雨が上がったゴールデンウィーク2日目。
鳥居は地震にも水害にも耐えて立っていました。
周囲4キロの湖を回るコースの道路は荒れていて、通る車もほとんどありません。カーナビの山下池です。
なにをするわけでもなく 漫然と時間が過ぎていきます。朝食の後は すぐ昼食です。
ぼ~っとしていると 夫が
『山下池に行ってみるか』と誘います。池と言っても周囲4キロの人造湖です。『山下湖』とも呼ばれます。
山下池は大正の初期、九州電力が大分川の発電所の貯水用として作った人造湖で、湖底から水も沸いていたそうです。
周囲は九州電力の社有林として水力発電用の水源林として植林した森であり、灌漑用水の水源としても利用されていました。子会社の九州林産(株)により管理され 当時は広葉樹林の植林等も進んでいました。実家の父もその会社で植林に関係していて 最後は造林課長でした。
退職後も岸辺に矢じりや石斧が出ると言って 採集に通っていました。
出かける前に 『山下池に なにか 店はあるの?食べるものはあるの?ソフトクリーム🍦とか』
『あるわけない、ドライブだけや』
『😩』
昔は遠足で山下池まで歩いたそうです。湖畔の『レークサイドホテル』や『湖畔荘』や『ボーリング場』や『ゴルフ場(くじゅうカントリークラブ)』や『鱒(マス)の養魚場』がありました。
当時のポスターです。
昔はたいそう賑わっていた感があります。隣の天然の『小田の池』にはキャンプ場があり冬はスケートができました。
実家の父は薄暮ゴルフによく来ていました。
『湖畔荘』では 夫の祖母の喜寿のお祝いをしました。
『鱒(マス)の養魚場』では父の紹介で夏休みに チケット売りのアルバイトをしていました。
釣った魚を湯布院の食堂の『鯉万』のおじいちゃんとおばあちゃんが二人で調理して出す食堂もありました。二人に気に入られて 食堂でアルバイトもしました。
そして『レークサイドホテル』は1975年4月12日の大分中部地震で二階部分が落ちました。このホテルの崩壊でホテルの耐震性が叫ばれるようになったそうです。
その後 建て替えられた このホテルで結婚式を挙げたのも はるか昔のことです。
すべて過ぎ去った思い出ばかりです。今は すべて廃業、閉鎖で 思い出は記憶だけとなりました。
当時は水を たんたんと貯めていた山下池も 今は水が少なく 護岸が見える場所もあります。
4キロの一周コースを回ると昔の満々とした光景はありません。
あら 山下池の『ヤッシー?』
突然 夫が『昔 ほこらがある 神社があった』と言います。初耳です。
なんと 古い看板がありました『山下神社』です。
私は車で待ち、夫が苔むした小道を下ると ありました『山下神社』。初めて聞きました。
祭神は竜神様で雨乞いの神様と書いてあります。
鳥居は地震にも水害にも耐えて立っていました。
周囲4キロの湖を回るコースの道路は荒れていて、通る車もほとんどありません。カーナビの山下池です。
池を回るコースを通らない 普通の道路もあるので そちらを通るのが普通です。
周回コースは森林浴やバードウオッチングには最高で、木の香りの『フィトンチッド効果』はありそうです。
帰りの最後に気づいたのは『山下湖ロッジ』という戸建ての宿泊施設が立っていたことです。