10月20日
いつも東横インだとおにぎり・パン・味噌汁の軽いものだから、ホテルでこういう朝食は久しぶりです。
この日は田老へ行くけど、行きは11時台のバスで行くからバスの時間まで閉伊川まで行ってきました。
まずは大通。
未だに信号は復旧してません。
この先の交差点では、群馬県警が交通整理してました。
4月に来た地区。
あの飲み屋さんね。
取り壊されていました。
そして閉伊川橋梁へ。
4月はこんなだった。
↓10月。
流された桁や線路などはきれいに撤去されていました。
橋台に佇むうみねこ。
なんだか悲しげな表情。
そして、宮古大橋へ。
左側は市役所。
あの日は閉伊川の堤防を乗り越えて津波が押し寄せました。
津波が来る前には水が引くってのは間違ってるって言うけど、閉伊川の川底が見えるぐらい水が引いて10分もしないうちにどば~っと。
ちゃんと引いてからやってきます。
ちょうどいい時間になってきたから駅へ戻りますか。
小本行きのバス満員。
ほい着いた。
いやぁ~、きれいに片付いたぞ。
4月はあれほど瓦礫だらけだった観光センターの中も、すっきりきれいになっていました。
駅前もきれいになりました。
↑4月ね。
↓10月。
スッキリ。
瓦礫も堤防を越えてきた船も片付きました。
堤防の外、田老港側。
津波防災の象徴だったのに、破壊されたそれを見るのはやっぱり衝撃が大きい。
何も無くなった街を走る三鉄と県北バス。
たとえ街が無くなってしまっても、鉄道やバスが走ってるだけでホッとします。
ちょっと市街地まで行ってみることに。
診療所の周りは未だに物が散乱していました。
こうやって見ると4月のデジャヴ。
一通り見て回ったので、防潮堤を歩いて駅へ戻ることに。
↑田老港側
↓市街地側
まさか田老の街が消えるとはね、自分も思わんかったし、当然田老に住んでる人たちもそんなこと思わんかっただろうね。
震災当時田老に住んどったら、俺100%死んどったよ。
防潮堤があるから200%安心だと思っちゃうからね。
でもやっぱそれじゃあダメなんだよね。
備えがあってもとりあえず逃げる。
「てんでんこ」です。
まあ、いろいろ考えながら駅へ戻りました。
おっ、水が無くなってライトが点いた。
↓4月に来た時は真っ暗で水浸しだったもね。
宮古行きが来ました。
修学旅行生が乗るからか、2両つなぎです。
でも、前日の夜も2両だったべ?
小本からで速度制限のかかった運転時刻表。
4月からは信号が復旧するみたいだから、制限も解除されて本数も増えるみたいですな。
それに伴って、運賃も通常運賃に戻りますよ。
今は45km/hだからね。
やっぱアナログな運転台っていいね。
宮古に着いたら、切り離しをしました。
窓口には、南線で陸自が撤去作業をした際に作ったレールのオブジェがあります。
今回は忘れんと、スローガン入りエコバックを買ってきました。
相変わらずぽっぽさんは眼光鋭くいらっしゃいますな。
入口横の自販機の上には、三鉄だるまがいます。
この日は盛岡泊まりなので、今回は山田線に乗っていきました。
ローソンで弁当を買って、山田線の夕方の決め列車653Dに乗って行きます。
改札前にホームを覗いていると、構内の向こうに桁が置いてありました。
もしやと思って窓口で聞いてみたら、やっぱり。
第34閉伊川橋梁の桁でした。
夏休みまで現場にあったんだって。
山田線沿線も、紅葉はベストですな。
車内から無理矢理大峠を。
ISO3200。
かなり無理矢理。
さりげなく山田線も乗りつぶして、盛岡到着。
この日は駅前の方に泊まりました。
明日はいよいよ陸前高田です。
いつも東横インだとおにぎり・パン・味噌汁の軽いものだから、ホテルでこういう朝食は久しぶりです。
この日は田老へ行くけど、行きは11時台のバスで行くからバスの時間まで閉伊川まで行ってきました。
まずは大通。
未だに信号は復旧してません。
この先の交差点では、群馬県警が交通整理してました。
4月に来た地区。
あの飲み屋さんね。
取り壊されていました。
そして閉伊川橋梁へ。
4月はこんなだった。
↓10月。
流された桁や線路などはきれいに撤去されていました。
橋台に佇むうみねこ。
なんだか悲しげな表情。
そして、宮古大橋へ。
左側は市役所。
あの日は閉伊川の堤防を乗り越えて津波が押し寄せました。
津波が来る前には水が引くってのは間違ってるって言うけど、閉伊川の川底が見えるぐらい水が引いて10分もしないうちにどば~っと。
ちゃんと引いてからやってきます。
ちょうどいい時間になってきたから駅へ戻りますか。
小本行きのバス満員。
ほい着いた。
いやぁ~、きれいに片付いたぞ。
4月はあれほど瓦礫だらけだった観光センターの中も、すっきりきれいになっていました。
駅前もきれいになりました。
↑4月ね。
↓10月。
スッキリ。
瓦礫も堤防を越えてきた船も片付きました。
堤防の外、田老港側。
津波防災の象徴だったのに、破壊されたそれを見るのはやっぱり衝撃が大きい。
何も無くなった街を走る三鉄と県北バス。
たとえ街が無くなってしまっても、鉄道やバスが走ってるだけでホッとします。
ちょっと市街地まで行ってみることに。
診療所の周りは未だに物が散乱していました。
こうやって見ると4月のデジャヴ。
一通り見て回ったので、防潮堤を歩いて駅へ戻ることに。
↑田老港側
↓市街地側
まさか田老の街が消えるとはね、自分も思わんかったし、当然田老に住んでる人たちもそんなこと思わんかっただろうね。
震災当時田老に住んどったら、俺100%死んどったよ。
防潮堤があるから200%安心だと思っちゃうからね。
でもやっぱそれじゃあダメなんだよね。
備えがあってもとりあえず逃げる。
「てんでんこ」です。
まあ、いろいろ考えながら駅へ戻りました。
おっ、水が無くなってライトが点いた。
↓4月に来た時は真っ暗で水浸しだったもね。
宮古行きが来ました。
修学旅行生が乗るからか、2両つなぎです。
でも、前日の夜も2両だったべ?
小本からで速度制限のかかった運転時刻表。
4月からは信号が復旧するみたいだから、制限も解除されて本数も増えるみたいですな。
それに伴って、運賃も通常運賃に戻りますよ。
今は45km/hだからね。
やっぱアナログな運転台っていいね。
宮古に着いたら、切り離しをしました。
窓口には、南線で陸自が撤去作業をした際に作ったレールのオブジェがあります。
今回は忘れんと、スローガン入りエコバックを買ってきました。
相変わらずぽっぽさんは眼光鋭くいらっしゃいますな。
入口横の自販機の上には、三鉄だるまがいます。
この日は盛岡泊まりなので、今回は山田線に乗っていきました。
ローソンで弁当を買って、山田線の夕方の決め列車653Dに乗って行きます。
改札前にホームを覗いていると、構内の向こうに桁が置いてありました。
もしやと思って窓口で聞いてみたら、やっぱり。
第34閉伊川橋梁の桁でした。
夏休みまで現場にあったんだって。
山田線沿線も、紅葉はベストですな。
車内から無理矢理大峠を。
ISO3200。
かなり無理矢理。
さりげなく山田線も乗りつぶして、盛岡到着。
この日は駅前の方に泊まりました。
明日はいよいよ陸前高田です。