妹と実家のお墓参りに出かける。わが故郷は野洲川の下流の田園地帯で今はしずかな町です。野洲川改修が昭和54年に行われてから今までの幾度もの水害のことは昔話になってます。暴れ川として野洲川太郎と異名をとり下流の住民を悩ませていました。今も残っている話が数多くある
地元住民の城野曹長が大正の水害の折水害に見舞われ母と木綿袋を背負い又助けを求める妻を探して水にのまれ帰らぬ人となりましたが当時の郡役所の書類を袋に背負っておられたので忠義袋としてまたのちに常備袋と言われ後世まで伝えられました。笠原のお寺に石碑が立っています。水害の多いわが村では枕元にランドセルとか身の回り品を置いて寝たものです
又地元ツブエ神社では神社の社殿が流失してご神体が流されそうになった時御神輿にたくさんの田螺がくっついていて流失を免れたとか。以後お螺さんの神社としてツブエ神社となったということです。
又隣村(今は町ですが戸田)では天保ノ水害の時何度も来るので願いを込めて今のより強固にして又2度とないように堤防に人柱をして庄屋さんが自分の娘(愛さん)を人身御供されたとか、今も愛の方神社として同町に残っています。
数百人の命を一度になくしたり田畑が土砂に渦もり悲しい目にあわれています。私の記憶では昭和28年ごろ笠原の堤防決壊して今のお墓のところが冠水したのを覚えています。今東日本の人達の比べ物にはなりませんが先祖伝来の土地を離れるのはつらいことだと思います。
今は静かな整備されたきれいなところで父母と3年前に亡くなった弟が眠っています

地元住民の城野曹長が大正の水害の折水害に見舞われ母と木綿袋を背負い又助けを求める妻を探して水にのまれ帰らぬ人となりましたが当時の郡役所の書類を袋に背負っておられたので忠義袋としてまたのちに常備袋と言われ後世まで伝えられました。笠原のお寺に石碑が立っています。水害の多いわが村では枕元にランドセルとか身の回り品を置いて寝たものです
又地元ツブエ神社では神社の社殿が流失してご神体が流されそうになった時御神輿にたくさんの田螺がくっついていて流失を免れたとか。以後お螺さんの神社としてツブエ神社となったということです。
又隣村(今は町ですが戸田)では天保ノ水害の時何度も来るので願いを込めて今のより強固にして又2度とないように堤防に人柱をして庄屋さんが自分の娘(愛さん)を人身御供されたとか、今も愛の方神社として同町に残っています。
数百人の命を一度になくしたり田畑が土砂に渦もり悲しい目にあわれています。私の記憶では昭和28年ごろ笠原の堤防決壊して今のお墓のところが冠水したのを覚えています。今東日本の人達の比べ物にはなりませんが先祖伝来の土地を離れるのはつらいことだと思います。
今は静かな整備されたきれいなところで父母と3年前に亡くなった弟が眠っています



主人の母が八十歳の米寿を記念して植樹された桜の花の木が三メートル ぐらいの大きな木に成長して今年もきれいに咲きました。
湖岸(大津市松原)に植樹されたがこの時期桜並木になって散歩者を楽しませてくれてます。今日は天気も良いのでウオーキング主人ははいつもはマシンに頼ってますが思い切って出かけて景色を見ながらの散歩にして母の桜を見て九〇〇〇歩いい散歩になりました。