ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

復興への道

2024-12-27 | 水害の復旧
12月25日に旧湯平小学校の体育館に夫を連れていき その後 グラウンドを見下ろしました。

あんなに広かった運動場が狭くなりプールも消えました。



川沿いを走っている県道が運動場側に移動します。1月6日から その道が通れるようになります。この辺りは 2025年10月まで この工事が続きます。水害があったのが2020年7月ですから 5年以上かかることになります。その間 二度も被害が続きました。

立っている場所にあった地区公民館も消えました。










国道210号線から登ると信号機🚦が2ヵ所にあります。下から二番目の信号機の先で『熊尾橋』の架け換え工事をしています。

この部分 仮の熊尾橋も、手前の道路も狭く急ですから気をつけて下さい。

娘達も孫も帰って来ます。雪が降らないことを祈ります🙏



上流の光景

2024-11-16 | 水害の復旧
(きのうの記事を修正しました)

花合野(かごの)川上流の『明治橋』の上から川底を見ると

道路のように見えますが、ここは川底です。水は左下の地下にパイプを埋めて流れています。


川底を大型ダンプが 行き来していました。不思議な光景でした。



ようやく 作業が終ったようで、岩も深みも無くなり 水がスムーズに流れるようになりました。



水害から4年4ヶ月経ちました。



同じ場所を昔 夫の伯父が描いていました。これは今 オランダの個人宅にあります。水害前の光景は こんなに穏やかでした。










道路が半分ありません

2024-09-24 | 水害の復旧
能登半島では正月の地震に続き、水害が発生して 胸が痛みます。仮設住宅が水に浸かるなんて…一年のうちに二度も自然災害に会うなんて…行方不明の方が見つかりますようにと祈ります。

当地で2020年の水害で流された四人の知人のこと、去年 近くの河川工事中に流された お二人の作業員の事が思い出されます。

当地には避難所が無くて、遠くまで行かなくてはなりません。遠くに行くと 帰宅が遅れます。

今回 高台にある農民研修センターを改築して 農民研修センターを兼ねた避難所が作られる事が決まりました。


完成すれば 避難の際は こちらにお世話になることになるでしょう。危険な思いをして、遠くに避難して 帰る時も怖い思いをしなくて済みます。


国道210号線に下る道に2ヵ所の信号機が立っています。長いと1ヵ所で3分待たされます。

待った時に車から降りて下を見ました。 2020年の水害で道路が半分流れた場所です。四年経っても こんな感じです。

道路が半分ありません。



8月末の台風10号の時も避難しましたが、ここを通らず 上方向に向かい 湯布院に避難しました。

今後 もしもの時は 建設される避難所にお世話になるでしょう。










重機で大木を切る

2024-07-25 | 水害の復旧
先日の朝、なにやら カーンカーンという大きな金属音がします。

なんの音かなと、見回すと…
なんと 正面の白いガードレールの一部が撤去されています。ここは県道です。






夫婦で妄想話が始まりました。
『古くなったガードレールを付け替えるのかな?』

『国道210線のガードレールのように焦げ茶色になるのかな』

『中途半端な場所からはじめるんやな』

などなど好き勝手に話は進みます。

そこで 暇なおばさんが 事の経緯を見守ります。


大きな爪の付いた重機が上の道に、大型ダンプカーが下に配置されます。なにが始まるのでしょうか?


外されたガードレールの上の木の茂みが道路上にかぶさっています。どうやら この茂みをカットする匂いがします。





防災の観点から この ぼさぼさした巨大な茂みを伐採するようです。ここを通る時は暗く圧迫感があります。大雨で木や枝が倒れ落ちる前の県の対応と思われます。

作業の様子が面白そうで しばし作業見学となりました。


重機のオペレーターが上手にアームを動かして 繁った大木の幹を がしっと つかみます


そして 幹をつかんだまま チェンソーで伐採を始めました。

カッター音を響かせて木屑を飛ばしながらカットし始めると、上の方の枝の塊がユサユサと大揺れします。




カットし終わると 枝をつかんだまま ゆっくりと道におろし、更に細分化してカットし、それを ひとかたまりにして掴み、下の大型トラックのカーゴに静かに降ろします。オペレーターの技量に驚かされました


伐採の度に県道の上下を手動で通行止めにします。

車を長く停止させられないので スピードある作業です。小さな手動のチェンソーと 葉を吹き飛ばすブロワーも活躍していました。

通行止めを4回しましたが、解除の度に 作業員は通過する車に一台ずつ頭を下げていました。


計4本の枝を伐りました。それが終った後に 先ほど登った救急車が 下って来ました。通行止めの時間帯でなくて良かったです。



無事 作業が終了し、 ガードレールを元通りにセットしました。

この 鬱蒼状態が

以下のように変わりましたが



わかるかな~?

わかんないだろうな~

正面からは分かりにくいのですが、下を歩けば一目瞭然です。明るくなり 圧迫感が無くなりました。

スムーズな作業に拍手👏を送ります。










水害からの復旧工事

2024-05-28 | 水害の復旧
先日の温泉まつりの稚児行列から帰り道 石畳から脇道に入り、砂湯橋の上から上流を写しました。左側に祭り会場が見えます。





大水害から3年10ヶ月(さきほど2年10ヶ月と書いてしまいました)2020年7月7日~8日のことです。

3年10ヶ月かかって 花合野川の護岸は直線的にセメントで固められ 昔の風情は みじんも残っていません。


右下にあった 共同温泉『砂湯』も流れ去りました。

護岸作業 復旧工事の技術には驚くも 昔の のどかな風情ある流れは消えました。同じ場所には見えません。


昔の光景・・・奥の橋は崩れ、左側の夫の恩師の家も無くなりました。



今日も うちの川向こうには ミキサー車がセメントを回しながら待機しています。上流の工事現場に向かっています。



自然と安全を天秤にかけたら 安全を優先するのは仕方ない話と思い切るしかありません。