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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

崎原先灯台…那覇港出入船舶の航行安全を図る

2017-03-24 | 癒し

 「先原崎灯台跡」は、「モノレール那覇空港駅」より北へ徒歩約13分、「那覇航空交通管制部」の敷地内にあります。入り口で、住所・氏名・連絡先・訪問目的等を記入し、許可を得て入りました。柵内の未整備の道を登ると、岩礁の上にそびえ立つ「先原崎灯台跡」に着きました。灯台は、沖縄戦で破壊されましたが、近くに煉瓦の礎石などが残されています。ANA航空機の整備箇所に隣接しており、整備の様子、離陸前の様子などを見ることができました。
先原崎灯台跡(サチバルザチトウダイアト)
 中城湾津堅(なかぐすくつけん)島の灯台とともに、沖縄で最初に建てられた灯台跡。
 1896年(明治29)に陸軍省臨時台湾燈標建設部により、島尻郡小禄間切安次嶺村(しまじりぐんおろくまぎりあしみねむら)の地先、崎原(サチバル)の突端岩礁(通称崎原グスク)の上に、高さ12mでレンガ造りの灯台及び官舎・倉庫が建設された(1月10日起工、9月15日竣工(しゅんこう))。同年11月25日に初点灯が行われ、以後、赤光・緑光二色の灯光で付近の干瀬の場所を示し、那覇港に出入りする船舶の航行安全を図った。灯台には逓信省(ていしんしょう)の職員2人が置かれ、昼夜交代で勤務した。1900年(明治33)4月には那覇港入口三重城(ミーグスク)にも、無人の灯台が設置され、先原崎灯台職員が定期的に見回って点検を行った。
 1945年(昭和20)の沖縄戦で灯台は破壊され、跡地は米軍により航路標識塔が建てられた。現在、付近一帯は那覇航空交通管制部の敷地となっているが、岩礁の上には煉瓦(れんが)の礎石(そせき)や米軍の標識塔が残されている。
 なお、この地は、1816年琉球に来航したバジル・ホール一行が、海に突き出た岩礁の岩肌を修道院の壁に見立て「アビィ・ポイント」(修道院岬)と名付けた場所で、1853年来航のペリー提督一行の記録にも「岬は樹葉で覆われ、その先端の苔生(こけむ)した岩肌の岩石は、岬の名を示唆している」と記述されている。
 所在:那覇市鏡水334。分類:地名・名勝。場所:旧小禄。備考:2003年(平成15)9月設置。平成14年度旧跡標示事業。モノレール那覇空港駅より北へ徒歩約13分。
(引用)先原崎灯台跡(サチバルザチトウダイアト)  那覇市歴史博物館(http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/%e5%85%88%e5%8e%9f%e5%b4%8e%e7%81%af%e5%8f%b0%e8%b7%a1

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