結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

戦時下の教育、生と死…「ひめゆりの塔」

2012-10-24 | 平和

 糸満市伊原「第三外科壕跡」には、「ひめゆりの塔」が建立され、沖縄戦で、看護要員として編成された「ひめゆり学徒隊」戦死者を祀っています。

ひめゆりの塔

第三外科壕跡

 ……1945年4月、沖縄に米軍が上陸し、熾烈な地上戦が展開されました。そんな中、当時沖縄にあった21の男女中等学校から生徒たちが動員され、戦場に送られました。……当時、真和志村安里(現在の那覇市安里)にあった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校からは、生徒222名、教師18名が南風原の沖縄陸軍病院に動員されています。……戦況の悪化に伴い、5月下旬、陸軍病院にも撤退命令が出されます。南風原の陸軍病院や各分室から移動してきた教師や生徒(ひめゆり学徒)は、沖縄本島南部の伊原周辺に集まってきました。あたりには「ガマ」と呼ばれる石灰岩で形成された鍾乳洞がたくさんあり、その中に住民が避難していましたが、軍に追い出され、軍や陸軍病院などが入りました。

 6月17日、山城の「第一外科壕(陸軍病院本部壕)」に直撃弾が落ち、学徒や看護婦の多数が即死しました。18日に学徒隊解散命令が出され、19日に脱出する日の明け方、ガス弾が打ち込まれました。

……戦後、遺骨を収集、「第三外科壕跡」に塔を建立し、両校から動員された生徒・教師たちを、「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになりました。

(「オキナワ体験ガイド、株式会社ユニプラン」「ひめゆり学徒隊の足跡図、ひめゆり平和祈念資料館」、参照)

ひめゆり平和祈念資料館

「ロビー」

「中庭」

 塔の側には、「ひめゆり平和祈念資料館」が建てられ、館内は、「多目的ホール」「第1展示室-ひめゆりの青春」「第2展示室-ひめゆりの戦場」「第3展示室-解散命令と死の彷徨」「第4展示室-鎮魂」「ガマジオラマ」「第5展示室-回想」「平和への広場」となっています。展示物をゆっくり見ながら、沖縄戦、軍隊と住民、戦時下の教育、生と死、平和……とさまざまなことを考えさせられました。建物に囲まれた「中庭」には、色とりどりの花が咲いていて、心が安らぎます。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿