おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

第4回 小田原まちあるき検定に参加しました(その一)早川あたり

2008-10-27 01:17:49 | 小田原-イベント
危ぶまれたお天気も なんとか持ちこたえてくれた26日(日)
numabeは 「小田原まちあるき検定」に参加して参りました。

10時JR早川駅集合

 私は「3班」。引率者は社会学の研究者、平井太郎さん。(というのは帰ってから知りましたが)

同じ班には「FM湘南」のレポーターさんも。

まず向かった小田原漁港__

ここも今日は「うお市場まつり」で賑わっていました

__ので、私たちは場外で漁港についてレクチャーを受けました^^;
(獲れる魚が 時代とともに変わっていった話など 興味深かった / って、申し訳なくも漁港の専務さんの写真は撮り忘れました。上でお話下さってるのは平井さんです。平井さんからは この漁港が 小田原と熱海を結ぶ街道を横切って作られている事や、 ご自分が小さい頃 漁港内で網で魚をすくって獲っていた話などを伺いました)

続いて 早川口の遺構「二重戸張(ふたえとばり)」の見学_ 
ここは 以前一人で来た時は、どういう構造なのかわからなかった場所。
(↓知らずに来ると公園にしか見えないかも?)

二重戸張、というのは 外側に堀を配した二重の土塁_だそうです。
平井さんの案内で左の高い土塁(城内側)と右の低い土塁(城外側)の間の「空堀(からぼり)」を歩いてみました。

面白い事に「行き止まり」としか見えなかった空堀が、平井さんと一緒だと「通り抜け可」となるのです!

(ここは平井さんの「遊び場」だったそうです^^)

城外側の土塁の上から外の堀側へピョンと降りる。
これぞフィールドワーク!
土塁の大きさを体で測りました^^
「地元っ子の平井さんに案内して頂けてラッキー」って思いました。

↑飛び降りた先_遺構の外側の堀の跡。ほんの数年前までコンクリートの蓋はなく 用水の水が流れる「現役の堀」だったそうです。

海辺の砲台跡地も歩きました。

今は公園です。

今は西湘バイパスしか見えないけれど、江戸時代には海に向かって大砲が並んでいたのでしょうね。

時に__私はこういう「子供の絵」が大好き^^


大胆で愉快!

おーっと 長くなっちゃった。
ここで一旦 切りますね。
(あいかわらず適当で スミマセン) つづく__

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2 コメント

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何キロ歩いたぁ~? (K2)
2008-10-27 19:18:00
>numabeは 「小田原まちあるき検定」に参加して参りました。
ここは、「早川駅」
直ぐ側じゃ、「コスモス」が咲き、お魚さん達が・・
>私は「3班」。
何班あったの
>同じ班には「FM湘南」のレポーターさんも。
「Fヨコ」や、「15チャンネル」は、来てたのかなぁ~
>私たちは場外で漁港についてレクチャーを受けました^^;
あ~・・オアズケ状態
>ご自分が小さい頃 漁港内で網で魚をすくって獲っていた話などを伺いました)
網で魚を

>ここは 以前一人で来た時は、どういう構造なのかわからなかった場所。
よく、こんな所へ行ったねぇ~
>(↓知らずに来ると公園にしか見えないかも?)
公園ねぇ~ 一応ベンチが置いてあんね
>見ているのは 左の高い土塁(城内側)と右の低い土塁(城外側)の間の空堀、です。
歩いてるのが、「空掘」って事かニャ
本来は、もっと深かったのかなぁ~
>更に「行き止まり」と思っていた空堀は「通り抜け可」でした!
土塁の上の建物は・・民家
>城外側の土塁の上から外の堀側へピョンと降りる。
着地は成功した?
>ほんの数年前までコンクリートの蓋はなく 用水の水が流れる「現役の堀」だったそうです。
蓋がなかったら、堀に着水

>今は西湘バイパスしか見えないけれど、江戸時代には海に向かって大砲が並んでいたのでしょうね。
「お台場」と同じだね
>おーっと 長くなっちゃった。
こんな子のレスも・・
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K2さんへ (numabe)
2008-10-27 23:00:22
何班あったかゴメン正確にはわからないんだけど 50人弱の参加者を 早川駅に到着した順に約10名ずつグループにしていったみたいだったから4班、かな?5班かな?
班によっては「うお市場まつり」も覗かせてもらったみたいよ。(あやちゃんの頁には うお市場まつりの写真が何枚もあったからねー)

あいかわらず「自分語」でしゃべっててごめんね、ちょっと書き直してみたよ、少しは通じる文になったかしら?

土塁の周辺には民家が「普通に建っている」感じでした。 多分ここが「遺構」なんて知らずに家を建ててきたんでしょうね。/ 空堀は 作られた当初はかなり深く掘られていたらしいですね。

平井さんが子供の頃は_って平井さんはまだ若いんだけど_ 堀には蓋がなく その先の用水路と繋がっていて 男の子達はそこをじゃぶじゃぶ歩いて遊んでいたそうですよ。
土塁のあのポイントからおりると 間違いなく「着水!」だったでしょうね^^ それとも男の子達は「向こう岸へジャンプ!」してた、かな?
いずれにしても なんだか羨ましい~!

K2さんの子供時代にも まだまだそんな どろんこになって遊べる環境、残っていたのかなー?
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