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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

悠久の歴史を刻む「アガリヌカー」…大城・荻堂、歴史の散歩道

2014-04-28 | 平和

 北中城村大城集落は、沖縄の伝統が色濃く残る集落で、ゆっくり散策すると、自然と共存して生きてきた地域の歴史が感じられ、心が癒される地域です。「アガリヌカー」周辺は、よく整備された花壇、壷・シーサーなどの美術工芸品が道ばたを飾っています。「カー」の水は豊富で、流水が池に注いでいます。池の側には、塑像で飾られた広場があり、周辺の花壇は花がいっぱいでした。「日本の歩きたくなる道五〇〇選散歩道」に選ばれた理由の一端を垣間見た思いがします。

01-0425 大城・荻堂 歴史の散歩道

「大城・荻堂 歴史の散歩道…大城・荻堂の両集落は周囲の自然環境と共存するような沖縄の伝統的集落形態をとどめ、中村家住宅や荻堂貝塚といった国指定の文化財を有し、中城城跡を中心とした県営中城公園とも隣接している。さらに集落内には民俗学的に価値のあるカー(井泉)や拝所等の文化財が数多く残されており、毎年旧暦の七月十七日には旗頭が集落内をねり歩く『旗すがし』や両集落の成り立ちと関連しているといわれる『兄弟棒』等の伝統的な行事が現在も行われている等、有形無形の文化財とともに歴史的形態を多く残している。」

02-0425 荻堂貝塚

「荻堂貝塚 国指定史跡 1972年(昭和47)5月15日…本貝塚は石灰岩丘陵の北縁崖下に形成されたもので、1904年(明治37)に鳥居龍蔵によって発見され、その後1919年(大正8)に発掘調査が行われている。そこで発見された土器は『荻堂式土器』と形式設定され、3000~3500年前の沖縄貝塚時代を代表する貝塚である。」

03-0425 中村家住宅、中城城跡

「中村家住宅 国指定重要文化財(建造物)1972年(昭和47)5月15日指定…中村家住宅…は大城安里(ウフグシクアサト)と称し、地頭代(役職名)を勤めた家柄で現在の住宅は19世紀初期の建築と推定されており、母屋、アシャギ、高倉、納屋、畜舎等の屋敷構え全体をよく残し当時の上層農家の生活を知ることができる。」

04-0425 中城城跡

「中城城跡 国指定史跡1972年5月15日指定…このグスク(城)の正確な築城年代は不明であるが、15世紀の前半に首里王府に対抗していた勝連城主阿麻和利を牽制するため、護佐丸が国王の命により座喜味グスクから移って来たとされており、琉球王国の王権が安定していく過程で重要な役割を果たしたグスクである。グスクは丘陵の東崖縁を天然の要害とし、琉球石灰岩の石積みによって築かれており、当時最高の築城技術で整備された石造りの門や城壁などが現在もよく残っている。」

05-0425 アガリヌカー

06-0425 アガリヌカー

07-0425 アガリヌカー

08-0425 アガリヌカー

09-0425 アガリヌカー

「アガリヌカー(東井泉) 大城(おおぐすく)」…アガリヌカーの築造年代は詳らかでない。このカー(井泉)は大城集落の大半の住民が飲料水として戦後上水道が布設されるまで利用してきた。 大正14年(1925)カーの上にコンクリートでごみ除けの屋根が取りつけられたが、1959年と2001年に改築された。 戦前は、旧元日の早朝子どもたちがカーの水をワカミジ(若水)として汲んできた。この水をヒヌカン(火の神)や仏壇などに供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈った。 戦前は旧正月2日、現在は正月3日に字の役員・有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。 北中城村」

10-0425 アガリヌカー

11-0425 アガリヌカー

12-0425 シーサー

13-0425 シーサー

14-0425 アガリヌカー

15-0425 アガリヌカー

16-0425

17-0425

18-0425 アガリヌカー周辺

19-0425 アガリヌカー周辺

20-0425 アガリヌカー周辺

21-0425 アガリヌカー周辺

22-0425 アガリヌカー周辺

23-0425 アガリヌカー周辺

24-0425 アガリヌカー周辺

25-0425 アガリヌカー周辺

26-0425 日本の歩きたくなる道五〇〇選散歩道

27-0425 大城公民館・多目的広場

28-0425 アガリヌカー周辺

 4月28日は、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)の日です。同条約により、日本が独立国として主権を回復した一方で、沖縄・奄美は日本から切り離され、米軍の施政権下に置かれました。サンフランシスコ平和条約と同日に発効した日米安保条約により、アメリカ軍の日本駐留が認められ、米軍基地の建設が本格化し、沖縄に基地が集中し、ますます強化されています。その後、本土復帰を果たしたものの、沖縄では、国内の基地の多くが集中し、基地に付随する問題が山積したままです。

参照(4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年) - 公文書館通信 - 沖縄県公文書館 http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2013/04/4281952.html


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