SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

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こんな詩集です。 『自註 富士見高原詩集』 (詩人 尾崎喜八)

2016-03-03 17:35:23 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
~自註 富士見高原詩集について~


<出版時期>
(1)1969年(昭和44年)出版社:青娥書房 喜八77歳 (限定千部)
(2)1984年(昭和59年)出版社:鳥影社  喜八没後10年
*尾崎喜八(1892.1.31-1974.2.4)没82歳。富士見在住は、七年間<1946年(昭和21年)から1952年(昭和27年)>です。

『花咲ける孤独』(代表的詩集
詩人 尾崎喜八には、長野県富士見在住時代にものを集めた『花咲ける孤独』という詩集があります。(昭和30年2月出版)しかし、今ではもう絶版になっており、その後『尾崎喜八詩文集』第三巻として出版され今日に至っています。(昭和34年10月出版)

『自註 富士見高原詩集』
『自註 富士見高原詩集』は、「花避ける孤独」以降の作品も加え、富士見高原で得た詩からだけ総数七十篇を選んで出版されています。


 『自註 富士見高原詩集』を出す気になった理由は、それは【自註】である、と喜八は以下のことを語っています。

「作者自身が自分の詩に註釈を施し、或はそれの出来たいわれを述べ、又はそれに付随する心境めいたものを告白して、読者の鑑賞や理解への一助とするという試み」である。

詩は言葉と文字の芸術であると同時に作者の心の歌であるから、本来ならばその上更に、解説その他を加える必要ないはずだが、色々と出る選詩集の中に、選者その人の鑑賞や、註釈や、或いは批判めいた物さえ添えられている場合が多くなり、それは又それで必ずしも悪くはないが、しかしそのために作者本人がいくらか困惑を感じる場合も絶無とは言えない。

鑑賞や批判が原作者の本来の意図や気持ちと食い違ったり、註釈に誤りがあったりしたのでは、迷惑するのは作者ばかりか、心ある読者、鑑賞力の一層すぐれた読者の中には、その事に不満や不快を感じる人さえいるのである。

現に私はそういう例を幾つか知っているので、今度は敢えて自註という新しい試みに手を染めた。ともかく、私はこういうことをやってみた。あとは読者の自由な判断に任せるほかはない。まず、詩を読み、更に註を読めば、或いは私という人間の心と生活と芸術とを一層よく理解してもらえるかと思うのである。
(1969年<昭和44年>11月7日 立冬の日)

 『自註 富士見高原詩集の再販にあたって』(巻末)に、妻:尾崎実子(みつこ)は、こう語っています。

戦後の厳しい生活を、信州富士見の大自然の中で過すことの出来たその七年間は、尾崎にとって最も詩のこころの澄み、充実した時期でした。新鮮な喜びに輝いた眼を忘れることが出来ません。

七十数年の私の生涯の中で出逢った自然や、音楽や文学や人々から受けたその時々の感動の数々を、再び尾崎が私を誘って詩的な心を移し植えながら歩んでくれるような気がいたします。

新たにこの自註詩集をお読み下さるお若い方々、場所は信州富士見でなくても、それぞれの場所で同じような体験や感動をお受けになることがおありでしょう。

そしてこの自註を読まれて、ご自分達もその時にやはり詩のこころを持たれたという事に気付いてくださるのではないでしょうか。
(1984年<昭和59年>2月5日 立春の日)


「第17回富士見高原 詩のフォーラム」
詩人:尾崎喜八ゆかりの地、富士見町
富士見高原のミュージアムにて
2014年8月23日(土)



富士見分水荘書斎にて(写真:勝山甲一氏)