故郷便り3:友人に感謝!

2005-05-27 | Weblog
<17日> 礼儀正しいお友達

伯母の家で荷物整理を済ませ、私はまた主人の実家へ。
義母は姉も寄ってお茶でも飲んでいくものと考えていたのに
姉は親戚の叔母を送って行ってしまいました。
実は私がその後で友人に会う予定だと言ったからなんです。

帰省が決まって真っ先に連絡した友人は3時まで仕事のため
この日の3時過ぎにお茶でも、という約束になっていました。
徒歩15分くらいのファミレスで会う予定でしたが
すっかりバテた私が図々しく義母に頼んで
主人の実家まで来てもらうことに

快く場所変更をOKしてくれた友人が現れた時、
その手には手土産の箱が・・・ごめんなさ~い
そういう気を遣うヒトでした。
何年か前にも同じように主人の実家に来てくれた時、
後日お礼の手紙が届いて義母が感心しておりましたっけ
そんな礼儀正しい友人を持って鼻が高いやら、
毎度図々しい嫁としては恥ずかしくなるやら・・・

それから2時間弱くらいだったでしょうか・・・
 "お持たせ"のシュークリームと
義母が淹れてくれたコーヒーで楽しい一時を過ごしました
もう一度、月曜日に会えそうな様子・・・楽しみ~

故郷便り2:関係者6人?

2005-05-27 | Weblog
<17日> 伯母の住んでいた家

今回の帰省の第一目的は、このたび老人ホーム(特養施設)へ
移ることになった伯母の引越しを手伝うこと。
この日、10時からという約束で伯母が一人で暮らしていた家に
集まったのは、女性ばかり6人・・・
一番近い身内が姪の私達、親戚の叔母が一人、あとの3人は他人。
何故そのようなメンバーになったか、そして、そこで
垣間見えた伯母の人生、それが今回のお話です。
暗い話も多く長くなりそうですから予めお詫びしておきます


伯母は亡くなった母の姉なのですが、片親も違い年齢も離れていて
ほとんど一緒に暮らしたことは無かったと想像されます。
昔は色々あったのでしょう、私にはよく理解できていない事情から
幼くして子守などの女中奉公へ出されたとか。
それから苦労の連続だった伯母と、
(本人は怒るかもしれませんが)苦労らしい苦労もせずにきた母と
微妙な軋轢があったことは私達も感じてはいましたが
それでも姉と私、二人の姪をとても可愛がってくれました。

伯母は奉公先でも相当苦労したらしいのですが、運良く出会った
赤の他人のご夫婦のお世話になり、そこのお宅で家族同然に
暮らしていました。(昔は似たような話が多いそうです)
その夫婦が親代わりとなってくれて、ある家の後妻として嫁ぎました。
(これにも何か事情が?でも全く分かりません)
優しい家庭だったそうですが、たった5年でご主人が
舅・姑・先妻の息子を残して亡くなってしまいます。
親代わりの家では帰ってきても良いと言ってくれたらしいのですが
残された家族を見捨てられず結局そのまま・・・その後
舅さんが亡くなってからは女手一つで一家を支えてきたそうです。

そんなに苦労して育てた"なさぬ仲"の息子は、一度は伯母と
同居しようと呼び寄せたこともあったのですが嫁とうまくいかず
伯母が新潟で一人暮らしに戻ってからは徐々に疎遠になり
最近ではほとんど連絡もよこさない有様。。
ほとんど病気知らずで健康な伯母も足が弱り危なっかしいので
周囲が案じるようになっておりました。

そんな時、昔伯母の親代わりとなってくださった家の
一番下の娘さんが、運良く介護関係の仕事をしていたために
伯母のため生活介護のヘルパーさんを派遣し、さらには
今回移ることになった老人ホームを見つけて下さったのでした。
その方は歳が離れているので伯母のこともよくご存知ないのに
「親が『この人を身内と同じに面倒見なさい』と言い遺したから」と
親身になって世話をしてくださったのです。
疎遠の息子にも連絡をとり、ホームに入る許可や
入居費用が足りなければ払うという話までつけてくれました。
(電話のたびに不快な思いもなさったそうです。。)
私達は親戚でも息子の存在ゆえに手が出せずホームの当てもなく
心配するのみでしたから本当に助かりました。

老人ホームを嫌がっていた伯母も足のことや認知症の進行のため
流石に諦めているとのこと。
プロでもあり、他人なのに親身になってくれる人の勧めとあっては
諦めざるをえなかったのが本音かもしれません。

そんなわけで17日、一時入所の介護施設にいる伯母本人には
いつが引越しか内緒にしたまま、ホームへ持っていく荷物を
まとめるために有志(?)6名が伯母が借りていた家に集まりました。
最初にも話しました「他人」は、そのお世話をしてくださった方、
その兄嫁にあたる方(伯母と姉弟のように暮らしたというご主人は
残念ながら先年亡くなってしまいました。それでも奥様が続けて
気にかけて下さるとは・・・有り難いことです)、そして
介護の仕事で今まで伯母の世話をしてくださった方、の3名です。
「血」の縁には恵まれなかった伯母ですが、これだけ
心配し世話をしてもらう人に恵まれて・・・
ある意味では幸福な人と言えるのでしょうね。。

女性の一人暮らし、衣類などが山のようにあり、片付けは一苦労。
伯母には気の毒でも施設の部屋にそんなにたくさん持っていけません。
新しそうなものや伯母が気に入っていたようなものを選び
半分いえ3分の2以上は恐らく処分になるだろうと
大きなビニール袋に詰め込んでしまいました。
伯母と一緒にホームへ行く荷物としては、箪笥・サイドボード・
テレビ、そして衣類と小物。
さすが6人もいると運送屋が来る2時前に、持っていく荷物を
何とかまとめることができました。

さて、残った荷物、特に袋詰めした不要な衣類はどうしようと
話し合った結果、今回は来られなかったけれど"例の息子"が
後始末をすると言っていたらしいので、そのまま残しておくことに。
いくら要らなさそうな衣類でも私達が勝手に処分するのも
おかしな話ですから・・・まあ、いかに大変だったか
少しは想像して欲しい、という気持ちもありますが
今までの経緯からも期待薄かもしれませんね。。

まとめた荷物は無事出発!
伯母本人のお引越しは19日。
朝9時に一時入所している施設へ迎えに行くことになりました。

18日は一日お休みかな?ふぅ~

故郷便り1:ピンクの胡蝶蘭

2005-05-27 | Weblog
帰省後の後片付けも終わりノンビリした日常が戻ってきました。
遅くなってしまいましたが少しずつ故郷での出来事などを
語らせてもらおうと思います。

<5月16日> 故郷へ


関東の人々が想像しているほど新潟は寒くない、と私はいつも考え
友人にも話していますが、この季節、朝晩はやはり寒いみたい
特にこの日は冷え込んで主人の実家では暖房をつけていました。

  正月の帰省報告でも書いたかもしれませんが
  故郷での滞在先は、主人の実家と姉の嫁ぎ先です。
  もともと主人の実家には一人でも泊めてもらっていたし、
  図々しい嫁ですから有り得るでしょうが
  姉の嫁ぎ先に泊まるなんて普通はありませんよね。。
  母の死後数年は姉と二人で実家に泊まっていました。
  住む人のない家はとても寒く、風呂釜の調子が悪くなり
  姉の仕事(農家の嫁)の上でも都合が良いからと
  お姑さんもいる家にお邪魔するようになったわけです
  こんな私でも当然気を遣いますから正直シンドイ部分も
  あるのですが・・・いつも優しく迎えてくれる
  主人の実家にも姉の一家にも感謝の気持ちで一杯です。
  

お土産は義父の好きな和菓子
前日に主人がネットで調べ一人で買いに行ってくれたものです。
テレビチャンピオンで優勝した職人さんの店ですって。
実は、帰り道に落雷でJRが動かなくなり
私鉄の駅まで1時間も歩くはめになった、という曰く付き
そんな息子の苦労に感激して美味しさが増したのか?
義父はウマイ!を連発しておりました(笑)


何年も前の母の日に義母に贈った胡蝶蘭が今年も蕾を付けています。
   
毎年この時期になると、何かの電話のついでに義母が
「今年も咲いたわよ♪」と言ってくれる嬉しい花です
土を変えたとかで今年は元気がないと聞いていましたが
何とか咲いてくれそうで良かった・・・。
(今日27日、電話をしたら咲いたと喜んでいました

   
これも数年前に私達が贈ったアジサイ。
珍しいので、ご近所の人が欲しがって挿し木で分けてあげたそうです。
お花大好きの義母はとても大事に育ててくれるので
贈った方も嬉しくなっちゃいますね