澤井藤助(慶応2年-昭和11年)(1866-1936年)70歳没、滋賀県愛知郡小田苅村(東近江市)生まれの織物商。近江商人。
先代藤助の長男として生まれ、父は明治8年(1875年)に東京で織物卸商を開いた。藤助も早くから東京店で見習い修行をした。
明治26年(1893年)に父が病疫し、28歳で家業を引継ぎ、業績を伸ばし明治33年(1900年)には大阪店を出し、一流織物問屋に成長させた。また、東京織物組合長や東京銀行取締役などの役職を務めた。
一方で、郷里で農業振興の必要性を感じ、今日で言う農協的な団体「興農会」を組織し、私費で共沢館を建てている。
その他にも昭和3年(1928年)郷里の滋賀県愛知郡豊椋村の「豊椋小学校」建て替えに高額の寄付をし、学校備品の充実を図った。同小学校は、昭和39年、「湖東町立湖東第三小学校」と改称した。
(同郷の松居泰次良・房次郎兄弟も「湖東第二小学校」を寄付している)
また、自費で医療診療所を建てるなど貧困者の救済と教育事業の助成を目的とした「持久会」を設立し基金を寄付している。