3月25日(水)午前、東近江市と隣接する「金剛寺野古墳群」の「依智秦氏の里古墳公園」(滋賀県愛知郡愛荘町上蚊野)を初めて訪れた。 このエリアの古墳をみると古の時代を遡る思いがする。この地は5-6世紀以降、多数の渡来人が近江にも渡来している。
その中で、渡来系氏族の「依智秦氏」は、「秦」氏といえば、京都の嵯峨野周辺を本拠地とし、広隆寺や松尾大社、そして聖徳太子とも関わりのあった「秦河勝」を輩出した氏族を思い浮かべる。
「依智秦氏」は「秦」氏の一族と考えられ、現在の滋賀県愛知郡を中心とした湖東平野を本拠地として活躍した古代の渡来系氏族だ。
10世紀以前の文献によると、郡の役所の主要なポストを「依智秦氏」がほぼ占めていたことがわかっており、当時の滋賀県愛知郡内において絶大な力を誇っていたことが想像できる。近江を代表する渡来系氏族と言えるかも知れない。
この「依智秦氏」の墓ではないかと考えられているのが、「金剛寺野古墳群」をはじめとした滋賀県愛知郡内を中心に集中して分布する群集墳である。
「金剛寺野古墳群」、戦前には298基の古墳からなる群集墳であったことが判っている。只、残念なことに戦後の開拓により大部分が削平されてしまった。
現在は、残った古墳の内10基を「依智秦氏の里古墳公園」として整備して整備・保存されている。