十七回忌・・

2007-10-31 | Weblog
秋晴れの空に誘われて買い物の前に
公園へ回り道しました。

ここの銀杏は何度か載せています。
黄色っぽくなった木と
まだ緑色の木と色々でした。
天辺だけ黄葉した木も・・
梢に吹く風は冷たいのでしょうか。


午後の傾いた陽射しで実際と少し違う色に
なっていますが、ケヤキの葉は随分
茶色になってきました。


イチョウとケヤキ、この二つに目がいくのは
実家にも大きな木があったからだと思います。
イチョウは伐られてもうありませんが
ケヤキは今でも裏庭で枝を広げています。
どうも私にとって、他の懐かしい花木とも違う
“家”に結びつく木々のようです。

先日帰省して実家へ行った日は生憎の雨模様。
玄関前に散ったケヤキの葉っぱを
簡単に掃くのがやっとで
木を眺める余裕はありませんでした。

・・と、余計な前置きが長くなりました。
帰省の話を書きとめておきたいと思います。
つい書きそびれて11月になってしまいましたが
この記事は10月の日付にしておきます。
上の快晴の写真も10/31のものです。


今回の帰省の目的は、父の十七回忌でした。
祥月命日は11月ですが姉が多忙な時期なので
10月にしたのです。

きちんとした法要はしないけれど
ちょっと丁寧なお経をあげてもらおうと
姉と相談して決めていました。
お坊さんは毎月母の命日に来て下さいます。
その時についでにお願いすることに。
「お父さん、ついでかよ。可哀想だな」と
主人は言いましたが・・特別に日を取るのも
大変ですから。。

そんなわけで服装も普段着のままで
特にすることもなし、簡単なものです。
一番困ったのはお布施の金額でした(汗)
両親の死後お寺さん関係で一番頼りにしていた
親戚のおじいちゃんが認知症で
教えてくれる人がいなくなったのです(泣)
主人の実家は宗派が違うし姉の嫁ぎ先も
お寺が違うので当てになりません。
相場が無いようなものですから困りますね~。

前夜、姉の家で包み紙を用意しても
まだ迷っていました。
結局、再来年に母の十三回忌もあるので
今回多く包むと、その時また困るだろうと
低い方の金額にしてしまいました(苦笑)


さて、帰省三日目のことです。
主人の実家にいる私を、夏に結婚式を挙げた
姪が迎えにきてくれました♪
姉夫婦が栽培している花が陽気で早く出たため
予想以上に忙しくなってしまったのです。
バス或いはタクシーにしようかと思いましたが
天気も荒れていて、姪が来てくれて大助かり。

実は数日前に姉が「おばちゃんが来るなら
私も行く、と言ってたよ」と教えてくれたので
じゃぁお迎えも頼もうと思ったのでした。
お嫁に行っても週二回は実家に
顔を出しているらしいです。
一応それなりに用事もあるからなのですが
昔のお嫁さんからは考えられないことですね。
(って・・私も好き勝手にさせてもらって
似たようなものですが。汗)

姉の家に到着し、相談した結果
その日のうちに私と姪とで実家の掃除を
済ませることにしました。
もう薄暗くなりつつありましたが
多忙な姉の仕事を増やさないように、と。
姉夫婦はお花の出荷が始まると
夕食後にも仕事をせねばならないほど
忙しくなるのです。
でも、活け花だけは私や姪は出来ないので
翌朝姉にやってもらいました(苦笑)


帰省四日目、お坊さんがいらっしゃる日。
やはり雨でしたが、私達が車を降りて
外を歩くときは大抵やんでいました。
せいぜいでポツポツ当たる程度です。

姉と私はこの現象を、晴れ女だった母が
晴れさせてくれているのだ、と
半分冗談、でも半分は本気で話しています。
自分達は晴れ女でも雨女でもありませんが
とにかく実家の用で出かけるときは
殆ど雨に降られないのです。

この日も、車を降りるとやんでいて
また乗り込むと降りだすという繰り返し。
姪まで面白がって、もう少し降らないで欲しい
タイミングでは「ばあちゃん、頑張って!」。
「そんなに面倒みきれないと言ってるよ」と
三人で笑い合いました。

作り話みたいですが本当なのです。
姉はその日、少し難ありで出荷できない花を
束にして持っていきました。
それを実家に着いてすぐに近くの墓へ。
慌てているので蝋燭も線香もなしで
簡単にお参りを済ませました。
その間雨はやんでいて家に着いたらザァーッ。
お坊さんが帰られた後も、お寺へ行って
親戚のお墓にも花をあげましたが
その時もしっかりやんでいました。

その後お昼を食べに行った店でも
外に出ているときは雨がポツリポツリ程度。
一旦姉の家に寄り、また主人の実家に戻るため
姪が送ってくれることになりました。
雨は小降りでしたが降り続けていたと思います。
まるで「はいご苦労さん、もうお役ご免だね」と
母が言ってるみたいでした。


そうそう、肝心の法要は
赤い蝋燭を途中でつけかえて
毎月の2~3倍のお経をあげてくださり
「お金安かったかしら」と心配になりました(汗)
日頃正座をしないので私と姪は途中で
膝を崩さねばなりませんでした(苦笑)

さらに、お経の後でお坊さんも上機嫌で
色々と話をしていかれました。
いつもは二杯目のお茶は断るのに、と
姉が驚くほどでした。

子供の頃そのお寺には日曜学校と習字教室で
週三回も通ったものです。
懐かしい反面、怖い先生だったことを思い出し
私は内心緊張しっぱなし。
それでも何とかお相手をしていると
楽しそうに次々色んな話をなさいました。
一人前として認めて下さっているような・・
大人になって両親の法要をする私達を
暖かい目で見守ってくださるような・・
そんな気持ちがして嬉しくなりました。


長くなってしまいました。
主役のはずの父のことも書けませんでした。
意識的に避けていたこともあります。
16年も経ちましたが思い出すのが辛いのです。。
今回も姪の迎えを待っている間に
義母と少し話しただけで涙が溢れました。

このブログで母のことはよく語りますが
父のことが滅多に出てこないのは
母に比べて思い出が少ないこともありますが
どうしても最期の様子を思い出すからです。
書きたいこともあるのです。
何度か書こうと思いました。
十七回忌という節目で自分でも一区切りを
つけたい気持ちもありましたが
やはりまだ無理なようです。

これが主役の存在が希薄になった理由です。
帰省報告が遅くなった理由でもあります。
ずっと迷っていましたので。。

スミマセン。
最後に重たい話になりました。
長い記事を辛抱強くお読みいただいた方、
こんな終わり方で申し訳ありません。

迷いましたが、このまま投稿します。
勝手なお願いで恐縮ですが・・
もしもコメントをいただけるようなら
最後の話には触れないで下さい。

ブログ友達の皆様が困らなくて良いように
この記事の後に最新記事を載せておきますから
コメントなさる必要もありません。


姉と姪と三人でバタバタと動き回っている間は
悲しいことなど思い出す暇もありませんでした。
雨の降ったり止んだりで冗談を言い合って笑い
とても楽しい帰省でもありました。
それは事実です。。