トミーの想い パート2

一日一日を精一杯楽しくね!

笠原桜公園

2011年04月17日 | 日記
妹と実家のお墓参りに出かける。わが故郷は野洲川の下流の田園地帯で今はしずかな町です。野洲川改修が昭和54年に行われてから今までの幾度もの水害のことは昔話になってます。暴れ川として野洲川太郎と異名をとり下流の住民を悩ませていました。今も残っている話が数多くある
 地元住民の城野曹長が大正の水害の折水害に見舞われ母と木綿袋を背負い又助けを求める妻を探して水にのまれ帰らぬ人となりましたが当時の郡役所の書類を袋に背負っておられたので忠義袋としてまたのちに常備袋と言われ後世まで伝えられました。笠原のお寺に石碑が立っています。水害の多いわが村では枕元にランドセルとか身の回り品を置いて寝たものです
 又地元ツブエ神社では神社の社殿が流失してご神体が流されそうになった時御神輿にたくさんの田螺がくっついていて流失を免れたとか。以後お螺さんの神社としてツブエ神社となったということです。
 又隣村(今は町ですが戸田)では天保ノ水害の時何度も来るので願いを込めて今のより強固にして又2度とないように堤防に人柱をして庄屋さんが自分の娘(愛さん)を人身御供されたとか、今も愛の方神社として同町に残っています。
 数百人の命を一度になくしたり田畑が土砂に渦もり悲しい目にあわれています。私の記憶では昭和28年ごろ笠原の堤防決壊して今のお墓のところが冠水したのを覚えています。今東日本の人達の比べ物にはなりませんが先祖伝来の土地を離れるのはつらいことだと思います。   
今は静かな整備されたきれいなところで父母と3年前に亡くなった弟が眠っています
 

記念樹

2011年04月17日 | 日記
   
 主人の母が八十歳の米寿を記念して植樹された桜の花の木が三メートル ぐらいの大きな木に成長して今年もきれいに咲きました。
 湖岸(大津市松原)に植樹されたがこの時期桜並木になって散歩者を楽しませてくれてます。今日は天気も良いのでウオーキング主人ははいつもはマシンに頼ってますが思い切って出かけて景色を見ながらの散歩にして母の桜を見て九〇〇〇歩いい散歩になりました。

安土の金勝山(慈恩寺)

2011年04月04日 | 日記
織田信長によって建てられた浄土宗のお寺でもともとは佐々木氏頼が立てられ金勝より移築されたとか。建物もご本尊の阿弥陀如来像も重要文化財となっています。面白く興味があったのは歴女のはしくれとしてはこの寺、安土問答として有名で法華宗と浄土宗の間の争いで 
この寺で問答されたとか世に言う歴史的な場(安土問答)のお寺でした。法華側が問答に負けたとか。宗教問題は今もむかしもですね。安土の歴史散策のグループがガイド付きで城址から沙沙貴神社にかけて散歩されていました、滋賀県もいいとろあるよ。安土からもう少し下がると鏡の里があり奥州から下向したさいに源義経の元服した地(白木屋宿泊した跡)があります。元服の神社と烏帽子をかけた松と
が残っています、そのとき使った盥とかが残されています。、tsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/09/61d8e00d9e9918509dab684c92cb3c1b.jpg" border="0">されている。(写真は立派な鐘楼

バースデープレゼント

2011年04月04日 | 日記
娘婿が単身赴任から自宅に帰ってきたので全員揃ったところで年度変わりもあって、私の誕生日の食事会をやってくれた。 
御年ウン歳めでたくもないけどみんなで食事する機会があっていいものですね。主人の家系は父、母の誕生会は
大事にされてるので子供たちも見ていたのかみんなでお祝いをする行事にしてくれているのでありがたいものです。30年あまりやってきた卓球もいつまでできるかわからないけどアウトレットで見ておいた卓球のウエアー上下を下見してあるのゃなんて言ってプレゼントにもらう。覚えてくれていてプレゼントをもらうのはいくつになってもうれしものですね。
 ありがとう、みんな元気で何より~。東日本では大変な時期テレビを見て集団疎開に涙している折、少しでもと思い毎日新聞社の義援活動
に少しでも誕生日のお祝いの一部を送金しました。この辺ははほんと今のところはいいですがもっともっと政府のみなさんの奮闘を祈るばかりです。

沙沙貴神社(全国の佐々木さんいらっしゃい)

2011年04月03日 | 日記
src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/d5/c9f527c63f4d8e3f1b332a852dfbaf9f.jpg" border="0">            
 安土ノ沙沙貴神社2日ほど前テレビで佐々木性の発祥の地として佐々木性の人たちが集まられるとかやっていたので、立派な山門につられて参拝とかねてきた。佐々木源氏の氏神様として崇拝されている、昔話としては(少彦スクナ神)、ササゲの豆のさやに乗って海を渡ってきたという伝説でした。源頼朝以降源氏と佐々木源氏との守り神とされている、おりしも4月2日は大松明ヲ若い衆が引いて神社に奉火されるとかで準備されてました。各家軒祭の提灯が出されてお祭りムードでした。琵琶湖畔の葦をまるめて3mぐらいの高さデたくさん作ってありました。お手伝いの氏子さんが600件ほど氏子があって現代も行事を継承していると言ってました。 山門いいたたずまいですね