中央線内で痴漢を働いたとして逮捕勾留された沖田さんが,痴漢の申告が虚偽であり,それに基づいて違法な捜査を行ったとして国,東京都及び被害者とされる女性に対する損害賠償請求に対する判決が10日にあり,請求棄却となったようです。
これに対し,沖田さんは控訴すると共に,この判決についていろんな批判が集まっているようです。
刑事と民事は別物です
そもそも,刑事裁判と民事裁判が全く別である,ということが今ひとつ理解されていないのかなあ,というのが今回の報道をみて感じたことです。
簡単にいえば,刑事裁判は「あいつ犯人だから刑務所に入れてくれ」と検察官が訴える裁判であるのに対し,民事裁判は「金返せ」などと訴える裁判です。そして,前者は犯人とされる被告人の権利を守るため(被告人の無罪推定),さまざまな制約があるのに対し,後者は基本的には当事者双方の言い争いなので,どっちの言い分が妥当かをかなり気楽に(っていうと語弊はありますが)判断するという違いがあります。
他にも,今回の裁判で,議論が錯綜してしまっているため,ここで整理したいと思います。なお,通常は,原告の名前は伏せて書くのですが,今回,沖田さんは実名でマスコミ取材も含めて様々な活動を行っていますので,逆に本人の名誉のことを考え,ここでも実名で記載することにします。
1 今回は,刑事は無罪ではなく,裁判になっていないだけであること
今回の問題は,刑事裁判と民事裁判の乖離ではありません。刑事裁判は起訴されていませんから,判決は出ていないのです。
刑事事件については,検察庁は沖田さんを不起訴としたにすぎません。そして,この不起訴の解釈を沖田さんやマスコミは「無罪」と言っています。ところが,不起訴=無罪とは必ずしもいえないのです。
通常,不起訴の理由として,①嫌疑なし,②嫌疑あるが裁判にするまでもない(起訴猶予),③嫌疑あるが証拠が足らない(公判維持できない)などがあります。そして,検察庁側の見解は,沖田さんの事件については③であると説明しています。
したがって,検察庁としては,あくまでも有罪の心証があったが,証拠がないので泣く泣く起訴できなかったという発想になっています。
よって,必ずしも刑事が無罪という前提は正しいとはいえません。
正しく議論するのであれば,「不起訴となった事件について,民事裁判が事実上有罪認定したことはどうか?」という問題提起になるでしょう。
2 民事裁判と刑事裁判の乖離は結構発生している
実は沖田さん事件以外にも,かなり民事と刑事の乖離は発生しています。別の痴漢裁判においては,刑事裁判で無罪とはっきり判決が出たが,民事裁判では事実上の有罪認定をして請求を認めなかったという今回の裁判に類似した判決が数件出ています。また,痴漢意外には,いわゆる山形マット事件においては,民事と刑事(家裁の少年審判)では全く別の事実認定をしています。
さらには,国外の例として,OJシンプソン事件もあります。これも,刑事(陪審)では無罪となったが,民事では賠償が認められ,事実上有罪認定されています。
このように,民事と刑事での乖離は,かなりあるのです。
3 なぜこのような乖離が発生するのか
簡単に言えば,冒頭にも書きましたとおり「裁判のやり方自体の違い」によります。
刑事裁判は,「被告人無罪推定」が働きます(くわしくはこちらを参照してください)。したがって,被告人を有罪にするためには,事実認定がかなり厳格で,基本的にはすべて証拠がなければ認定できません。極論ですが,例え被告人が全部自白していたとしても,証拠が全くない場合は,被告人は無罪となります(憲法上の規定)。
一方,民事裁判は,「当事者対等」です。したがって,当事者のどちらかが自白すれば,証拠なくして事実認定ができるほか,証拠の出し方や内容についてもかなり自由になっています。
民事裁判は,1対1で自分の権利を求めて戦うものであるため,平たく言えば「K1グランプリ」のようなものです。つまり,極論として,最後は「力のあるものが勝つ」という構造になっています。この力というのが法律ですが,この法律をどう解釈するかという点においては,最後は頭脳戦ということになるでしょう。
4 刑事裁判の判決は拘束力がないのか
もちろん,被告人自身が二度と処罰を受けないなどといった拘束力はあります。
しかし,刑事裁判で無罪となったことは,民事裁判では必ずしも確実な拘束力はありません。それは,3で記載したとおり,事実認定に対する証明方法の違いがあるからです。
この辺は,裁判テクニックの問題なので,話が難しくなります。
ただ,通常は,刑事裁判で無罪となれば,無罪を前提に民事裁判でも審理を進めることになります。
5 刑事裁判と民事裁判は一緒にできないのか
以上のように手続が違うので,一緒にできません。
ただ,最近法律が変わって,刑事裁判の中で被害者に示談をすることができるようになりました。つまり,刑事裁判の中で,和解という民事裁判的行為ができるようになったのです。
6 沖田さんは控訴した
今後,この民事裁判は高裁で審理が続きます。はたして,どのような判決になるのかは,現段階では神のみぞ知る状態です。
更に言うと,真実は沖田さんと被害女性だけが知っているということになります。
7 今後裁判員制度が導入されると,この問題はもっと発生しうる
裁判員制度が導入されると,事実認定は一般人の人が行います。もちろん,刑事裁判である以上厳格な証拠に基づいて事実認定を行うという基本姿勢は変わりませんが,事実認定になれていない一般人の場合,どこまで真実に近づけるかどうかは正直私にも分かりません。
ただ,前述のOJシンプソン事件のように,裁判戦術如何によっては,真実と異なる評決となる可能性もあり得ます。
そう考えると,今後裁判員制度の導入により,民事と刑事の乖離判決は増えるのではないかという懸念もあります。
そうすると,一体何が真実なのか,分からなくなってしまうかもしれません。
いずれにしても,今回の沖田さんの判決を議論する上では,この辺りを踏まえた上で検討するとよいかと思います。
真実は一つなのですが,現状では真実は2つ発生してしまいます。これを1つにするには,裁判官のたゆまなき努力に委ねるしかないのでしょう。もちろん,上記議論を踏まえて制度を見直すことも当然ありといえるでしょうね。
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http://imprezza-inada-1973.seesaa.net/article/16390493.html
http://blog.livedoor.jp/yononakakoubou/archives/50709761.html
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1837202/detail
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1840593/detail
http://ameblo.jp/kokkeibon/entry-10011719888.html
これに対し,沖田さんは控訴すると共に,この判決についていろんな批判が集まっているようです。
刑事と民事は別物です
そもそも,刑事裁判と民事裁判が全く別である,ということが今ひとつ理解されていないのかなあ,というのが今回の報道をみて感じたことです。
簡単にいえば,刑事裁判は「あいつ犯人だから刑務所に入れてくれ」と検察官が訴える裁判であるのに対し,民事裁判は「金返せ」などと訴える裁判です。そして,前者は犯人とされる被告人の権利を守るため(被告人の無罪推定),さまざまな制約があるのに対し,後者は基本的には当事者双方の言い争いなので,どっちの言い分が妥当かをかなり気楽に(っていうと語弊はありますが)判断するという違いがあります。
他にも,今回の裁判で,議論が錯綜してしまっているため,ここで整理したいと思います。なお,通常は,原告の名前は伏せて書くのですが,今回,沖田さんは実名でマスコミ取材も含めて様々な活動を行っていますので,逆に本人の名誉のことを考え,ここでも実名で記載することにします。
1 今回は,刑事は無罪ではなく,裁判になっていないだけであること
今回の問題は,刑事裁判と民事裁判の乖離ではありません。刑事裁判は起訴されていませんから,判決は出ていないのです。
刑事事件については,検察庁は沖田さんを不起訴としたにすぎません。そして,この不起訴の解釈を沖田さんやマスコミは「無罪」と言っています。ところが,不起訴=無罪とは必ずしもいえないのです。
通常,不起訴の理由として,①嫌疑なし,②嫌疑あるが裁判にするまでもない(起訴猶予),③嫌疑あるが証拠が足らない(公判維持できない)などがあります。そして,検察庁側の見解は,沖田さんの事件については③であると説明しています。
したがって,検察庁としては,あくまでも有罪の心証があったが,証拠がないので泣く泣く起訴できなかったという発想になっています。
よって,必ずしも刑事が無罪という前提は正しいとはいえません。
正しく議論するのであれば,「不起訴となった事件について,民事裁判が事実上有罪認定したことはどうか?」という問題提起になるでしょう。
2 民事裁判と刑事裁判の乖離は結構発生している
実は沖田さん事件以外にも,かなり民事と刑事の乖離は発生しています。別の痴漢裁判においては,刑事裁判で無罪とはっきり判決が出たが,民事裁判では事実上の有罪認定をして請求を認めなかったという今回の裁判に類似した判決が数件出ています。また,痴漢意外には,いわゆる山形マット事件においては,民事と刑事(家裁の少年審判)では全く別の事実認定をしています。
さらには,国外の例として,OJシンプソン事件もあります。これも,刑事(陪審)では無罪となったが,民事では賠償が認められ,事実上有罪認定されています。
このように,民事と刑事での乖離は,かなりあるのです。
3 なぜこのような乖離が発生するのか
簡単に言えば,冒頭にも書きましたとおり「裁判のやり方自体の違い」によります。
刑事裁判は,「被告人無罪推定」が働きます(くわしくはこちらを参照してください)。したがって,被告人を有罪にするためには,事実認定がかなり厳格で,基本的にはすべて証拠がなければ認定できません。極論ですが,例え被告人が全部自白していたとしても,証拠が全くない場合は,被告人は無罪となります(憲法上の規定)。
一方,民事裁判は,「当事者対等」です。したがって,当事者のどちらかが自白すれば,証拠なくして事実認定ができるほか,証拠の出し方や内容についてもかなり自由になっています。
民事裁判は,1対1で自分の権利を求めて戦うものであるため,平たく言えば「K1グランプリ」のようなものです。つまり,極論として,最後は「力のあるものが勝つ」という構造になっています。この力というのが法律ですが,この法律をどう解釈するかという点においては,最後は頭脳戦ということになるでしょう。
4 刑事裁判の判決は拘束力がないのか
もちろん,被告人自身が二度と処罰を受けないなどといった拘束力はあります。
しかし,刑事裁判で無罪となったことは,民事裁判では必ずしも確実な拘束力はありません。それは,3で記載したとおり,事実認定に対する証明方法の違いがあるからです。
この辺は,裁判テクニックの問題なので,話が難しくなります。
ただ,通常は,刑事裁判で無罪となれば,無罪を前提に民事裁判でも審理を進めることになります。
5 刑事裁判と民事裁判は一緒にできないのか
以上のように手続が違うので,一緒にできません。
ただ,最近法律が変わって,刑事裁判の中で被害者に示談をすることができるようになりました。つまり,刑事裁判の中で,和解という民事裁判的行為ができるようになったのです。
6 沖田さんは控訴した
今後,この民事裁判は高裁で審理が続きます。はたして,どのような判決になるのかは,現段階では神のみぞ知る状態です。
更に言うと,真実は沖田さんと被害女性だけが知っているということになります。
7 今後裁判員制度が導入されると,この問題はもっと発生しうる
裁判員制度が導入されると,事実認定は一般人の人が行います。もちろん,刑事裁判である以上厳格な証拠に基づいて事実認定を行うという基本姿勢は変わりませんが,事実認定になれていない一般人の場合,どこまで真実に近づけるかどうかは正直私にも分かりません。
ただ,前述のOJシンプソン事件のように,裁判戦術如何によっては,真実と異なる評決となる可能性もあり得ます。
そう考えると,今後裁判員制度の導入により,民事と刑事の乖離判決は増えるのではないかという懸念もあります。
そうすると,一体何が真実なのか,分からなくなってしまうかもしれません。
いずれにしても,今回の沖田さんの判決を議論する上では,この辺りを踏まえた上で検討するとよいかと思います。
真実は一つなのですが,現状では真実は2つ発生してしまいます。これを1つにするには,裁判官のたゆまなき努力に委ねるしかないのでしょう。もちろん,上記議論を踏まえて制度を見直すことも当然ありといえるでしょうね。
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