夏の思い出(6) 2022-07-31 07:00:00 | 線路際で 羽越線の名勝を行く20系急行「あおもり」です。 この日は特急「出羽」から撮り始め、下り50系ローカル、上り「いなほ」、日本海3号、上り50系ローカル、そして「あおもり」と6本の列車を撮影しています。古き良き時代でした。 羽越本線 吹浦~女鹿 9503レ急行「あおもり」、EF81機番不明(二桁番号) 1992年8月4日撮影 #鉄道 #鉄道写真 #EF81 #急行あおもり #20系 #羽越本線 « 夏の思い出(5) | トップ | 夏の思い出(7) »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 碧い海 (枯れ鉄) 2022-07-31 09:33:23 碧い海をバックに走るローピン81、最高です。ローピン+20系だと、昔の日本海を思い出します。本当に、古き良き時代です。 返信する Re:碧い海 (佐倉) 2022-07-31 15:52:59 枯れ鉄さま あおもりは7輌というのがちょっと寂しかったですね。 20系の頃の日本海は残念ながら撮った記憶が有りません。 返信する 風光明媚 (tamura) 2022-08-01 08:37:09 良いロケーションですね。夏らしい海の色が素敵です。この辺りを明るい時間帯にカシオペアが通れば撮ってみたいですね。寝台特急は大きな窓の20系が一番好きです。急行・青森というのもあったんですね。 返信する Re:風光明媚 (佐倉) 2022-08-01 18:30:02 tamuraさま この辺りを日中カシオペアが走ることは果たして有るでしょうか... 現在は海辺に風力発電の風車が立ち並び、木も生長しているでしょうから同じようには撮れないと思いますが、また行ってみたい場所の一つです。 返信する まさにリバイバル日本海 (元東北線沿線住民) 2022-08-03 22:08:48 いつもお世話になります。ありましたね「あおもり」。ワタクシは陣場や鶴ヶ坂で撮ってました。吹浦ならばこうして昔日の「日本海」のような雰囲気で撮れたのに…(鉄道ジャーナルの列車追跡に出てくる写真のようです)。もっとも当時そこまで頭は回りませんでしたね。数年前、久々に陣場(風穴)を訪れようとダイヤを見て驚愕。列車が殆どないのです。「鳥海」「あけぼの」「津軽」「日本海」、そして臨時とはいえ「あおもり」。すべて過去帳入りするとは(今は特急の「つがる」はありますが)。そして昔のお立ち台だった畑の先端は荒れ地で立ち入ることもできない状況。誰かが「列車が撮影地を作り、撮影地がファンを育てる」みたいなことを言っていたように思いますけど、もうそういう時代じゃないんでしょうかね?失礼しました。 返信する Re:まさにリバイバル日本海 (佐倉) 2022-08-04 09:11:54 元東北線沿線住民さま 撮るものが有れば撮影地は保たれるでしょうが、無くなると一気に籔と化すでしょう。 陣場~白沢も随分行っていませんが、畑からも俯瞰も撮れなくなったようですね。 女鹿も風車が建ち並び、随分風景が変わっているようです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
本当に、古き良き時代です。
あおもりは7輌というのがちょっと寂しかったですね。
20系の頃の日本海は残念ながら撮った記憶が有りません。
この辺りを明るい時間帯にカシオペアが通れば撮ってみたいですね。
寝台特急は大きな窓の20系が一番好きです。
急行・青森というのもあったんですね。
この辺りを日中カシオペアが走ることは果たして有るでしょうか...
現在は海辺に風力発電の風車が立ち並び、木も生長しているでしょうから同じようには撮れないと思いますが、また行ってみたい場所の一つです。
ありましたね「あおもり」。ワタクシは陣場や鶴ヶ坂で撮ってました。吹浦ならばこうして昔日の「日本海」のような雰囲気で撮れたのに…(鉄道ジャーナルの列車追跡に出てくる写真のようです)。もっとも当時そこまで頭は回りませんでしたね。
数年前、久々に陣場(風穴)を訪れようとダイヤを見て驚愕。列車が殆どないのです。「鳥海」「あけぼの」「津軽」「日本海」、そして臨時とはいえ「あおもり」。すべて過去帳入りするとは(今は特急の「つがる」はありますが)。そして昔のお立ち台だった畑の先端は荒れ地で立ち入ることもできない状況。
誰かが「列車が撮影地を作り、撮影地がファンを育てる」みたいなことを言っていたように思いますけど、もうそういう時代じゃないんでしょうかね?
失礼しました。
撮るものが有れば撮影地は保たれるでしょうが、無くなると一気に籔と化すでしょう。
陣場~白沢も随分行っていませんが、畑からも俯瞰も撮れなくなったようですね。
女鹿も風車が建ち並び、随分風景が変わっているようです。