滋賀県文化財保護協会(大津市)は、石田三成の居城として知られる佐和山城(彦根市)の城下町を囲んでいた外堀とみられる大規模な溝を確認したと発表した。
↑写真:中日新聞より
過去の調査で外堀の位置は推定されていたが、具体的な遺構が見つかったのは初めて。協会は「城下町の都市設計を伺う手掛かりが得られた」と話している。
滋賀県文化財保護協会によると、佐和山城の城下町は豊臣政権の時代までに成立していたとみられ、現在の彦根市佐和山町にあたる佐和山の東麓に広がっていた。東西100m弱、南北500m弱と小規模で、全体が内堀と外堀に囲まれていた。
外堀は、1990年代の研究で、一帯の地形や田畑の区画から全体の位置が推定されている。今回見つかった溝は、城下町の北端にあり、外堀が直角に曲がるとみられていた場所で見つかった。全長約7m、幅約10mで、最大で約70cmの深さがあった。
協会は「城下町が存在した時代以外で大規模な溝が設けられた可能性は極めて低い」とし、佐和山城の外堀の一部だと判断した。
また、溝の最下層から、石田三成が城主だった時期から、佐和山城が廃城となった時期にあたる16世紀末~17世紀初めに使われた焼き物を発見。城の周辺部を堀や土塁で囲む「惣構」を佐和山城に設けたとする1596年(文禄5年)の文献もあり、外堀はその際につくられたと考えられるという。
協会によると、滋賀県内にある八幡山城(近江八幡市)や長浜城(長浜市)、水口岡山城(甲賀市)には惣構がなく、「近江の城郭や城下町の発展過程を考える上で貴重な事例だ」と評価している。
同協会は、国道8号米原バイパス計画に伴い、2018年度から建設予定地の一部で発掘調査を開始。2019年には城下町中心部を東西に走る道路の遺構などを見つけていた。
現地説明会
8月20日(土)13:30から予約不要。駐車場がないため、公共交通機関での来場を呼びかけている。
滋賀県文化財保護協会: 077(548)9780
<中日新聞より>