北海道砂川市が,市有地を神社に無償提供したことが憲法で定める政教分離の原則に反するとして神社の撤去などを求めた住民訴訟について,最高裁は,市有地を神社に無償提供したことは憲法89条等に違反すると認定し,ただし違憲状態の解消方法についての審理が不十分であるとして札幌高裁に差し戻す判決をしました。
神社への市有地無償提供に違憲判決 最高裁(朝日新聞) - goo ニュース
全国にこうした神社は1000以上ありますから,これから大変かも
今回の判決,ものすごくざっくりいうと次のとおりです。
1 砂川市が空知太神社(ただし宗教法人としての神社ではなく,住民らが氏子などになっている団体)に土地を無償提供した。
2 空知太神社では,年数回,神主がいろいろ活動する例大祭などパッと見神道行事が行われている。
3 裁判所としては,憲法の政教分離の判断基準として,一般人基準(宗教施設の性格や無償提供の経緯と態様,これに対する一般人の評価などを考慮し,社会通念に照らして総合的に判断する)を用いて考えることにしよう。
4 本件で3の基準を当てはめると,神社で神道みたいなことをやる氏子集団がいれば,そりゃあ一般人は「宗教活動だよね」って思うだろうし,そこにただで土地をあげたとすれば,神社という宗教に特別の便宜を図り,援助しているとしか思えないだろう。だからこりゃ違憲。
5 でも,「違憲だから即神社撤去」ていうのはどうなの?この点,違憲状態を解消するにはいろんな方法があるけど,その点について高裁で審理してないよね。だから,違憲状態の解消方法について札幌高裁でもう一度考えておいで。
大雑把にこんな感じです。実際の判決文はもっと大量にありますし,補充意見や反対意見もあるなど,結構読み応えのある内容になっています。
今回の判決の特徴は,これまで政教分離判断ではベタ基準といわれた「目的効果基準」を正面切って使わず,一般人基準で判断したということです。ただし,決して判例変更という訳ではありません。結局,これまで目的効果基準は,いわば「一般人基準を導くための基準」でしたので,むしろこれまでの判例路線を継承していると言えるのです。ただ,今回は目的効果基準を用いずに,単に総合判断というざっくりくくりにしたのです。
もっとも,この判決,仮に目的効果基準を用いたとしても,おそらく同様の違憲判断になったものと思われます。すなわち,「行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になる」という基準であるところ,本件では,神社が宗教法人であるか否かに関係なく,普段の活動を踏まえると宗教団体といえるといえ,そのうえで,土地の無償譲渡で神社の建設や神社の活動を容易にするということになり,結果神社に対する援助や助成になるといえるという当てはめになるものと思われます。
それを今回あえて目的効果基準を採らなかった理由は何でしょうか?これは推測ですが,おそらく,最高裁は,「今後はレモンテスト並の厳格な基準にシフトしようかなあ」っていう判断基準自体を厳格モードにしていこうという意思表明だったのかもしれません。言い方を変えると,「全国的にあるなあなあな状態については,これから訴えが来たら厳しくみますよ」という警鐘であったのかもしれません。
ただ,この審理,高裁に差し戻されます。もちろん,ここで合憲にすることはほぼあり得ないでしょうが,ここでは,「より現実的な違憲状態の解消方法」について審理されます。おそらく,「神社を壊すのはさすがにやりすぎでしょう」ということから,「お金で解決したらどうなの」という形での解決策を検討していくものと推測されます。この辺りは,市がどういう主張をするか,注目です。
しかし,全国には今回の裁判同様に市町村が神社等に土地を無償提供しているところが1000カ所以上あるようです。しかも,今回同様,すべて宗教法人ではなく,自然発生的神社も含まれているようです。もちろん,この違憲判決の効果がすべての神社に及ぶわけではありませんが,妥当性も含めてあり方の見直し等という動きが出てくるかもしれません。そうなると,全国的な混乱も予想されるところです。
「昔からこうだから」とか「神社っていっても宗教っぽくないから」などという言い分が通らない時代に入ったと言えるのでしょうね。今回,最高裁は,こうした「なあなあの解消」に警鐘を鳴らしたといえるかもしれません。つまり,「神社の事業仕分け」判決だったのかもしれません。
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神社への市有地無償提供に違憲判決 最高裁(朝日新聞) - goo ニュース
全国にこうした神社は1000以上ありますから,これから大変かも
今回の判決,ものすごくざっくりいうと次のとおりです。
1 砂川市が空知太神社(ただし宗教法人としての神社ではなく,住民らが氏子などになっている団体)に土地を無償提供した。
2 空知太神社では,年数回,神主がいろいろ活動する例大祭などパッと見神道行事が行われている。
3 裁判所としては,憲法の政教分離の判断基準として,一般人基準(宗教施設の性格や無償提供の経緯と態様,これに対する一般人の評価などを考慮し,社会通念に照らして総合的に判断する)を用いて考えることにしよう。
4 本件で3の基準を当てはめると,神社で神道みたいなことをやる氏子集団がいれば,そりゃあ一般人は「宗教活動だよね」って思うだろうし,そこにただで土地をあげたとすれば,神社という宗教に特別の便宜を図り,援助しているとしか思えないだろう。だからこりゃ違憲。
5 でも,「違憲だから即神社撤去」ていうのはどうなの?この点,違憲状態を解消するにはいろんな方法があるけど,その点について高裁で審理してないよね。だから,違憲状態の解消方法について札幌高裁でもう一度考えておいで。
大雑把にこんな感じです。実際の判決文はもっと大量にありますし,補充意見や反対意見もあるなど,結構読み応えのある内容になっています。
今回の判決の特徴は,これまで政教分離判断ではベタ基準といわれた「目的効果基準」を正面切って使わず,一般人基準で判断したということです。ただし,決して判例変更という訳ではありません。結局,これまで目的効果基準は,いわば「一般人基準を導くための基準」でしたので,むしろこれまでの判例路線を継承していると言えるのです。ただ,今回は目的効果基準を用いずに,単に総合判断というざっくりくくりにしたのです。
もっとも,この判決,仮に目的効果基準を用いたとしても,おそらく同様の違憲判断になったものと思われます。すなわち,「行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になる」という基準であるところ,本件では,神社が宗教法人であるか否かに関係なく,普段の活動を踏まえると宗教団体といえるといえ,そのうえで,土地の無償譲渡で神社の建設や神社の活動を容易にするということになり,結果神社に対する援助や助成になるといえるという当てはめになるものと思われます。
それを今回あえて目的効果基準を採らなかった理由は何でしょうか?これは推測ですが,おそらく,最高裁は,「今後はレモンテスト並の厳格な基準にシフトしようかなあ」っていう判断基準自体を厳格モードにしていこうという意思表明だったのかもしれません。言い方を変えると,「全国的にあるなあなあな状態については,これから訴えが来たら厳しくみますよ」という警鐘であったのかもしれません。
ただ,この審理,高裁に差し戻されます。もちろん,ここで合憲にすることはほぼあり得ないでしょうが,ここでは,「より現実的な違憲状態の解消方法」について審理されます。おそらく,「神社を壊すのはさすがにやりすぎでしょう」ということから,「お金で解決したらどうなの」という形での解決策を検討していくものと推測されます。この辺りは,市がどういう主張をするか,注目です。
しかし,全国には今回の裁判同様に市町村が神社等に土地を無償提供しているところが1000カ所以上あるようです。しかも,今回同様,すべて宗教法人ではなく,自然発生的神社も含まれているようです。もちろん,この違憲判決の効果がすべての神社に及ぶわけではありませんが,妥当性も含めてあり方の見直し等という動きが出てくるかもしれません。そうなると,全国的な混乱も予想されるところです。
「昔からこうだから」とか「神社っていっても宗教っぽくないから」などという言い分が通らない時代に入ったと言えるのでしょうね。今回,最高裁は,こうした「なあなあの解消」に警鐘を鳴らしたといえるかもしれません。つまり,「神社の事業仕分け」判決だったのかもしれません。
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あぐらをかいていた神社も悪いですが、
宗教もが、ネオリベラリズム(市場至上主義)が良いとする判決であるならば、許せないことです。
同じ、北海道ですが、私の町も該当するであろう事例が数件あります今まで、ほとんど気に留めていなかった自分の勉強不足は、あるものの、開拓された町内のいくつもある集落一つ一つに神社が存在します。(法人格はなく、集落住民が氏子として維持しています)砂川に限らず、各種町村には集落ごと、開拓時に建立されたものがほとんどだと思いますが、北海道だけも、同じような事例は山ほどあると思います。
本州はどうなんでしょうかね。
先の方のコメントのように有償だと判断は別なのでしょうかね。開拓の歴史から憲法などの勉強が必要のように感じました。
少し、アンテナ張ってみようと思っています。
今回の判決は,決して神道以外の宗教の利益のためという感じではないと思われます。
ざっくりいってしまうと,昭和22年に「なんとかしろ」っていう法律ができていたのに,なーんにも手を打たずになあなあにしていたのがけしからん,っていう意味合いが強いという感じがします。
一部論者が宗教論からの判決の是非を展開していますが,最高裁は実は,論者がいうほど深い宗教論を論じているわけではないっていう感じがしました。
有償で提供されたとすれば,昭和22年の法律どおり処理したといえますので,ものすごく安かったとしても問題なしということになったと思います。
これまでの政教分離事件との違いは,「宗教行為か否か」という論点が,実はそんなに問題になっていない(もちろん重要論点ではあるのですが)っていう点ではなく,「やるべきことをやっていない」っていう点にあるのかな,と私は分析しています。
今回の判決で注目されるのは,「宗教法人でない,いわば自然発生的神社」とて憲法20条の宗教に該当すると判断した点です。ざっくりいうと,「パッと見神社なら,みんな神社って認識するから,宗教」っていうことになるという認定です。
この認定の是非はともかく,既にコメントしたように,戦前からのなあなあの部分は法律で解消するように規定しながらそれを怠っていたことはけしからん,っていうのがこの判決の意味合いだと思います。
近年,あらゆる業界(政治の世界も含め)で,「昔からこうやっている」っていう手法を批判し,否定する風潮が強いため,その流れが地縁神社などにも派生してきている,と考えるといいのかもしれません。
もっというと,こうした地縁団体的神社の運営のあり方自体にも疑義が生じ始めている神社や集落も増えつつあるようです(神社会計が不明確であるとか,氏子代表の決め方が非民主的だなど。昔なら,「そんなの当然」っていう話だったのかもしれませんが・・。)。
個人的には,神社の宗教性云々よりも,「地域コミュニティを形成発展するために何が必要なのか」っていうことも考慮する必要があるのではと考えています。そういう意味では,地縁団体的神社の役割も良い意味で見直す時期に来ているのかもしれません。例えば,祭りの役割一つについても,考え出すと深い話がたくさんあると思います。
だいぶ話がそれてしまいましたが,神社っていろいろ調べてみるとおもしろい点がかなりあります。例えば神社にある石碑を読む旅,みたいなことすると,地域の歴史が分かるなど宗教抜きで結構楽しめます。
どちらかといえば,地域社会の伝統と宗教の切り分けがあいまいだったところを,徐々に明確にしていこうっていう感じかもしれません。
ただし,何も神道に限った話ではないと思います。お稲荷さんとかお地蔵さん,観音様などもありますから,こうしたものも「宗教といえるの,それとも地域伝統なの」っていうことをはっきりさせていこうっていうところかもしれません。
徐々にあいまいをゆるさない日本になりつつあるので,仕方ないでしょうね。
同じような事例があり
神社に対して公有地を無償の払い下げしたので
無償の払い下げは違憲なのではないのかという訴訟だったそうです
判決は合憲
違憲状態の解消の手段として無償払い下げは妥当だと判断されたようです
神社への無償払い下げ(っていうか贈与)は,事案によってはありかもしれません。それが神社に特別な便宜を図ったと思われない状態ならいいわけですから。
今回の事例の場合も,過去のいきさつを考えると,無償譲渡という選択肢もありうるかもしれませんね。
戦前、神社の土地は公有地化されていたという経緯も取り上げるべきだと思います
戦前の神道については,「神社は宗教に非ず」という姿勢でしたから,当然神社に対して公有地化されてしかりという感じでした。
なので,さまざまな検討過程の一つとして公有地だったことを材料にすることはいいかもしれませんが,「だから戦後の今だって公有地化でいいんだ」っていう論法で乗り切ろうとすれば,少々乱暴な議論になってしまうような気がします。
もちろん,社会的地域的事情を加味する必要がありますから,「戦前と戦後は意味が違う」ということだけで片づけるのも乱暴な議論になってしまうでしょう。