2018年10月に、創成(そうせい)川のそばにできた、こちらの建物がグランドオープンした時、それはそれはうれしくて、しょっちゅう足を運びました。
「さっぽろ創世スクエア」であります。
私、創成川のそばにあるのだから、てっきり最初、「創成スクエア」だと思いました。
ところが大間違い!
「創世スクエア」であります。
なんて、ややこしいのでしょう!
なんで「創成スクエア」じゃないのでしょう。
絶対、どっかで間違える気がします。(笑)
さて、「さっぽろ創世スクエア」は、「北一条西一丁目」街区全体を指しているそうで、名前の由来は、次の通り。
「札幌の発展の起点となった創成川沿いに位置する、正方形の街区という、当施設の特性を表しているとともに、『創世1.1.1区』(そうせいさんく)の名で推進してきたエリアのイメージを継承。頭文字に3つのSが並び、分かりやすく覚えやすい、施設がもたらす新時代を想起させる名称である。」
とのこと。
なお、「創世1.1.1区」(そうせいさんく)とは、中央区北1条西1丁目・大通西1丁目・大通東1丁目の3箇所を合わせた名称であり、創成川東地区の再開発の中心となる大規模な地区であります。
対して、「創成川」の名の由来について。
最初、「創成川」は「大友堀」と呼ばれる用水路でありました。
創成川の元となる「大友堀」を作った大友亀太郎の像は創成川に架かる創成橋のそばにあります。
それが明治7年(1874)に、「創成川」に改称します。
そのきっかけとなったのは、こちらの橋であります。
南1条通にあるこの橋は、最初は丸太を並べただけの名無し橋でありました。
それを明治4年(1871年)に欄干のついた木橋に架け替え、「始成橋」と名付けようとしていたところを、判官・岩村通俊(いわむらみちとし)が「創成橋」と名付けました。
ちなみに、岩村通俊は土佐藩出身、北海道開発に情熱を持っており、開拓判官・島義勇の立てた街づくりの構想を実行に移した人物であります。
現在、札幌を大通公園で南北に分けたり、創成川で東西に分けるといった基盤は島と岩村によって造られたものであります。
(あと、岩村通俊はすすきのに遊郭を作りました。)
そんな訳で「創成」の名は、まずは橋に、次に川に付けられたのでした。
創成川の風景
さてさて、「創成」と「創世」。
適当に書いていると誤表記となる恐れがあります。
実のところ、どれだけ名前に用いられているのでしょう。
ちょこっと調べてみました。
<創成>
・創成川
・創成橋
・創成川通
・札幌創成高校
・創成東病院
・創成川イースト(エリアの名前)
・創成こころのクリニック
・創成グランドハイツ
・創成札幌こども園
・創成パークビル 等々
<創世>
・さっぽろ創世スクエア
・創世内科クリニック
今のところ圧倒的に「創成」の方が多いですね。
「創世」はエリアとしては狭い分、少ないですが、それでも「さっぽろ創世スクエア」以外に使用しているところがあるのには驚きました。
もしかしたら、今後ちょっとずつ増えていくかもしれません。
増えていくか、注視していきたいと思います。
<参考資料>
- ウィキペディア「さっぽろ創世スクエア」、「創成川東」
- まち歩き札幌の歴史(赤谷正樹・著 北海道新聞社)
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