あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

でも世の中まだまだ捨てたものじゃない

2005年10月01日 23時55分52秒 | 教育問題
子供の教育に関する書き込みが続きましたが,その第三弾(ひとまず完結編)です。
先日,仕事に向かうために駅に向かって歩いていましたが,その中で赤信号がありました。
そこでは車が全く来なかったため,多くの人が信号無視して渡っていました。私も「朝の1分は貴重だし,車こないから大丈夫」と思い,赤信号を無視して渡りはじめました
すると反対側に茶髪の今時の若いお母さんと3才くらいの子供がいることに気が付きました。
そして,私が渡り終わった頃に,その若いお母さんが子供に一言言ってました。
赤信号は,どんなことがあっても渡っちゃダメだよ。青になるまで待ってようね。」と。

しまったーーーー!!

私は沢山の過ちを犯したことに気が付きました。
まず,子供は親を見て育ちますが,大人を見ても育つということ,ということは大人たるもの子供の見本となるべき行動に出なければいけなかったということです。「車が来ないのに赤信号で待っているのは日本人とドイツ人だけだよ」という屁理屈はここでは通じません。
また,この母親は,子供に対して,しっかりと「赤信号は渡るな」を教え込んでいました。「みんなが渡れば怖くない」ということを教えずに,まず基本ルールを教えてこんでいたのです。「状況によっては渡って良い」ということは,小さい頃には教えてはいけないのです。そのような当たり前のことを,当たり前のようにしっかりと指導していたのです。

この光景を見て,まず自分自身反省しました。「子供が見ている以上,子供の見本となる行動をしなければならない。信号無視に限らず,ルールを守って生活しよう。」という点です。
また,ちゃんと子供に躾ができる母親を見て,「この国は,まだまだ捨てたもんじゃない。ゆとり教育云々ではなく,家庭教育に期待できることはまだまだ多いぞ。」という期待感ももてるようになりました。

みなさまも,子供の見本となるような言動をめざし,日々活動していってください(自戒を込めて)。意外とそれだけでも,日本という国が立ち直るきっかけになるかもしれません。

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心が貧しいのかなあ

2005年10月01日 23時50分48秒 | 教育問題
子供の教育問題話ついでのもうひとつ。
他の方のブログを見ていたら,いくつか気になることがありました。それに便乗して,自分が気になることも書いてみます。

1 「いただきます」「ごちそうさま」を学校給食で児童が言うことに対するクレーム(ネット上で見た話し)
  永六輔さんがやっているラジオの中で,リスナーからこのような投稿があったみたいです。
  それによると,そのリスナーの意見は,「学校給食はただではなく給食費を払っている。だから「いただきます」というのはおかしい。むしろ学校側が「食べてくれてありがとう」というのが筋だ。同様に「ごちそうさま」もおかしい。こういうことを強要するのは良くない。」ということだそうです。

2 町中で弁当などを普通に捨てる(ネット上で見た話しと自分でも現認したこと)
  駅前とかでコンビニ弁当やカップラーメンを食べる人が増えてきて,さらにその食べたものをそのまんま置いていってしまう(捨てていってしまう)人が増えてきた,ということだそうです。

3 客がため口で店員に話をする(私が気になったこと)
  デパートなどで,店員に対して「**はないの。」などとため口(場合によっては見下した言い方)の客が多くなってきたような気がします。

以上,3つの点について,何か違和感を感じませんでしょうか。
全体を通して言えることは,「人としての常識がない!」ということです。

1については,「いただきます」「ごちそうさま」の意味を取り違えています。金を払ったから偉い,当然という発想から間違えです。
そもそも,「いただきます」「ごちそうさま」とは,料理を作ってくれた人はもちろんのこと,お米を作ってくれたお百姓さんや数々の食材を作ってくれた多くの人に対する感謝の気持ちを表す言葉です。
そう考えたとき,「金払ったから感謝の言葉を言われるのはこっちの方だ」という発想は,成り立ちません。
また,学校給食とは,レストランとは異なり,それ自体も教育の一環です。つまり,食事のマナー等も身につけさせるものです。したがって,「いただきます」「ごちそうさま」をいうように指導することは,当然の助動詞べし,といえるでしょう。
こんなクレームを付ける親のもとで育つ子供が可哀想ですし,おそらくこの親もそのような環境で育ってしまったのかなあ,と思うと哀れみさえ感じてしまいます。

2については,「ゴミはゴミ箱へ」という当たり前のことができないという点に不思議さを感じます。例えば,自分の家に他人がゴミを投げ捨てていったとき,どう思うでしょうか。
そう考えると,こんなポイ捨てはできるはずがありません。
ただ,なぜこうなってしまうのか,更に考えてみると,次のような仮説が立てられます。
親も子供も忙しい現代社会においては,家族みんなで食卓を囲むという機会がなく,子供の頃からコンビニ弁当などで夕食を済ましてしまうということが増えてきました。
その結果,ご飯を食べたら片づけのお手伝いをする,という習慣がなくなり,いわば「食べっぱなし」が当然という感じで育ってしまったのではないでしょうか。その結果,外でも食べたら「食べっぱなし」が当然,という感じになっているのではないでしょうか。
もし,そうであったとしたら,やはり哀れみを感じてしまいます。

3については,1に近いですが「客が偉い」という意味を取り違えているのでは,と思います。
確かに,アメリカでも「Guest is all right」と言われるとおり,客がすべてを優先します。しかし,客は必ず店員に対し「Thank you」といい,チップを提示します。つまり,店員に対するリスペクトを持っています。このリスペクトがあるからこそ,客は正しい,という理念が成立するわけです。
しかし,3の事例は,明らかに店員を下に見ています。もちろん,店員に媚びへつらう理由はありませんが,お互い初対面の人どおしなのだから,人としての最低限のルールである敬語くらいは使うべきなのではないでしょうか。
また,子供に対して「俺たちは客なんだから,何やってもいいんだぞ。」と指導している父親を見かけたことがありましたが,そりゃあ意味が違うだろう,と人ごとながらかなりむかつきました。
もっとも,最近ではため口の店員も増えてきましたので,どっちが良い悪いとは一概には言えません。
ただ,少なくとも,常識は持ってほしいなあと思いました

以上の事例を通じて,改めて思ったことは,「今の日本はものが豊富になった反面,心が貧しくなったのかなあ」ということです。心が貧しい状態を子供に伝えてしまえば,当然心の貧しい子供が育ってしまいます。
そして,心が貧しくなった原因を追及すると,客が偉いという発想,すなわち金があるものが勝ちという「金(かね)本位制の社会」に問題があるのでは,と思います。
ただ,資本主義社会において,「金本位制」を覆すことはできません。とりあえず,大切なことは,「この社会は人と人とが協力して成り立っているんだ」ということを再認識してもらうことではないのかなあ,と思います。そして,子供達に対しても,そのような最低限の常識を親としてしっかり伝えるべきなのではないでしょうか。
具体的にここでとりあえず提案したいのは,「客は偉い」という発想は捨ててほしい,ということです。
「客と店員は対等」という意識で買い物をしていければよいのでは,と思います。その感覚を子供にも教え込んでほしいと思います。

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江戸東京たてもの園で学んだこと

2005年10月01日 23時26分57秒 | 教育問題
今日10月1日は東京都民の日です。
天気も良かったし,今週は天気が良かったのに個人的にあまり太陽を見なかったことから,気分転換を兼ねて,小金井公園に出かけました。
小金井公園では,小金井市民祭りをやっていてそれはそれで盛り上がっていましたが,実は注目していたのは,「江戸東京たてもの園」が都民の日につき無料になっている,ということです。
そんなわけで,早速行ってみました。

面白かった!!

そもそも江戸東京たてもの園とは,簡単に言ってしまうと,江戸時代から昭和にかけての建物が復元展示されたもので,町並みを再現したり,建物内に自由に入ったりすることができる博物館です。また,ボランティアのガイドさんがいて,希望をすれば園内の建物などについて説明をしてくれるという至れり尽くせりの博物館です。
その中で,特に興味を引いたのが,東ゾーンにある昭和の建物再現コーナーです。
昭和30年代頃の建物を中心に町並みが構成されていて,私はまだ生まれてもいないはずなのに,妙な懐かしさを覚え,興奮しました(妻からは,改めて年齢詐称疑惑が・・)。特に,100式黒電話やトニー谷そろばん(名称は忘れた)を見たときには,「売ってください」と言いたくなるほどでした。このエリアだけは,ボランティアガイドの説明不要状態でした。
とまあ,感想はその程度にして,実はこのゾーンでものすごく興味を引いた点がありました。
それは,「昭和の遊びができるエリア」です。ここでは,空き地が再現されており,土管がおいてあるほか,紙芝居屋の紙芝居ショー,さらには遊び道具として竹馬(ただしステンレスなのがちと残念),羽子板,ベーゴマ,コマ,自転車の車輪転がしなど昭和に子供達がやっていた遊び道具などが多数置かれています。
そして,そこで子供達が一生懸命遊んでいるではありませんか
親が遊び方を教え,子供と親が一緒に遊ぶ,または兄弟や一緒に来た友人と一緒に遊ぶという光景を目の当たりにしました。しかも,子供達の目は実に生き生きとしていました

これです。これが子供というものです!

この光景から,私は「実は,今の子供達は遊び方をしらないのでは」と思いました。空き地もなければ,塾や習い事で遊ぶ時間もない,せいぜいゲームで遊ぶ程度,という状況においては,いきいきとした遊びができないのではないか,その結果,コミュニケーションなどを学ぶことができず,結果きれやすくなる子供が増えているのではないか,そういう気がしました。
やはり,子供は外で元気よく遊ばせるのが一番だ,と改めて思いました。そして,私たち大人に与えられた役割とは,子供達が安心して遊べる環境を整えること,具体的には,遊び場を確保することと,安全(治安)を確保すること,子供の自治を重視する一方で指導する立場にもなること(簡単に言えば,昔の大人になること)なのでは,と思います。

問題は,そのために私たちは具体的に何をやればよいでしょうか。いきなり,子供に向かって「外で遊べ。おじさんも一緒に遊ぼう」なんていうと,ほぼ確実に変質者扱いされます。
この点が悩みの種です。

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