国道331号線豊見城市「与根」の標識から海側に進むと、突き当たりに、「豊崎海浜公園」があります。その前を右折して進むと、左手に「与根共同利用施設(公民館)」がありした。その敷地内に、字与根の塩づくりと「塩田跡」の説明板が設置されています。敷地内には、拝所もありました。
「与根マース」は、当初、入浜式塩田で作られ、最近は、再生塩によって製塩していることが記されています。塩田跡地一帯は埋め立てられ、「ゴルフ場」となっています。
国道331の「与根」の隣は「渡橋名」で、道路沿いに、「那覇市医師会那覇看護専門学校」が見えます。
与根の塩田跡(説明板より)
字与根の塩田は、干潟を利用した入浜式塩田で、かつては泊潟原(那覇市)、泡瀬(沖縄市)などと並ぶ県内でも主要な製塩地となっており、そこで生産される塩は「与根マース」の名で知られた。その起源は、明治30年代中ごろ、おもに那覇・泊からの移住者により始められたものである。
当時の塩づくりは、塩田に砂をまき、これに海水を散布し天日に干し、砂に塩分を付着させる。この砂を集めて「クミ」と呼ばれる「ろ過槽」に入れ、さらに海水をかけてかけてろ過すると、砂に付着した塩分が溶け出し濃縮された塩水が得られ、これを煮詰めて塩にした。
塩田は満潮らなると水没して作業を中断しなければならなかったため、昭和4年(1929)には塩田の周りに防潮堤が建設されるなど周辺整備も進められ、終戦までに約3万8千坪の塩田が開発されている。
沖縄戦によって、防潮堤が破壊されたり、塩田内の砂利採取により使用不能となった箇所もあったが、被害の少なかった一部の塩田が再開され、戦後しばらくまで昔ながらの塩づくりが行われた。海岸沿いの集落に立ち並ぶマースヤーの煙突から塩焚きの煙がたなびく光景は与根の風物詩であった。しかし昭和30前後から、外国産の原料塩を海水に溶かし焚き直してつくられる「再生塩」が出回ったため、従来の塩づくりは行われなくなり、それに伴い塩田も姿を消していった。その後、塩田地帯は「ゴルフ場」となっている。
いまでも、再生塩ニヨル製塩業が特別の許可を得て続けられ、地元の特産品となっている。
(参照)文化財を見よう(文化財説明板)(http://www.city.tomigusuku.okinawa.jp/tourism_culture/146/2722)
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