”スローライフ滋賀” 

【滋賀・近江の先人第338回】サッカー「アジアの壁」・井原 正巳(甲賀市)

 井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日~ )は、滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1990年代のJリーグを代表するディフェンダー(センターバック)で「アジアの壁」と呼ばれ[3]、1998 FIFAワールドカップにも出場した。家族は妻(1993年結婚)、第1子(男子、2006年出生)、愛犬(ゴールデン・レトリバー)。
サッカー日本代表のA代表CAP数122は遠藤保仁に次ぐ歴代2位である。

井原正巳のプロフィール                                                         http://www.ihara-masami.com/profile.html


選手として
 滋賀県甲賀郡水口町立貴生川小学校(現:甲賀市立貴生川小学校)でサッカーを始め、滋賀県立守山高等学校時代はフォワードであった。高校卒業後は筑波大学へ進学して蹴球部に所属。大学1年時に当時のユース代表監督であった松本育夫の勧めでディフェンダーに転向した。高校時代の経験が、後の「日本のリベロ」の下地を作ったといわれる。大学2年時に初めて日本代表に選出された。

 大学時代、当時ディフェンダーだった中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった。 大学卒業後は日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、一時はボランチも経験したが、ディフェンダーとしてプレーし、1993年Jリーグ開幕節 (5月15日) のヴェルディ川崎戦にも出場した。
Jリーグのオウンゴール第1号を記録した。

 ワールドカップへの挑戦は3回。1990 FIFAワールドカップ・アジア予選に始まり、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選ではあと一歩のところでW杯出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験。1998 FIFAワールドカップ・アジア予選でイラン代表との第3代表決定戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。

前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが、松田直樹との世代交代策によるマリノスからのコーチ就任要請を蹴って、2000年にジュビロ磐田へ移籍。更に2001年からは浦和レッドダイヤモンズにも在籍した。同年行われた2002年W杯1次リーグの組み合わせ抽選会ではアジア代表としてドロワーを務めているが、この時「ミッドフィールダー」と紹介された。

2002年、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグ通算297試合、5得点。


引退後
 引退後はNHKサッカー解説、TBSラジオ番組『スポーツBOMBER!』パーソナリティー(2003年度から下半期・木曜日担当)、日本サッカー協会認定のJFAアンバサダー、びわこ成蹊スポーツ大学客員教授、公共広告機構(現:ACジャパン)・骨髄バンクCMなど各方面で活躍するかたわら、S級ライセンスを取得し指導者の道を歩んでいる。日本各地の少年サッカー教室に参加するなどサッカーの普及にも力を注いでいる。2005年には洪明甫と共に日韓親善大使に選ばれた。2006年4月にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した。

 2009年2月、柏レイソルのヘッドコーチに就任。同年7月、監督の高橋真一郎が解任され、後任監督が決定するまでの代行監督を務めた。2013年にはシーズン中に監督の辞意を表明したネルシーニョに代わって天皇杯の1試合指揮をとった(その後ネルシーニョは辞意を撤回)。2014年限りで柏との契約を満了し退任。

 2015年よりアビスパ福岡の監督に就任。 最終的には2位磐田と並ぶ勝ち点82の成績を収めたが、得失点差により順位は3位となりJ1自動昇格は叶わず、J1昇格プレーオフに回ることとなった。 そのプレーオフの決勝戦において、4位のセレッソ大阪と1-1で引き分けたことで、年間順位で上回り、チームを5年ぶりのJ1の舞台に導いた。

 2016年シーズンは5年ぶりとなるJ1の舞台で指揮を執ったが、J11stステージで2勝5分10敗、2ndステージで2勝2分13敗と苦しみ、1年でJ2降格となった。

 2017年シーズンは21勝11分10敗で4位となり、J1昇格プレーオフに進出。決勝戦で名古屋グランパスと1年でのJ1復帰を賭けて対戦。試合は0-0の引き分けで終了し、レギュレーションによりJ2残留となった。

 2018年11月17日、J2第42節・FC岐阜戦終了後の会見で、J1昇格を逃したことに対する責任を取り、辞任を表明。 11月19日、アビスパ福岡の公式サイト上で2018シーズンをもって退任することが発表された。

 2018年12月13日、柏レイソルのヘッドコーチに就任。

 2023年からJリーグ・柏レイソルの監督を務めている。

柏レイソルの公式HP                                                          https://www.reysol.co.jp/


所属クラブ
1983年 - 1985年 滋賀県立守山高等学校
1986年 - 1989年 筑波大学
1990年 - 1999年 日本の旗 日産自動車 / 横浜マリノス/横浜F・マリノス
2000年 日本の旗 ジュビロ磐田
2001年 - 2002年 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ

指導歴
2006年8月 - 2008年8月 U-23日本代表 アシスタントコーチ
2009年 - 2014年12月 日本の旗 柏レイソル ヘッドコーチ
2009年7月・2013年9月 監督代行
2015年 - 2018年 日本の旗 アビスパ福岡 監督
2019年 - 日本の旗 柏レイソル ヘッドコーチ

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「滋賀・近江の先人」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事