東近江市の元「マルハチ珠玖醤油店」(東近江市西中野町)の主屋と蔵の二棟などが国の文化財建造物に選ばれている。
私がまだ小さい頃、珠玖醤油店では小豆と醤油を物々交換交換がまだ残っていた。また、店では酒の販売もやっていた。
当事の当主は明治末生まれの珠玖茂三郎さんで私の父と同級生で親しかった。茂三郎さんは三重大学農学部で醸造を学んだインテリで、八日市市会議員もしていた。私が知る茂三郎さんは年格好からみて2代目茂三郎にあたる。
珠玖醤油店の主屋は文政12年(1829年)以前の建物とみられ、珠玖家は、代々醤油屋を営んだ富商「灰谷保右衛門」家から買い取り、明治25年(1892年)からマルハチの商標を継承している。
「灰谷保右衛門」は富商近江商人で大庄屋でもあった「灰谷東衛門」家の分家である。灰谷保右衛門は初代中野村村長を務めた人物でもある。
木造瓦葺平屋188㎡の建物は、御代参街道に東面する厨子2階建ての町屋で、店舗と作業場からなる広い土間と居室を仕切る戸板や格子、摺上戸、竹詰打ちの塀など、当時の雰囲気が良く残っている。
主屋と同時期に建てられた土蔵造瓦葺2階建て延べ46㎡の蔵は、大壁造や白漆喰塗の土蔵と切妻造、桟瓦葺の置屋根が特徴。1階に土戸、2階には鉄格子窓が設けらている。土蔵は現在、「NPO法人レンガのえんとつとまれ」として利用されている。
創業明治25年、120年以上続くマルハチ醤油の製造・販売は珠玖茂三郎氏→珠玖恭夫氏→珠玖成生氏と引き継がれ、現在は「ぷちショップしくマルハチ」(東近江市東中野町)を営んでいる。「マルハチ醤油」は鈴鹿山麓の名水「京の水」を使用し低温で旨みにこだわった醤油として今も存続している。
↑今も健在のマルハチ醤油(東近江市東中野町)
醤油は今日では全国規模のメーカー商品に占有され、小規模の自家醸造を商売としてやって行くには困難も伴うだろうがマルハチ醤油には東近江市の地場醤油の伝統を今後も守って欲しいものだ。それには消費者も購入で応援することが重要である。