あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

小泉改革を江戸時代の三大改革と比較して考える(その2)

2005年10月17日 00時22分54秒 | 歴史の話
前回に続きます。

3 小泉改革との比較
  ここで,小泉改革と比較してみましょう。
  列島改造論により,公共事業を積極的に起こし,日本の景気はよくなりました。さらに,バブル経済により,日本経済は絶好調になりました。
  ところが,バブル崩壊し,またこれまでの公共事業の借金が雪だるま式に増え,さらには不景気により税収がどんどん減ってきて,国も地方も一気に財政難となりました。
  そこで,小泉首相は改革を断行しました。
  その第一弾が「道路公団民営化」や「郵政民営化」だったわけです。これは,いわゆる民間活力を推進するというものであるといえるでしょう。
  また,現在検討している税制改革も,安定収入の確保のためのものといえます。
  さらに,小泉首相は脱派閥として,大臣は実力のある人間を積極的に登用しています。
  一方で,地方政策については,三位一体改革として地方に一定の権限と財源の付与を検討しています。いわば,地方にお金を出すということで,地方に権限(負担)を課すものです(逆上米法といえるでしょうか)。
  もちろん,公共事業などの見直しを行い,不要不急な事業の延期,廃止を行う予定です(倹約質素の奨め)。
  ところで,現代社会では,企業を中心に「勝ち組」「負け組」が二分化してきました。また,各企業は,政治献金を上納することで,自己に有利な政策を進めるように今でも展開しています(中には,1億円をもらったことさえ覚えていなかった政治家までも現れるほどですから。)。
  以上を踏まえると,享保の改革と田沼の時代の施策と,小泉改革は時代背景も含めて極めて似ているといえます。

 歴史からみる小泉改革の成果と今後の行方
  歴史は繰り返すという前提に立って,小泉改革を検証してみましょう。
  享保の改革は一応成功しましたが,米価が狂乱し,国民の生活はかなり苦しくなりました。
  また,田沼の政治は,結局抵抗勢力の反対にあい,挫折しました。
  このことからすれば,「小泉改革は一応成功するといえるが,郵政民営化により郵便局にある国債や資金が民間市場にはき出されることにより,プチインフレが発生し,景気回復どころか景気が更に悪化するおそれがある。また,税制も国にとっては有利であるが,庶民にとっては重税感が払拭できない制度となる可能性がある。さらに,肝心な民間活力の導入も,既得権益や官僚の抵抗に遭い,頓挫する可能性があり,結局不十分な結果に終わってしまう。」ということが想定されます。
  もちろん,これは歴史からアプローチしているだけであり,現実面からのアプローチではありませんので,この辺の歴史を十分に反省して,過去の過ちを繰り返さないように進めているのであれば,当然違う結論になるでしょう。
  ただ,いずれにしても,この歴史から学べることは,庶民のためといいながら,国の財政再建を最優先して考えてしまうと,確実に享保の改革の結果のごとく,国民の経済活動に大きな混乱が生じる可能性は極めて高いということです。この部分こそ,歴史が教えてくれていることです。
  したがって,少なくとも「国民生活の安定」も視点に置いて改革を行わなければ,真の改革は達成しない,ということを結論として述べたいと思います。

5 ちなみに
  もし,歴史だけをみて日本の今後を占うとしたらどうなるでしょうか(ちょっとしたシャレです。)。
  小泉改革からしばらくして,日本は不景気が訪れます。すると,新たな総理が「ものすごく国民を規制する改革」を断行します(寛政の改革)。しかし,厳しすぎたため,その首相は選挙で敗退し,退陣します。
  しばらくすると,さらに日本のシステムが完全に崩壊してきます。そこで,時の首相が「1955年体制の頃のやり方に戻そう」という改革を行おうとします(天保の改革)。しかし,時既に遅し,改革の威力がありません。
  一方で,国外からはいろんな外圧がやってきて,ついにアメリカからは「アメリカとの貿易では,関税かけるな」という圧力がかかり,日本はこれに応じてしまいます(不平等条約)。
  これに起こった一部都道府県知事らが中心となり,新たな政権が誕生します(大政奉還)。
  これにより,「地方主権国家」が誕生する,ということになります。
  以上ですが,あくまでも歴史から見ただけの話ですから,この部分は軽ーく読み流してください。

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小泉改革を江戸時代の三大改革と比較して考える(その1)

2005年10月17日 00時15分17秒 | 歴史の話
前回,今後想定される増税問題について江戸時代からアプローチしましたが(記事はこちらです),今回は「小泉改革」が江戸の三大改革のどの要素に最も近いといえるかを検討し,そこから今後の動きを想定したいと思います。

1 小泉改革はどの改革に該当するか
  まず,前提として,江戸の三大改革とは,享保の改革寛政の改革天保の改革をいいます(なお,それぞれの改革の内容を書くと,それだけで日本史の教科書になってしまいますので,とりあえずすべて説明することは割愛します。)。
さて,小泉改革は,どの改革に最も近いかというと,結論から先に言うと,「享保の改革+田沼の政治」といえると考えます。

2 享保の改革と田沼の時代とは
  では,享保の改革とはどういうものであったのでしょうか。時代背景も含め,簡単に説明します。
(1) 元禄バブルとその崩壊
  5代将軍綱吉の時代になり,世の中がものすごく安泰となってきたことにより,綱吉はお寺を造るなど様々な公共事業にお金をかけるようになりました。結果,元禄時代は大変景気のよい時代となり,地方で農業をやっていた農民もどんどん都市部に仕事を求めてやってくるようになってきました(便宜上「元禄バブル」と呼びます。)。この元禄バブルにより,商人や農民にも,金儲けがうまくいった「勝ち組」と失敗した「負け組」が完全に分離されるようになりました(今のような破産法がないため,負け組は復活の望みがほぼ0になるかなりシビアなものでした。)。
  しかし,元禄バブルもやがて崩壊すると,今度は農村に人がいないことから,米の収穫が減ってきてしまいました。江戸時代は,「重農主義」,すなわち幕府や諸藩は年貢米という「米」を徴収し,それを商人に売って「金」に換えることで財政を維持していました。したがって,米=金でした。
  ところが,農村に人がいないということは,米を作る人がいない,すなわち「米不足」になるわけです。そして,年貢米は米の収穫高に応じて決められていましたので(累進課税制度みたいなものです),米不足=財政難に陥ってきたわけです。

(2) 享保の改革の具体的な内容と成果
  そこで,吉宗は次のようなことを行いました。
 ア 年貢を定免法とした(取れ高に関係なく,毎年一定量の米を年貢米として供出させた。定律課税制度ですね。)。
 イ 上米法(諸藩の大名から一定量の米を幕府に差し出せば,参勤交代の負担を緩和するというもの。)。
 ウ 倹約,質素の奨め(無駄遣いをなくそう)
 エ 新田開発の推進(田圃が増えれば米が増えるという発想です。)
 オ 目安箱の設置,コネや縁故でなく実力のあるものの登用,法制度の整備など(過去ではなく未来を見つめる)
  その結果,この改革は幕府の財政も復活し,一応成功したと評価されています
  ただし,決定的なミスがありました。それは,「重農主義」を改めなかったことです。つまり,米中心の財政を維持していたため,結局米を金に換える段階で商人が関与してきて,価格が安定しなかったという問題がありました。もっというと,米は豊作になると値段が下がるため,新田開発をして米がたくさん取れるようになっても,結局幕府の手元に入るお金はほとんど増えなかったのです。ここが最大のミスでした

(3) 田沼意次の行財政改革
  その後,老中(今の内閣総理大臣)に就任した田沼意次は,実はこの矛盾にいち早く気が付いていました。
  彼は,「米中心ではだめだ,これからは商人のお金,すなわち民間活力を積極的に取り入れることが重要である」と考え,日本ではじめてともいえる「重商主義」を取り入れました。
  その代表として,印旛沼の干拓が上げられます。これは,民間活力を導入して行われた大プロジェクトでした。
  また,株仲間を奨励し,勝ち組の商人を積極支援しました。さらに,ロシアとの貿易まで計画し,とにかく「世の中金だ!」を推進しようとしてきました。
  しかし,あまりに考え方が斬新すぎたため,いわゆる抵抗勢力の反対にあって,彼は失脚してしまったのです(ちなみに,彼は賄賂で失脚したと歴史の授業では教えていますが,彼がもらった賄賂は,江戸時代では当然のものであり,今でいう「お中元」や「お歳暮」の類でした。今政治家がもらっている賄賂とはちょっと意味が違います。)。

次回,これを踏まえて小泉改革と比較してみたいと思います(こちらをクリックしますと,続編にジャンプします。)。

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