さて、ここで私は考えたのです。
この世を構成している重要な要素なのに、なぜ “4・Four” という分裂数が選択されたのか…? 中国の陰陽五行説のように “5・Five・五” という活動的な数の方が良かったのではないか? と。
そして、ある時ふと思い浮かんだのです。 それは、ケイシー・リーディングの述べる宇宙創造論のいくつかの部分です。
・物質界とは本来創造されてはならないものだった。
・宇宙の起源は 「ひとつの中心波」 すなわち 「言葉」 であり 「光」 であるものから始まる。 そしてそれは宇宙のいたるところに絶え間なく展開する物質化のなかでは、様々な形を取っているのである。
・波動とはすべて、宇宙意識の一部であり、あらゆる自然力、あらゆる物質は波動という形で存在する。 波動は生命それ自体であり、そこにはもちろん人間の物質的肉体も含まれている。 電気と波動はひとつの同じエネルギーである、とケイシーは述べ、波動とは、最小の素粒子に見られる生命の電気的パターンを生み出すプラスとマイナスの力の働きや活動である、と定義している。(R699-1)
上記のピックアップしたリーディングから推測するに、宇宙創造の根源にある “一なる諸力” が物質化するために “5” という活動数ではなく、“4” という凶数的意味合いをもつ分裂数が選択されたのではないか? なぜならケイシー・リーディングにも述べられているが、この私たちの住んでいる物質界とは本来は創造されてはならないものだったのだから…。
そう考えると全部が全部ではありませんが、かなりの事が腑に落ちてきます。
ちなみに大森英桜先生の姓名学では、“四” という数字の本質は、“放射能” と仰っていました。 コレは易の基数展開から推測するに “16種類” の “何か” が秘められているのではないか、という興味深い発言もされていました。
【Four・4】: 「in Four we find that of a division--and while a beauty in strength, in the divisions also makes for the greater weakness--as may be illustrated as in the combinations seen in metal, or numbers, or music, or color.」(R5751-1)
「four being more of a division and weakness」(R261-15)
【四】:二の数と同様で、不具であったり進退の自由を欠くことが多く、絶えず辛苦・困難に襲われ易い。 他に凶数の配合がある時は、発狂したり、変死したり、短命に終わり易く、寿命を保っても独立する気概も力量もなく、徒らに他人に厄介をかけ、人生に於て無意義な存在となることがある。 但し、他に吉数があると、稀に孝子、節婦、怪傑などを出すことがある。
そして、ここから推測出来るのが、“4・Four” や “四画” の数意にあるように、放射能とは陰陽両極に渡ってとてつもないパワーを秘めている故に崩壊による儚い美しさや目に見えない恐ろしい強さも秘めている。 前にも何回か書きましたが、私はコレが立原道造氏の詩にピタリと符合するように感じさせられます。 崩壊の美とそれに秘そむとてつもないパワーの両極…
それが “4・Four・四・Ⅳ” という数の数意には秘められているようなニュアンスが、私が現在研究している題材からは読み取れます。
続く
立原道造「優しき歌 I」
I ひとり林に‥‥
だれも 見てゐないのに
咲いてゐる 花と花
だれも きいてゐないのに
啼いてゐる 鳥と鳥
通りおくれた雲が 梢の
空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が
さやさや すぎるのだらう
草の葉には 草の葉のかげ
うごかないそれの ふかみには
てんたうむしが ねむつてゐる
しじま
うたふやうな沈黙に ひたり
私の胸は 溢れる泉! かたく
脈打つひびきが時を すすめる