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”スローライフ滋賀” 

【滋賀・近江の先人第108回】小泉産業グループの「商祖」・小泉太兵衛(東近江市)

  小泉太兵衛(16??-1787?)、江戸時代中期・寛文年間に近江国五箇荘(東近江市)に生まれた。近江商人。小泉産業グループの商祖。

近江商人特有の商道徳「三方よし」を基本に商いに打ち込んだ商祖「太兵衛」
今から三百数十年前の寛文年間のこと。近江の国の箕作山(みつくりやま)の麓である五個荘山本で小泉太兵衛が誕生した。誠実で、信仰心の篤い好人物であったと伝えられている。

佐々木源氏の直系につながる由緒ある血筋を、彼がなぜ捨てたのか、理由はわかっていない。正徳年間に武士から農民に転身した太兵衛は、近隣に土地を買い求め、持ち前の勤勉さで米作りに励んだ。しかし、買った田は米がよく育たない悪田であり、毎年の年貢も満足に納められない。

そこで太兵衛は、1716年(享保元年)、近江の特産品である麻布を担いで播州や丹後、伊勢を巡る行商を開始。今から約300年前のことであった。熱心な商いによって収入が安定したことで、太兵衛は農業に見切りをつけ、商人として生きていくことを決心。そして近江商人特有の商道徳「三方よし」を基本に、商いに打ち込んでいく。

太兵衛の遺した小泉家の家訓には「お得意様、お客様の信用・信頼を得ることを何事にも優先する」「投機的な仕事、濡れ手に粟の商法は厳しく戒める」など、商売に対するさまざまな信条が残されている。それらは300年を経た今も、小泉産業株式会社グループのDNAとなっている。

商売に没頭していた太兵衛だったが、晩年になって突然、出家をする。これも理由は定かではない。甥の利助を養子にし、後のことを託した彼は、諸国行脚の旅へ。6年後に帰郷し、地元に小さな寺を建て、地蔵を祀ったことがわかっている。
1738年(元文3年)に再び旅立ち、そして旅先で没した。没年は不明である。子孫の7代目新助が、太兵衛の恩に報いるため1887年(明治20年)に五箇荘に建てた記念碑は、最後の旅に出た「1738年8月26日」を彼の命日と記している。

ヒストリー
六代目小泉新助
■創業の地、五箇荘山本に「近江屋新助商店」開業
太兵衛の没後、甥・利助、利助の子・新助へと家督が継がれた。新助は五箇荘に「近江屋新助商店」を開業、麻布商としての本格的な歩みを始めた。
■京都・富小路六角に呉服・反物の店を出店
順調に事業を伸ばした「近江屋新助商店」は、1847年(弘化4年)には、京都・富小路六角に店を構えるまでに至った。

明治・大正
■商都大阪に出店した小さな商店、時を経てそこから小泉産業が生まれる。

近代創業元年
■商業の地、大阪・船場に「立木屋森之助商店」開設
「三方よし」の理念のもと、太兵衛の子孫たちは商売を拡大。
■1871(明治4)年には、当時の日本経済の中心であった大阪・船場に進出。
現在の小泉産業本社がある備後町に「立木屋森之助商店(後の「小泉新助大阪店」)」を出店。この年を近代創業元年としている。
同族経営者5人の出資により、「小泉合名会社」発足
■1904(明治37)年、小泉新助商店は、同族経営者5人の出資によって「小泉合名会社」となる。社章のロゴ(ミツウロコ)、社是「人格の育成向上」ができる。

三代目小泉重助
■「小泉重助商店」発足、「特殊特徴品主義」へ
小泉合名会社は10年後に解散したが、発起人の一人であった三代目小泉重助が大阪店を引き継ぎ、1915(大正4)年、「小泉重助商店」として発足。
欧米の視察などを通じて新時代のビジネスを学んだ重助のもと、「小泉重助商店」は、独自性の高い商品を柱とする「特殊特徴品主義」を基本に、成長を遂げていった。

■「株式会社小泉商店」に法人化
1941(昭和16)年、「小泉重助商店」は法人化し、「株式会社小泉商店」となる。だが、この年の12月に勃発した太平洋戦争の影響で、小泉商店は繊維統制を受け、扱い商品が減り売り上げが落ちていった。

■戦時下の統制を避けるために、五光精機工業を買収、「五光精機工業株式会社」設立
統制が「人」にまで及んだ戦時下、男子就業禁止令により従業員の就労が難しくなった。そのため、1943(昭和18)年にM&Aによって設立されたのが、航空機のゲージなどを製造する「五光精機工業株式会社」だった。この時期、多くの小泉商店の従業員が五光精機の工場に従事した。
 
■「小泉産業株式会社」に改称
電気製品をはじめとした生活用品製造卸開始
1946(昭和21)年、社名を五光精機工業から「小泉産業株式会社」に変更。太平洋戦争終戦。一面の焼け野原となった大阪で再出発。戦地から戻ってきた社員たちによって始められたのは、生活用品の卸業。最初に手がけたのは、パンが焼け、米も炊ける「電熱器」。さらに繊維事業で培ったノウハウを活かし、中小製造業や町の発明家が開発した製品を新しい売り方で販売する製造卸業が本格化した。
 
照明事業開始
ヒカリ」ブランドで照明市場に本格参入
日本人の生活が少しずつ豊かになる戦後の経済復興の中、本格的に照明市場に参入。
1957(昭和32)年には、「ヒカリ照明器具」のブランドで照明器具を発売。デザイン性、インテリア性など、時代の求める要素を盛り込んだ新しいコンセプトの製品を市場に送り出した。

■家具事業開始
ガスコンロ付きテーブル「晩餐」発表
家具市場へ本格参入

koizumiグループの系譜
https://www.apkoizumi.com/

 


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