ということで、西駅から加世田方面へ走りましてね、やっぱり途中で雨が降ったり止んだりでね雷まで鳴ってたんですよ。
そうして夜中の1時頃に途中にある道の駅に着いたんですよ、最初はそこで寝るつもりだったのでね、車内をガンガンに冷やしてからエンジンカットして横になったんですけどね、すぐ暑くなってなかなか寝れなかったので仕方なく加世田へ行くことにしたのですよ。まあね、加世田へ行ったからなんだ?って感じですけどね、結局のとこ加世田バスターミナルの隣の駐車場に停めてちょっとだけシート倒してましたらね、知らん間に寝てたんですよ、アイドリングしたまんま・・・。3時間ぐらい寝てたみたいで起きたら6時頃だったので、吹上浜へ行くために万世へ戻ったのですよ。
でね、この万世という町(現在は合併して南さつま市です)はね戦時中特攻隊の基地が置かれた町なんですよ。南薩の特攻基地というとね、後から出てきますが知覧が有名ですが、ここ万世にも基地が置かれていたのです。ですが知覧の方が有名になってしまい、万世はほとんど知られることもなく幻の基地と言われるようになったのです。本来万世は太刀洗航空学校の分校になるはずでしたが、完成後の戦局悪化と沖縄戦の展開で、知覧の備蓄燃料を万世に分割したことから基地として使用されるようになったのです。そして現在の基地跡は吹上浜海浜公園と万世特攻平和祈念館になっていて、海浜公園内には滑走路跡がそのまま残っています。
万世に戻って特攻基地営門跡を撮ってから、海浜公園が開園するのが8時半なので開門を待って中へ入り、滑走路跡と零式が引揚げられた浜辺の方へ行きます。
まず↓こっちが滑走路から東シナ海方向を見た風景です。
そしてこちらは浜辺にあるデッキから見た滑走路跡と吹上浜です。
↓ここから見ると滑走路は林の中に埋もれてますね。
で↓こちらは多くの隊員が飛び立った空と零式が引揚げられた吹上浜です。
そしてね、このデッキから眺めていて一つ思ったことがありましてね、それはね赤とんぼがたくさん飛んでることなんです。赤とんぼならどこでも飛んでるぢゃんて思いますよね?そう、赤とんぼならどこにでも飛んでます。でもね、ちょっと違うんですよ、沖縄の戦跡でもそうでしたが単体じゃなく群れを成して飛んでるんですよ。でね思ったんですよ、この赤とんぼたちは戦争で亡くなった人や特攻隊員の御霊じゃないかと。なくなってもなお空から懐かしんで眺めたり、今に生きる人たちを見守ってくれているんじゃないかなぁってね。いえね、ただそんな風に感じただけなのでなんの確証もありませんよ、たまたま群れを成していたのかもしれませんしね、だけどそんな風に考えると亡くなった方々が浮かばれる気がします。
そうしてそんなことを思いながら祈念館へ行ったのですよ。先に書きましたけどここには引揚げられた零式が展示されているんですよ。ここのやつは3人乗りの水上偵察機で、祈念館に入ると目の前に鎮座しておられるのですけどね、残念ながら撮禁なのですよ・・・。でもね、今回はたまたま職員の方が2人とも2階へ上がっていったのでその時にこっそり撮ったもの貼ります。が、本来は撮禁なのでモザイク付のちっちゃいやつにしときます。
ちなみに資料館の外には永年自衛隊の練習機として使用されていた飛燕の実物のプロペラが展示されています。
1階を見たと2階へ上がったのですがね、ここに展示してあった遺品や資料に関してはちょっと言葉では表現できないので、省略させて頂きますね、ごめんなさいね。
展示内容は隊員の遺影や遺書、家族に宛てた手紙や遺品などです。でもね、その中でも一番心を打たれたのは、一人の隊員の方がお母さんに宛てた手紙です。
お母さん此の頃は如何ですか
私はまだ活気盛んなる青年です如何なる苦労も出来無理もききます
然しお母さんは其れが出来ない体です
今までいろいろ御苦労されて居られますので他の事には手を出さず
心安らかにお暮らし下さい
飛行機一機で軍艦を沈める事は如何に大戦果であるか
中 略
国あっての我々です、家です
覚悟はもとより出来て居ます待ちに待った命令です征きます
よろこんで大命になるべく大いに頑張ります
お父さんお母さん御長寿お祈り致します
というものでした。これを読んでる途中から涙が溢れてきましてね、読み終わったときにはもうポロポロとこぼれていました。感動しました。今の若い人が戦争に行って生きて帰れないという時に、こんなすばらしい手紙を両親に残すことができるでしょうか?自分にはできないと思います。如何に昔は両親を敬っていたかということです。親を敬い、先生を敬う、今の日本に一番欠けているものですね。戦争をする必要は無いですが、自衛隊という生ぬるいものではなくもう一度軍隊を編成して、徴兵制にしたらどうですかねぇ?もう一回軍国主義で行きませんか?正しい軍国主義で。あ、でもね、安倍内閣でそんなことやられたらやつは確実に戦争しますよ。ありゃ戦争の恐ろしさがわかってないからね。その点ね、久間前大臣は戦争を体験されてるからあの発言が出たんだと思いますよ。
で、旧軍は陸・海だけでしたから、今度はちゃんと空軍も編成してね。
ということで結局ここでも1時間半ぐらいいて、途中で雨の音が聞こえたけど外に出た時は止んでましたけどね。
そうして次は知覧へと向かったのですよ。
まぁまぁまぁ、知覧の方でも色々と考えさせられることばかりでした。
ということで次は知覧編ですのでね、引続き気を引締めておいでくだされ。
ではまた次回まで解散です。
そうして夜中の1時頃に途中にある道の駅に着いたんですよ、最初はそこで寝るつもりだったのでね、車内をガンガンに冷やしてからエンジンカットして横になったんですけどね、すぐ暑くなってなかなか寝れなかったので仕方なく加世田へ行くことにしたのですよ。まあね、加世田へ行ったからなんだ?って感じですけどね、結局のとこ加世田バスターミナルの隣の駐車場に停めてちょっとだけシート倒してましたらね、知らん間に寝てたんですよ、アイドリングしたまんま・・・。3時間ぐらい寝てたみたいで起きたら6時頃だったので、吹上浜へ行くために万世へ戻ったのですよ。
でね、この万世という町(現在は合併して南さつま市です)はね戦時中特攻隊の基地が置かれた町なんですよ。南薩の特攻基地というとね、後から出てきますが知覧が有名ですが、ここ万世にも基地が置かれていたのです。ですが知覧の方が有名になってしまい、万世はほとんど知られることもなく幻の基地と言われるようになったのです。本来万世は太刀洗航空学校の分校になるはずでしたが、完成後の戦局悪化と沖縄戦の展開で、知覧の備蓄燃料を万世に分割したことから基地として使用されるようになったのです。そして現在の基地跡は吹上浜海浜公園と万世特攻平和祈念館になっていて、海浜公園内には滑走路跡がそのまま残っています。
万世に戻って特攻基地営門跡を撮ってから、海浜公園が開園するのが8時半なので開門を待って中へ入り、滑走路跡と零式が引揚げられた浜辺の方へ行きます。
まず↓こっちが滑走路から東シナ海方向を見た風景です。
そしてこちらは浜辺にあるデッキから見た滑走路跡と吹上浜です。
↓ここから見ると滑走路は林の中に埋もれてますね。
で↓こちらは多くの隊員が飛び立った空と零式が引揚げられた吹上浜です。
そしてね、このデッキから眺めていて一つ思ったことがありましてね、それはね赤とんぼがたくさん飛んでることなんです。赤とんぼならどこでも飛んでるぢゃんて思いますよね?そう、赤とんぼならどこにでも飛んでます。でもね、ちょっと違うんですよ、沖縄の戦跡でもそうでしたが単体じゃなく群れを成して飛んでるんですよ。でね思ったんですよ、この赤とんぼたちは戦争で亡くなった人や特攻隊員の御霊じゃないかと。なくなってもなお空から懐かしんで眺めたり、今に生きる人たちを見守ってくれているんじゃないかなぁってね。いえね、ただそんな風に感じただけなのでなんの確証もありませんよ、たまたま群れを成していたのかもしれませんしね、だけどそんな風に考えると亡くなった方々が浮かばれる気がします。
そうしてそんなことを思いながら祈念館へ行ったのですよ。先に書きましたけどここには引揚げられた零式が展示されているんですよ。ここのやつは3人乗りの水上偵察機で、祈念館に入ると目の前に鎮座しておられるのですけどね、残念ながら撮禁なのですよ・・・。でもね、今回はたまたま職員の方が2人とも2階へ上がっていったのでその時にこっそり撮ったもの貼ります。が、本来は撮禁なのでモザイク付のちっちゃいやつにしときます。
ちなみに資料館の外には永年自衛隊の練習機として使用されていた飛燕の実物のプロペラが展示されています。
1階を見たと2階へ上がったのですがね、ここに展示してあった遺品や資料に関してはちょっと言葉では表現できないので、省略させて頂きますね、ごめんなさいね。
展示内容は隊員の遺影や遺書、家族に宛てた手紙や遺品などです。でもね、その中でも一番心を打たれたのは、一人の隊員の方がお母さんに宛てた手紙です。
お母さん此の頃は如何ですか
私はまだ活気盛んなる青年です如何なる苦労も出来無理もききます
然しお母さんは其れが出来ない体です
今までいろいろ御苦労されて居られますので他の事には手を出さず
心安らかにお暮らし下さい
飛行機一機で軍艦を沈める事は如何に大戦果であるか
中 略
国あっての我々です、家です
覚悟はもとより出来て居ます待ちに待った命令です征きます
よろこんで大命になるべく大いに頑張ります
お父さんお母さん御長寿お祈り致します
というものでした。これを読んでる途中から涙が溢れてきましてね、読み終わったときにはもうポロポロとこぼれていました。感動しました。今の若い人が戦争に行って生きて帰れないという時に、こんなすばらしい手紙を両親に残すことができるでしょうか?自分にはできないと思います。如何に昔は両親を敬っていたかということです。親を敬い、先生を敬う、今の日本に一番欠けているものですね。戦争をする必要は無いですが、自衛隊という生ぬるいものではなくもう一度軍隊を編成して、徴兵制にしたらどうですかねぇ?もう一回軍国主義で行きませんか?正しい軍国主義で。あ、でもね、安倍内閣でそんなことやられたらやつは確実に戦争しますよ。ありゃ戦争の恐ろしさがわかってないからね。その点ね、久間前大臣は戦争を体験されてるからあの発言が出たんだと思いますよ。
で、旧軍は陸・海だけでしたから、今度はちゃんと空軍も編成してね。
ということで結局ここでも1時間半ぐらいいて、途中で雨の音が聞こえたけど外に出た時は止んでましたけどね。
そうして次は知覧へと向かったのですよ。
まぁまぁまぁ、知覧の方でも色々と考えさせられることばかりでした。
ということで次は知覧編ですのでね、引続き気を引締めておいでくだされ。
ではまた次回まで解散です。