宇治田原へお茶を買いに行っての帰り信楽の町に入ったところに山本園(お茶屋)の前の道に信楽磨崖仏の看板があったのを見てたちよる。山本園より北に入り細い山道を上がっていくと石の階段があり仙禅寺に到着。樹木に覆われて見過ごすところ、お堂は戦火で焼かれ再建されたものとか、岩に描かれた三尊消え入りそうな薄さで床下は暗く三体の仏像も風化してみえにくい。惜しいですね。鎌倉時代の722年の建立だとか、写真の立て看板によると山城のじゅうぶざん(鷲峰山の別院として建立)」された。朝宮茶の発祥地の看板の横に芭蕉の句の碑があり、木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす。と銘打っていました。細い山道を帰っていくと一面の広い茶畑にでたとたん、下刈りした跡に新しい蕨~の軍団~あとははワラビ取りに専念、たくさん取れました、温度差もありこの辺は雨との影響で6月末までわらびが新芽状態であるとはうれしい悲鳴ですね。取るほうのほうが楽しいけど、酢のものと、おあげさんと煮て夕食の一品ななりました。
名張藤堂邸跡
細川邸ワンデイレストランで各自の個性を出して料理好きの方が腕をふるってます。
藤堂邸跡江戸時代の藤堂家の一門藤堂高虎の養子高吉を祖として明治維新まで11代続く火事で焼失して残っている私的な生活の場所だけ中奥、祝間、茶室、とかが残っている、近代武家の住居跡。
細川邸跡は江戸時代の豪商で宇陀町にある支店して薬商の店跡。
曽爾高原まで足を延ばして亀の湯へよる。父の日のイベントとして丸太12センチ(直径)をきりおとすタイムを競争するゲームで、70人ぐらい挑戦されて1位は18秒だったそうです。(写真は賞品金の延べ棒だといいんだけど実はチィシュペーパだそうです。)
名張と言えば葡萄酒事件を思い出しますが青蓮寺湖のブドウ園や赤目四十八滝滝も近く、観光地としてもいいですよ。細川邸はヤナセ宿(簗瀬)名張川のところでレンタサイクルもありやなせ宿事務局もあり観光に力を入れます。
福知山城(石垣は見えないけど穴太積)明智光秀が初代で朽木種昌が8代から13代明治2年まで朽木家が統治した。尚高島の朽木村も統治下にあったとか~だから高島の朽木として、名が残っているんだね。現代お城は築城当時のじゃなく昭和58年に寄付とかで再建された。
自民党の総裁谷垣禎一さんのお父さんの実家。父親の急死後父親の地盤を継いでで弁護士をやめ立候補して現在に至る。ルーツは福知山なんだね。弟さんが秘書しておられるとか。
歩き疲れてたどり着くには今まで過ってないコーヒに驚くそれは推理?してください、400円×2返してえエ~商工会議所の中だと外れはないと思ったけど。香りもなければ、いまどきインスタントでもましだよおん~福知山音頭で有名な街で商店街には浴衣姿の銅像がたち並んでいたけど寂れ果てた郷土に議員さんもやることが多いですね。福知山は何もない町でした。唯一お城のまえにゆらのガーデンと名つけられた7店舗ができていた。丹波スイ―ツ花や洋菓子、カフエ、そばや(そば久]鉄板ダイニングランチ(めかしえび)など、めかしエビで食事しましたけどお値段も手ごろおいしかった。エビがおめかししてるって意味?1000円まででランチが又好評だった。7店舗観光客用に選ばれた業者と思う。
琵琶湖と水路がつながる中湖、近江八幡市安土2号線下豊浦から湖岸のほうに入る。西の湖ベーカリーレストラン&カフエプテエキャナルお店の看板案内ですぐ見つけらた。ブラックバスの釣り場もありつり客もみられる。
西の湖が目前に広がりロケーションは素晴らしい。双眼鏡が置いてあり水鳥の観察もできる。かいつぶりのつがいがいで楽しそうにおよいでいた。
静かでゆっくりくつろげるところですお急ぎの方はご遠慮とのこと、ハンバーグとここで焼かれたパンでランチメニュウで1890円ピザとコーヒでひとり分1960円田舎の軽食にしては割高だねえ。リピータはだめだろうね。ひと工夫してほしいねえ。若者が恋を語るのは雰囲気的にいいと思うけど~。
地図の丸しるしイグアスの滝(アルゼンチン側とブラジル側)クスコインカ帝国のまち
マチュピチュとナスカの地上絵をセスナよりみる.地図の南下はサンタアナと言う岬で南極大陸への行く港とか地球の果てに近いところへ来たとガイドさんいわく。