石橋から小田原への帰り、石橋ICの先で 国道から旧道へ入ってみると__
すぐ左手に鳥居が見え「あ ここが紀伊神社ね?」とわかりました。
ここの道祖神さんは「市指定重要文化財」だそうです。
↓長の年月で輪郭はおぼろですが 苔むし古びて尚
道を守って下さってる姿には心打たれます。
(↑追記2023.06.27/ すみません、早川の道祖神は「稲荷型」という珍しいタイプで このお像の左手の祠にいらっしゃったもよう・・・//この石像は庚申さん あるいは馬頭観音?)))
さて 神社へ挨拶に・・・
↓? もしかしてあの線路の下をくぐって行くのでしょうか?
↓東海道本線の向こうに お宮へ上がる階段がありました。
(こんな風になっていたんだー!)
↓階段の先にあったお社。平安初期の創建で
ご祭神は林業の神様 五十猛命(いそたけるのみこと)と
木地挽きの祖といわれる惟嵩(これたか)親王_だそうです。
紀伊神社は 地元では「木の宮さん」と呼ばれ
特に木工業に携わる皆さんの信仰を集めたお宮。
(元々は「木宮(きのみや)大権現」といったそうです。これが紀伊~になったのですね)
こちらの社宝は 「木地椀」ですって。(市の重要文化財)
なるほど、な宝物ですね。
↓お神輿の格納庫かな?
検索で こちらの春の例大祭の画像をみましたが なかなかに迫力があって素敵!(河岸の祭り!って感じなの)いつかおじゃましてみたいなあー。
↓狛犬達は 逃げ出さないように(?)
籠に入れられていました。
↓左の「うん」形は なんとあぐらをかき 手招きしています。
まねきねこ型 っていうらしいのですが
私このタイプ初めて見たのでびっくりしました。
↓神社ですが 鐘つき堂が残っていました。
(明治政府によって神社とお寺が分けられるまで
日本では「神仏混淆」だったのですね)
がたん ごとん がたん ごとん ごおおおおおー
↓突然の大音量に驚き振り向いたら 目の前を電車が通過!
あわててバッグからカメラを取り出しましたが間に合わなかったー^^;
__ と こんなのがnumabe的紀伊神社初参拝 だったのでございます。(おしまい)
追記:案内板にあった惟嵩親王の記述が興味深かったので ここへメモしておきます_
惟嵩親王は天安二年(858年)京の都を追われ伊豆の河津への流罪となった・・・ものの嵐で国府津の海岸へ漂着し、早川の庄(つまりこの地)へ至って没した、のですって。又親王の付き人が木地を挽いて「朝夕の奉仕の料にあてた」そうで、早川に現存する「木地挽」という字名はこれに由来すると言われているそうです。
惟嵩親王というと業平が使えた方。そんなお方が小田原で亡くなっていたとは知りませんでしたー。
(↑追記2023.06.27/ 伝承によれば、 ですね^^;)
すぐ左手に鳥居が見え「あ ここが紀伊神社ね?」とわかりました。
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ここの道祖神さんは「市指定重要文化財」だそうです。
↓長の年月で輪郭はおぼろですが 苔むし古びて尚
道を守って下さってる姿には心打たれます。
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(↑追記2023.06.27/ すみません、早川の道祖神は「稲荷型」という珍しいタイプで このお像の左手の祠にいらっしゃったもよう・・・//この石像は庚申さん あるいは馬頭観音?)))
さて 神社へ挨拶に・・・
↓? もしかしてあの線路の下をくぐって行くのでしょうか?
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↓東海道本線の向こうに お宮へ上がる階段がありました。
(こんな風になっていたんだー!)
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↓階段の先にあったお社。平安初期の創建で
ご祭神は林業の神様 五十猛命(いそたけるのみこと)と
木地挽きの祖といわれる惟嵩(これたか)親王_だそうです。
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紀伊神社は 地元では「木の宮さん」と呼ばれ
特に木工業に携わる皆さんの信仰を集めたお宮。
(元々は「木宮(きのみや)大権現」といったそうです。これが紀伊~になったのですね)
こちらの社宝は 「木地椀」ですって。(市の重要文化財)
なるほど、な宝物ですね。
↓お神輿の格納庫かな?
検索で こちらの春の例大祭の画像をみましたが なかなかに迫力があって素敵!(河岸の祭り!って感じなの)いつかおじゃましてみたいなあー。
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↓狛犬達は 逃げ出さないように(?)
籠に入れられていました。
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↓左の「うん」形は なんとあぐらをかき 手招きしています。
まねきねこ型 っていうらしいのですが
私このタイプ初めて見たのでびっくりしました。
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↓神社ですが 鐘つき堂が残っていました。
(明治政府によって神社とお寺が分けられるまで
日本では「神仏混淆」だったのですね)
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がたん ごとん がたん ごとん ごおおおおおー
↓突然の大音量に驚き振り向いたら 目の前を電車が通過!
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あわててバッグからカメラを取り出しましたが間に合わなかったー^^;
__ と こんなのがnumabe的紀伊神社初参拝 だったのでございます。(おしまい)
追記:案内板にあった惟嵩親王の記述が興味深かったので ここへメモしておきます_
惟嵩親王は天安二年(858年)京の都を追われ伊豆の河津への流罪となった・・・ものの嵐で国府津の海岸へ漂着し、早川の庄(つまりこの地)へ至って没した、のですって。又親王の付き人が木地を挽いて「朝夕の奉仕の料にあてた」そうで、早川に現存する「木地挽」という字名はこれに由来すると言われているそうです。
惟嵩親王というと業平が使えた方。そんなお方が小田原で亡くなっていたとは知りませんでしたー。
(↑追記2023.06.27/ 伝承によれば、 ですね^^;)