かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

日々Mai-k、LOVE!ーNo21「大分に立ち寄り」

2005-10-24 09:32:00 | 「日々Mai-k、LOVE!」シリーズ

もう何度もブログで説明していることであるが、
僕は東京都生まれ、大分県育ち、現住所東京都である。
現在無職で、先々再就職する。
僕が育ったところは大分県東国東郡安岐町朝来というところである。
おおいたけんひがしくにさきぐんあきまちあさくと読む。

僕の育ったところは僕の母親の実家である。
別に東がいいとか悪いとか、秋やあき、安岐、開き、
空き、開き、安芸、「あき」がつく人名、地名が
いいとか悪いとか、朝、朝日、麻、モーニング、
「あさ」のつく人名や地名がいいか悪いか、
広瀬大分県知事がいいか悪いか、ヒロがいいか悪いか、など
全く関係なく、僕の育ったところは、
大分県東国東郡安岐町朝来であり、出身高校は国東高校。
ついでに出身大学は学習院大学文学部心理学科。
デマが多くてうんざり。

今回、福岡、長崎の倉木麻衣さんのライブを前に
大分に立ち寄りました。
大分に来るのは今年2回目です。
親は現在、千葉県在住で、母方の親族のうち多くが、
今も大分県に住んでいます。
今回は親族や旧友のうちには寄りません。

当初、徳山からフェリーで竹田津に行く予定でしたが、
事前に極悪非道な人間に察知された様子があり、
JRで小倉回りで大分へ。

大分駅に着くと、ダンゴ汁を食べる。
どんぶり屋の2階から汚らしい笑いを
浮かべている人間の屑らしき男がいたが、
いまどきの日本ではこういう男が
社会的に高く評価されるかもしれない。

アーケードのほうに行ったら、
赤い羽根共同募金の若者の集団がいた。
わざとらしい感じで印象が良くない。
大分県人の精神は荒廃しているのか。

トキハデパートに行くと
京都展をやっていたが、ざっと見て店を出る。
リブロで雑誌を買う。

駅に戻りジャンボカツカレーを食べる。
国東行き路線バスに乗る。17:00発。
住吉浜入り口というバス停に着くと
近くに住吉浜スカイホテルがある。
そこに宿泊。もう19時くらいになっていた。

このホテル以前から知っているけど、
宿泊は始めて。
住吉浜は杵築市の守江湾に飛び出した砂嘴。
今はリゾートパークになり、有料施設になっているけれども、
僕が小さいころは無料の海水浴場だった。

僕の住んでいた安岐町あたりでは、
奈多海水浴場と住吉浜海水浴場が、
商業的施設もあり、よく利用されていた。
僕は奈多の方が利用が多く、
住吉浜は過去、幼稚園くらいに無料のとき
小学校と幼稚園全体で、一度行き、
その後今のリゾートパークになってから、
いとこなど親族と一度行っただけ。
2回しか来ていない。
幼稚園のときの記憶だと
くらげが多かった。
刺されて痛かったことを覚えている。

僕の育ったところは山の中だし、
海水浴は年に一度くらいだった。
このホテルはリゾートパークの入り口にある。

翌日は、路線バスで安岐まで行く。
僕が育った町だ。
昔、軽便という鉄道が走っていて、
安岐には駅があった。
僕が小さいころ、軽便は台風のため、
なくなっていた。
その駅舎を利用した建物が、
僕が小さいころの安岐のバスの待合所だった。
今は場所が移動し、小さくなって残っている。

近くにスーパーもある。新鮮市場。
昔はダイコーという大分交通というバス会社の
経営するスーパーがあったが、その後
ラッキーというスーパーになり、今は新鮮市場がある。
少し離れたところにマルショクがある。
弁当屋も出来ている。
両子行きのバスに乗る。

「別所」という店や「むらせ」という店があった。僕が安岐にいたころからある。
「まつむら」という床屋は僕が小学校のとき
何度か利用したことがある。

普門寺と光明寺というお寺がある。
光明寺は僕の同級生T君の家。
T君は中学の時、野球部でも一緒で、
僕たちの学年の最後の試合では投手として好投した。
京都の大学へ進学。

この辺は寂れた印象。
新道という道があるけれども、
これは僕が小さいころすでにあり、
やはり新道と呼ばれていた。
今でも新道。

下原というバス停。
ここの橋の向こうに以前
町立安岐病院があったところ。
僕の祖父は大分県の商工課長などやった後、
この病院の事務長をやっていた。
この病院で祖父は小学校4年のとき亡くなった。
この橋のところで祖父は僕が小さいころ、
交通事故にあった。
今はなんでもないところ。

中学校は工事をしている。もとの安岐高校が、
安岐中学校になっている様子だが、
詳しいことはわからない。

西武蔵の谷を通る。朝来より谷が長い。
両子に着く。両子寺に行く。
山には登らず、境内をみてすぐお寺を出る。
お寺では「許す」ことを進めていた。
そんなふうに書いてあった。

相手が攻撃を継続していても許すのか。
相手が反省していなくて、被害者側を不当に悪くいい、
それが社会的に好意的に見られていても、
それでも許すのか。
許すと相手がまた悪いことをやり始めるときでも、
それでも許すのか。
Aという深刻な理由で批判をしているのに、
Bという些細な理由で批判していると話を加害者側が
すり替え、被害者を一方的に悪者にしても、
被害者は許さないといけないのか。
被害をうけ大きな損失を受けても
許さないといけないのか。
僕がずっと自分について本当のことを言い続けても、
嘘つき呼ばわりする悪党の幸福のために
許さないといけないのか。
弱者はただ泣き寝入りしないといけないのか。

許すということを勧める宗教家やカウンセラーは多いが、
許すことによって悲劇が起きることも十分考えられる。
許すことを安易に勧めて悲劇が起きたら、それを勧めた
宗教家やカウンセラーの責任である。

本来許すためにも謝罪や償い、反省があるべきだろう。

ふもとの店がなくなっていた。
違うところに建物があるけれども移転したのか。
確認していない。
この辺は道路がいっぱい新しく出来ている。
儲ける人は儲けているのだろう。

新しい道路を朝来入り口まで歩き、
朝来の谷に入る。
僕が小学校のときまだ、高田と両子寺の間にバスがあった。
朝来入り口というバス停もあった。
近くの走水峠に何度も遠足に行った。

諸田の谷を下り、
バス停へ。
久しぶりにこの近辺を歩く。
道路わきで農作業をする人もいる。

諸田のバス停というと
以前は車庫だった。今でも小さい小屋がある。
遠足帰りにここの井戸水を飲んだことがある。
あるとき濁ってしまった。それから飲まなくなった。
今はどうだろう。

14時過ぎの諸田発のバスで安岐へ戻る。
小学校は建物も新しい。
僕が在籍したころとは違う建物。
小学校5年生のころまで
学校にプールがなく、体育の授業では、前の川で泳いでいた。

安岐町を見てもほとんど懐かしくはなかったが、
さすがにこのあたりはすごく懐かしくて、
自分の子供のころを思い出した。
他の人には関係ない。
自分の思い出は大切にしながら、
他人の思い出は踏み潰す。
これが今の日本人のやり方。

弁分。朝来トンネルのところで新しい道が出来ていた。
トンネルを通り、矢川、山浦へ。
安岐ダムのほうへは立ち寄らないバス。

バスは山浦から安岐へ向かう。
安岐に着くとタクシーの運転手が、
むすっとした顔でこちらを見ている。
僕はタクシーの運転手を知らないし、
むすっとした顔でにらまれる理由はない。
態度の悪い運転手だ。

ホテルに戻り、一休み。
このホテルはリゾートマンションをホテルに
転用したようなつくりだが、目の前に
守江湾が広がり、景色は抜群に良い。

2泊したあと、13日に午前10時台に
JR杵築駅行きのバスがあり、
それに乗る。

お昼の特急で博多に向かいました。
11月には母親と、大分県安岐町在住の
祖母と3人でまた別府に行きます。

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