「朝のひかりに感謝」
3月16日~17日にかけて、昼と夜の時間が同じになります。
日の出 6:07 日の入り 18:07 (大阪)
*国立天文台 暦計算室 各地のこよみ: http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/
『春分の日』 を前に、これから「夏至」ごろまで、日ごとに、「昼」が長くなります。(うれしい!)
今日(3月15日)も「朝のひかり」で目覚めました。
白い雲も、午後には、すっかりいなくなり、青空に。夕暮れは、元気な太陽も、西の山に沈みました。「ごくろうSUNでした!」




<各地の日の出入り> 3月16日(水)
日の出 日の入り
札 幌 5:45 17:42 (17日、昼夜が逆転)
仙 台 5:46 17:45 (17日、昼夜が逆転)
東 京 5:50 17:49 (17日、昼夜が逆転)
名古屋 6:02 18:01 (17日、昼夜が逆転)
大 阪 6:07 18:07 (17日6:06 18:07)
福 岡 6:28 18:27 (17日、昼夜が逆転)
沖 縄 6:38 18:39 (17日、昼夜が逆転)
尾崎喜八は、 詩人 八木重吉 の詩碑 を訪ねています。
喜八にしてみれば「思いがけない出逢い」のようですが...
後に、「春愁」(しゅんしゅう)<尾崎喜八詩文集3『その後の詩帖から』>を詠み、そして
男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』 Ⅲ春愁 の表題に記載されているのが、以下の「副題」です。
『八木重吉詩集 素朴な琴』 の中に、こんな詩があります。
「雨の日」 詩人:八木重吉
雨が すきか
わたしは すきだ
うたを うたわう
喜八にしてみれば「思いがけない出逢い」のようですが...
○尾崎喜八(1892.1.31-1974. 2. 4)
○八木重吉(1898.2. 9-1927.10.26)
*重吉、29歳と若くして病没。
○八木重吉(1898.2. 9-1927.10.26)
*重吉、29歳と若くして病没。
後に、「春愁」(しゅんしゅう)<尾崎喜八詩文集3『その後の詩帖から』>を詠み、そして
男声合唱組曲『尾崎喜八の詩から』 Ⅲ春愁 の表題に記載されているのが、以下の「副題」です。
~ ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って ~
* ゆくりなく : 思いがけず、偶然に。『八木重吉詩集 素朴な琴』 の中に、こんな詩があります。
「雨の日」 詩人:八木重吉
雨が すきか
わたしは すきだ
うたを うたわう
今日は雨。
降り続けると、今日は、特に肌寒く感じます。
男声合唱でよく歌われる 『組曲 雨』 終曲:「雨」を歌うのではなく、
「雨の音」にしようと思い、スコアを、ストリングス音源作成してみました。
よろしければ、お聴きください。
降り続けると、今日は、特に肌寒く感じます。
男声合唱でよく歌われる 『組曲 雨』 終曲:「雨」を歌うのではなく、
「雨の音」にしようと思い、スコアを、ストリングス音源作成してみました。
よろしければ、お聴きください。
(2分24秒)
雨 八木重吉
雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと
世のためにはたらいていよう
雨があがるように
しずかに死んでいこう
雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと
世のためにはたらいていよう
雨があがるように
しずかに死んでいこう
尾崎喜八 実録です。
十五年のその昔、美砂子よ、お前は二歳、
私は幼いお前をかるがると背負い、
白い頭巾をすっぽりかぶせる。緑の毛布に厚くくるんで
まだ雪の消え残る信濃富士見の高原に
天上の春の最初の使信、
復活祭の雲雀の歌を遠く求めて歩いたものだ。
今、成人してその天からの春の知らせの深い意味を
ようやく身うちに感じている若いお前が、
年こそ経たれ、この同じ復活祭の夕暮れに
私のためにバッハのオルガン衆讃曲コラールを弾いてくれる。
そしてもうお前を抱く事も背負う事も叶わない私が
毛布を膝に、指を組んで聴き入っている。
しかしその年老いた今日きょうの私を
お前が憐み、いとおしむのはまだ早い。
私はこうして、ここにまだ在る。
まだいくらかの仕事の日々も許されている。
しかし、しかし、そういう私の存在が
やがて懐かしいこの世から消えた時、
或る春の同じ安息日の夕暮れに
お前はふと私の訪れを空気に感じて、
同じコラールを、花の窓べに。
一層深い思いで弾いてくれるだろうか。
されど同じ安息日の夕暮れに (朗読:尾崎喜八)<2分31秒>
十五年のその昔、美砂子よ、お前は二歳、
私は幼いお前をかるがると背負い、
白い頭巾をすっぽりかぶせる。緑の毛布に厚くくるんで
まだ雪の消え残る信濃富士見の高原に
天上の春の最初の使信、
復活祭の雲雀の歌を遠く求めて歩いたものだ。
今、成人してその天からの春の知らせの深い意味を
ようやく身うちに感じている若いお前が、
年こそ経たれ、この同じ復活祭の夕暮れに
私のためにバッハのオルガン衆讃曲コラールを弾いてくれる。
そしてもうお前を抱く事も背負う事も叶わない私が
毛布を膝に、指を組んで聴き入っている。
しかしその年老いた今日きょうの私を
お前が憐み、いとおしむのはまだ早い。
私はこうして、ここにまだ在る。
まだいくらかの仕事の日々も許されている。
しかし、しかし、そういう私の存在が
やがて懐かしいこの世から消えた時、
或る春の同じ安息日の夕暮れに
お前はふと私の訪れを空気に感じて、
同じコラールを、花の窓べに。
一層深い思いで弾いてくれるだろうか。