2日目は仙石線・女川方面です。
東松島市野蒜地区と女川町。
野蒜へ初めて行ったのは、5月に仙石線キャノンボールした時です。
4月も5月も女川は計画段階では予定に入っていたものの、うまく予定の調整ができず先延ばしになっていました。
そうして、今回ようやく行くことができました。
10月17日
朝は8:21の仙石線に乗らないかんのに、7:45に朝食食べに行ってます。
おいおい、間に合うんか?
おー、間に合った間に合った。
これに乗れんとまた女川が飛んでまうでねぇ。
電車代行は松島海岸で乗換だけど、電車の再開区間は高城町までだから高城町まで乗りました。
5月の時は再開に向けた工事が進んでいましたが、まだ列車の姿はありませんでした。
レールも錆びたまま。
でも、今日はちゃんと列車がいます。
ラッチの向こうに列車の姿があるのってやっぱいいね。
どんなに大赤字のローカル線でも、列車は地域に安心感を与えてくれるものだと思います。
こと被災地ではその鉄道までもが甚大な被害を受けたけど、それでも地域のために少しずつ走り始めました。
道路さえあれば、徒歩でも自転車でも車でもバスでも、なんでも移動手段・輸送手段はあるかもしれん。
単なる輸送手段・移動手段ではなく、鉄道には地域の安心感と言う不思議な空気も運んでいる。
鉄道を失った地域は、ほとんどが活気と一緒に安心感も失っていると思います。
鉄道とはそう言う不思議な乗り物なのですよ。
特にね、過疎地域においてはね、それはもう大切なものですよ。
だからね、気仙沼線のBRT転換は絶対ダメですよ。
さてさて、ひと安心したとこでね、代行バス乗り場の公民館まで歩いていきます。
公民館横のグラウンド。
5月に来た時は瓦礫がうず高く積まれていました。
今はその瓦礫も搬出されて、土の入れ替えをしていました。
その後ろを仙石線の電車が通過していきます。
でもって、代行バスで東名へ行きます。
3分もはよ来たで。
しかも満席。
東名に着いてまずは駅へ。
両方向とも線路は剥がされていました。
仙台方は廃線跡みたい。
踏切の傍らには白いコスモスが。
だからこう言う画はね・・・。
跨線橋の上から。
駅周辺
宮戸島方向
訪問直前の台風の影響もあると思うけど、運河の向こうは未だ水が引かず。
5月とほぼ同じ場所。
↓5月はこんな感じ。
野蒜方
こちらもスッキリ片付いて草が生えてます。
5月の時は↓こんな感じだったもね。
ぼちぼち野蒜方向へ歩いていくことに。
5月の時に屋根の剥がれた車があったアパート。
車も撤去されて、アパートの室内も片付いていました。
散乱していた瓦礫は撤去されたけど、軌道はずれたまま。
付近の住宅街の道路は、至るところで路面が凹んでいます。
白くペイントされてるとこが凹んでるとこね。
石巻や気仙沼みたく、目に見えて沈下してるわけじゃなくて、さりげなく凹んでるみたいな感じです。
一見なんの被害もなさそうな民家。
でも、倒壊の危険があるのか、立入禁止です。
以前はサンクスとセブンがありました。
サンクスはそのままだけど、向こう側ではセブンが取り壊されています。
野蒜方面へしばらく歩いていると、津波で打ち上げられた船がありました。
5月ん時もあったのか記憶が定かではなかったけど、あとから思い返せば確かに5月もありました。
庭先に瓦礫が集められてた民家のすぐ近く、たしか美容室か薬局かの近くだった気がするけど。
でも5月は写真撮った記憶が無いぞ?
野蒜小学校へ行く途中の踏切。
線路脇にあった黒板はありません。
未だ物が散乱したままの家がありました。
遠くには作業をしているボランティアの人たちが。
こんな撮り方をすれば当時の様な感じに見えてしまいます。
写真を撮るって時には酷なものです。
校舎に掛かっている時計は、地震発生時刻を指したままです。
校庭の仮設はボランティアセンター。
道路沿いにあった郵便局も、ここにあります。
当時、野蒜小学校も避難所になっていましたが、ここにも津波は押し寄せ、体育館に避難した人の多くが犠牲になってしまいました。
小学校をあとにして駅へ向かって歩いていると、道路沿いのある民家の庭先にこんな旗が。
こんなに被害を受けても、地元が好きだと言うことでしょうか?
みやっちも地元が大好きです。
さらに歩いて行くと。
運河もきれいになったなぁ。
↓5月はこうだよ。
でも、台風の影響で増水しとるなら、水量が下がったら・・・。
なことは無いわな。
近くには野蒜郵便局。
多分3月に行く時には取り壊されとるんだろうなぁ。
ちょっと行ったところの踏切。
片方は倒れて埋もれたまま。
踏切の近くには、土地の所有者を証明する立て札がありました。
4月にも陸前高田で立て札があったけど、あれは安否と避難先を伝えるものでした。
ほいで、ふと線路の向こう側を見て目ん玉飛び出ました。
いやいや、飛び出しはしんけど、漫画張りに飛び出した気分だった。
5月ん時にあった柱が一本無い家ね、まだあった。
↓5月はこんな感じよ。
やっぱりちと傾いとるね。
流石に3月には無いだろうなぁ、乞うご期待。
駅構内は相変わらずでした。
制限標識は倒れたまま。
軌道内は土砂が堆積したままで、架線も垂れたまま。
ホームも相変わらず。
これ、5月の時は見落としとったなぁ。
軒下の駅名板に津波の浸水の跡がはっきりと残っていました。
4メートルぐらいか?
石巻方はすっかりきれいになってました。
ここも5月はこんな感じだったもね。
駅事務室はベニヤで目隠しされていました。
でも、改札の外は物が散乱したまま。
駅の周辺では、仙石線の復旧を望む幟が立っていました。
駅舎の窓にはこんなスローガンも。
気仙沼線にしてもそうだけど、ここもさあJRの復旧させようと言う気合いが見えんのだよねぇ。
八戸線はねぇ運が良かったんだよ。
そうこうしているうちにバスが来ました。
石巻方では相変わらず1編成が佇んでいます。
陸前小野まで再開したら救出してもらえるんやろか?
矢本で列車に乗り換えて石巻へ。
矢本~石巻間は陸羽東線のキハ110が走っていました。
しかも、併合閉塞でスタフを使ってます。
石巻で女川行きの代行バスに乗換。
5月の時、仙石線のホームに留置してあった編成は、一番奥の留置線に移動してました。
途中、渡波の駅舎は交番として利用されてました。
バスが女川の市街地へ下りていくと、最初に飛び込んでくる光景は4月の陸前高田となんら変わらん。
根こそぎってこういうことを言うんだと思います。
他の地域でもそうだけど、やっぱりいつ見ても、何回見ても、思い出すだけでもゾッとする。
バスは駅の裏っかわの高台にある、女川運動公園に発着します。
すぐ近くに役場の仮設庁舎もあります。
バスはすぐ折り返していくから、1本落として2時間後のバスで帰ります。
とりあえず駅へ。
駅舎も線路もありません。
来たことがない、正確には来るはずだったのに来れなかったから、日常風景が全く分からん。
女川駅を出るとすぐにトンネルがあるから、そこまで路盤を歩いていきました。
陸前高田の竹駒トンネルと同じく、ここもトンネル内まで浸水したみたいです。
当時、駅に停車していた列車は、線路脇の少し高いところにある墓地に打ち上げられました。
線路脇の木の枝には流されてきた漂流物が、未だ残っていました。
奥の建物の3階にも木が刺さっていたけど、この漂流物の高さも大体それぐらいです。
駅の横にある教育センターには、車が突っ込んでいます。
バランスが悪いのか、ロープで固定されていました。
教育センターの玄関脇には町民憲章がありました。
書いてあることは陸前高田と同じなんだけど、東北地方の人柄ってこう言うとこから来てるんだね、多分。
憲章にも映ってるけど、向かいっかわの少し高いところに役場がありました。
ほんとに一段だけ高いとこだから、まるごと飲み込まれました。
駅から海へ行く途中にあるこの建物は、銀行だったみたいです。
家もビルも多くが解体されたけど、未だこんな状態の建物が残っているのも現状です。
海を挟んで奥は女川漁港。
画面真ん中はこっち側の岸壁なんだけどね、手前の海みたいに見えるとこはね、海じゃないのよ。
↓引いてみるとね、
地盤沈下で大きな水溜まりになっちゃったのね。
前の画像みたいに撮ったら完璧海だよね。
写真て嘘の固まり・・・。
そろそろいい時間になってきたから、運動公園に戻りながら見ていきました。
最初は壁かと思ったんだけどね、反対側を見てみると・・・。
建物が基礎ごと横倒しになってたんです。
ほんとこれにはビックリした。
ちなみに、この建物は交番です。
こちらは消防署。
これまで見てきた海沿いの地域は、だいたいどこもそうなんだけど、本来防災の拠点となるべき場所がことごとく津波でやられていました。
あとで出てくる鵜住居もそうだけど、防災センターへ避難して、そこで津波に呑まれて亡くなった人も多くいたみたいです。
消防署の近くで、ここにも日の丸が。
今まで載せてきた鯉のぼりや日の丸は、自然に風でなびくとこを撮ってたけど、これはやらせ(爆)
風が吹くとさあ、反対になびくんだもん。
仕方ないわね。
山の方にはたくさんの瓦礫が集められていました。
そろそろバスが来る頃だから運動公園へ戻りました。
運動公園へ行く坂道には桜並木があります。
ちょうど紅葉し始めだったから、着止めのバスを一枚。
列車代行バスだから、これも立派な鉄道写真だぞ。
帰りの便は、5月に渡波から乗った超満で渋滞にはまる便です。
それを見越してか、今回は2台運行です。
1号車は4列夜行仕様でした。
でもって、案の定浦宿から学校帰りの高校生で2台ともほぼ満席。
5月もこういう状態だったんだね。
5月の時ほどではないけど、とりあえず渋滞にはまりました。
やっぱりね。
んでも1号車はちょっとはよ着いて、2号車は5分ぐらい遅れてきました。
5分ぐらいだから小牛田行きも待ってて、6分延で発車です。
小牛田で40分も待たされるから、ちょっと1枚。
一ノ関行きに乗り換えて、この日は一ノ関の東横イン泊まりです。
でもってこの日の夜ごはんは、ほっかほっか亭のお弁当・・・。
って、画像が無い。
駅前はローソンしかないからね、検索したらほっかほっか亭があったの。
てなところで3日目へつづく。