなたがいくら上手く三味線弾いても何も反応しないかもしれないけど、
気にしないでくださいね。
特別養護老人ホームだったので、重度の認知症の方が多かったのだ。
津軽三味線でじょんがら節とあいや節、その後は博多の民謡や童謡唱歌などを演奏した。
するとお年寄り達は手をたたいたり、歌ったりして喜んでくれた。
帰りに先ほどの職員が言った。
今日は感動しました。
日頃何も反応しないお年寄りが、あなたの三味線に合わせて手をたたいたり歌ったりしたのだから。
三味線って面白い、音楽って面白い、ボランティアって面白いな!
それから毎週、いろいろな高齢者福祉施設に通った。
ある時、三線で演奏してみた。
みんなで一緒に歌えて、津軽三味線よりも三線の方が楽しいぞ!
わが家の近くに総合福祉施設シーメイトができてから、毎月数回の訪問が始まった。
あるイベントで他の教室の方と知り合い、ボランティアの誘った。
その時に、彼らが言った言葉。
こんなふうに、みんなで楽しめる三線はいいね。
でも教室で習うのは、一般の方が知らない流派の曲が多くてつまらない。
じゃあ、自分で三線サークルを作るか!
ということで誕生したのが博多教室だった。
いろいろなトラブルがあり、結構大変だったけどね。
次に作った春日教室の体験会では、他の教室からスパイのような方が来てたし。(笑)
何とか軌道に乗ると、NHK文化センターや岩田屋コミュニティーカレッジなどから
講師の依頼がきた。
私のような訳のわからない者よりも、他にちゃんとした先生がいるのに。
人の縁とは面白いものだ。
シーメイトとももち教室が誕生して現在に至る。
博多教室が誕生して10年が過ぎたな~