那覇市と豊見城市の境にある、「旧海軍司令部壕」を訪ねました。
「旧海軍司令部…昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。」
引用(旧海軍司令部壕 [旧海軍司令部壕について] http://kaigungou.ocvb.or.jp/about.html)
交通アクセスは次の通りです。
【那覇空港方面より】国道332号線から奥武山公園手前の信号(山下)を右折し県道7号を直進 そのまま県道7号バイパスへ進み、トンネルを抜けると標識有り、右側に見えるりうぼう豊見城店の手前交差点を左折
【那覇市街より】国道58号線を空港向けに進み左手、奥武山公園を越えた信号(山下)を左折し県道7号を直進。そのまま県道7号バイパスへ進み、トンネルを抜け、右側に見えるダイレックス豊見城店の手前交差点を左折
引用(旧海軍司令部壕 [交通アクセス] http://kaigungou.ocvb.or.jp/access.html)
01-0222 海軍壕公園総合案内板
02-0222 慰霊之塔
03-0222 慰霊之塔
「旧海軍司令部壕…この壕は太平洋戦争中沖縄方面根拠地隊司令部のあった場所で昭和二〇年六月十三日午前一時戦い利あらず遂に大田実司令官は『大君の御はたのもとに死してこそ人に生まれし甲斐ぞありけり』の辞世の句を残し将兵四千余名と共に壕内で壮烈な最期を遂げ 太平洋戦争中最も悲惨を極めた沖縄戦における海軍部隊の組織的戦闘はここで終わった。鍬やつるはしで掘った壕には司令官室作戦室等があり当時の姿をしのび世界の恒久平和を祈念するにふさわしい戦績である。」
04-0222 展望台
05-0222 ビジターセンター
06-0222 ビジターセンター
07-0222 ビジターセンター
08-0222 資料館
参照(旧海軍司令部壕 [資料館] http://kaigungou.ocvb.or.jp/shiryokan.html)
09-0222 資料館
10-0222 資料館
11-0222 資料館
12-0222 資料館
13-0222 壕入口
14-0222 壕内
15-0222 壕内
16-0222 壕内
17-0222 壕内
18-0222 壕内
19-0222 大田司令官の電文
参照(大田司令官の電文 http://kaigungou.ocvb.or.jp/shiryokan.html#denbun)
20-0222 壕内
21-0222 壕内
22-0222 壕内
23-0222 壕内
24-0222 壕内
25-0222 下士官室
26-0222 下士官室復元図
27-0222 壕内
28-0222 出撃風景(出口付近)
29-0222 壕内
30-0222 壕内
31-0222 米軍上陸全般図
32-0222 沖縄戦
33-0222 沖縄戦
34-0222 壕出口
35-0222 壕出口
36-0222 壕出口
37-0222
38-0222 月光橋
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