いよいよ裏街道に入ります。
第2 実際には道路の大きさはどうやって決まるか(裏街道)
1 すべての道は「補助金」に通じる
建前論としては,予定道路の性格や規模が補助金の趣旨に合致すれば,はじめて「補助対象事業」として補助金の申請が可能となります。
しかし,実際は全く逆で,まず「補助対象事業に合致した道路」を地図上に落としてから道路工事の計画を造るのです。すなわち「補助ありき」道路なのです。
当然,補助対象事業に合致した道路ということは,道路構造令の種別や級も指定されるため,それに見合う道路ということになります。そして,種別や級は前述のとおり,場所と用途と通行量で決まります。
とすると,「1日利用予定台数」の算出についても,本来的な事情(地理的条件や社会的条件)から算出するのではなく,「まず結論ありき」の数字が出ており,それを理屈づけるために本来的な事情を後追いで付け足していくのです。
こうやって,「完全なる逆回転」で道路の計画が出来上がるのです。
2 立派すぎる道路
逆回転で道路計画ができますから,多くの場合,結果的に「不釣り合いな道路」が完成します。これが批判の矛先になる道路なのです。
しかし,議会説明の際は,「交通量を算出したらこれだけになった。だから,道路構造令に基づいてこんな規模の道路を造った。文句あるか。」で済みます。一応理屈がとおるからです。ところが,実際は逆回転で道路を造っているため,そんなに交通量があるはずがないのです。その際の議会説明は,「当初見込みほど交通量が伸びなかった。だけど,これから需要が見込まれるから決して無駄ではない。そもそも,道路構造令どおり造っているから,無駄じゃないんだ。」と言ってそれでおしまいです。
こうして,「誰も通らない立派な道路」が完成してしまうのです。
3 首都高の亡霊
立派な道路を造っているという批判に対して,必ず出される反論が「首都高はオリンピックに備えて当時の基準を下げてまで無理矢理造ってしまった。だから,今渋滞が起こっている。こういう問題を防ぐためにも,道路は余力を持たせるべきである。また,景観や環境に配慮する必要もある。」というものです。
確かに,これを言われると,「将来のためには良いものを造るべし」というのが計画的なまちづくりであるといえそうです。
私はこれを「首都高の亡霊」と呼んでいます。この亡霊に取り憑かれた人たちは皆声を大にして,「高規格道路建設だ」と主張しています。ところが,これは実は「論理のすり替え」に過ぎないのです。
確かに,首都高建設において,規格ダウンは失策でしたし,渋滞の原因の一部は設計ミスにあることは事実です。しかし,それは「早く安く造る」という観点を優先してしまったためであり,想定交通量の推計をおざなりにしてしまったからなのです。いわば,首都高も当時の事情に基づく「逆回転道路」だったのです。
とすると,日本全国すべての道路が,すべて数十年後に渋滞が発生するというわけではなく,むしろ「客観的中立的な観点から適正な想定交通量」を推計して道路を造るという原則論どおり設計すれば,この亡霊は発生しないのです。
もちろん,それでも推計ミスは起こると思いますが,少なくとも「逆回転道路」よりは確実に「ここは大きい,ここは小さい」が正確に造れるのです。道路構造令もそうした事情を配慮して規定されているのです。
「首都高の亡霊」を錦の御旗にすることが,無駄な規模の道路が増える要因にもなっているのです。
4 融通の利かない道路構造令
ここまで読まれた方で,ある疑問にぶち当たった方がいるのではないでしょうか。それは,「道路構造令ってそんなに厳格なものなの?」という点です。
結論から言いますと,これを守らなくても道路としては成立します。ただ,補助金がもらえないなどのデメリットがあるだけです。
ところが,これまでの裏街道の説明どおり,補助金がほしいというのが本音にあるため,この規定に道路を併せざるを得ません。一方で,道路構造令の基準は全国一律になります。ここに道路構造令の弊害が発生するのです。
すなわち,「地域の特性に応じた道路が造れない」ということになるのです。例えば,地方の道路の場合でも,高速道路と一般道路とでは規格が大きく異なります。ところが,想定通行量が同じであれば,何も完全に同じにする必要はないのです。新幹線でも「ミニ規格」ができたように,高速道路でも「ミニ規格」を造っても通行量的には問題がないのですし,事業費も大幅に削減できます。また,想定通行量も細かく分析すると全線で同じになるわけではないため,場所に応じては例えば「1.5車線」も容認するなど柔軟性を持たせれば,その分の事業費も節約できます。当然,想定交通量を踏まえているため,渋滞も起こりにくいのです。なによりも,想定通行量の自動車が十分に走れるのであれば,地域の活性化にも大きく貢献できるはずなのです。
ところが,現状では「高速道路はこれ,一般道ならこれ」と完全に方が決められてしまいます。結果,建前を守るための費用がかさみ,総事業費が増加してしまうということが実際にあるのです。
もちろん,道路構造令の役割は道路の安定供給にあるため大変重要であることは承知していますが,一方で「地域の特性に応じた柔軟な対応」も可能にする必要があるといえるでしょう。
5 返せない補助金
補助金制度についても,実はいろんな問題があります。
その中で,一番痛いのが,「補助金を返してはいけない」という闇ルールです。
「あれ,さっきの表街道では余ったら返すといったじゃないか」というつっこみが聞こえてきそうですが,ここがまさに本音と建て前なのです。
確かに,補助金は流用禁止なので,余ったら返すのがセオリーです。しかし,実は,国(財務省)としては,「一度交付した金が戻ってくる」ことを異様なまでに嫌います。理由は様々ですが,「査定が甘い」と評価されるのがこまるというところが大きいです。
そうした裏事情もあり,補助金返還は断固拒否してくるのです。すると,地方自治体としては,補助金を使うためにやむなく「工事の距離を伸ばす」か「グレードアップする」かの二者択一の選択に迫られるのです。
結果,後々「無駄だったよねえ」と揶揄される道路となってしまうのです。
第3 本日のまとめ
無駄な道路と言われるもう一つの理由である「立派な道路」,これは補助金ありきの「逆回転道路計画」による場合と,「形式的すぎる道路構造令」による場合が大半なのです。特に「逆回転道路」は完全に邪道なので,原則どおり正確な利用推計を算出するという点から道路規模を算出することが無駄を減らす第一歩であるといえます。また,地域の特性の即した道路を造れるようにする必要があることが無駄を省く原点といえます。
当然,道路の計画が出た場合は,この想定通行量が本当に妥当なのか,後付の理由ではないのかなどを議会で厳しくチェックをするほか,住民にも情報公開をするなどしてあらゆる視点からチェックをするということが求められると言えるでしょう。いわば,私たち1人1人がお目付役となるのです。
ただし,「首都高の亡霊」にはくれぐれもだまされないように。
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第2 実際には道路の大きさはどうやって決まるか(裏街道)
1 すべての道は「補助金」に通じる
建前論としては,予定道路の性格や規模が補助金の趣旨に合致すれば,はじめて「補助対象事業」として補助金の申請が可能となります。
しかし,実際は全く逆で,まず「補助対象事業に合致した道路」を地図上に落としてから道路工事の計画を造るのです。すなわち「補助ありき」道路なのです。
当然,補助対象事業に合致した道路ということは,道路構造令の種別や級も指定されるため,それに見合う道路ということになります。そして,種別や級は前述のとおり,場所と用途と通行量で決まります。
とすると,「1日利用予定台数」の算出についても,本来的な事情(地理的条件や社会的条件)から算出するのではなく,「まず結論ありき」の数字が出ており,それを理屈づけるために本来的な事情を後追いで付け足していくのです。
こうやって,「完全なる逆回転」で道路の計画が出来上がるのです。
2 立派すぎる道路
逆回転で道路計画ができますから,多くの場合,結果的に「不釣り合いな道路」が完成します。これが批判の矛先になる道路なのです。
しかし,議会説明の際は,「交通量を算出したらこれだけになった。だから,道路構造令に基づいてこんな規模の道路を造った。文句あるか。」で済みます。一応理屈がとおるからです。ところが,実際は逆回転で道路を造っているため,そんなに交通量があるはずがないのです。その際の議会説明は,「当初見込みほど交通量が伸びなかった。だけど,これから需要が見込まれるから決して無駄ではない。そもそも,道路構造令どおり造っているから,無駄じゃないんだ。」と言ってそれでおしまいです。
こうして,「誰も通らない立派な道路」が完成してしまうのです。
3 首都高の亡霊
立派な道路を造っているという批判に対して,必ず出される反論が「首都高はオリンピックに備えて当時の基準を下げてまで無理矢理造ってしまった。だから,今渋滞が起こっている。こういう問題を防ぐためにも,道路は余力を持たせるべきである。また,景観や環境に配慮する必要もある。」というものです。
確かに,これを言われると,「将来のためには良いものを造るべし」というのが計画的なまちづくりであるといえそうです。
私はこれを「首都高の亡霊」と呼んでいます。この亡霊に取り憑かれた人たちは皆声を大にして,「高規格道路建設だ」と主張しています。ところが,これは実は「論理のすり替え」に過ぎないのです。
確かに,首都高建設において,規格ダウンは失策でしたし,渋滞の原因の一部は設計ミスにあることは事実です。しかし,それは「早く安く造る」という観点を優先してしまったためであり,想定交通量の推計をおざなりにしてしまったからなのです。いわば,首都高も当時の事情に基づく「逆回転道路」だったのです。
とすると,日本全国すべての道路が,すべて数十年後に渋滞が発生するというわけではなく,むしろ「客観的中立的な観点から適正な想定交通量」を推計して道路を造るという原則論どおり設計すれば,この亡霊は発生しないのです。
もちろん,それでも推計ミスは起こると思いますが,少なくとも「逆回転道路」よりは確実に「ここは大きい,ここは小さい」が正確に造れるのです。道路構造令もそうした事情を配慮して規定されているのです。
「首都高の亡霊」を錦の御旗にすることが,無駄な規模の道路が増える要因にもなっているのです。
4 融通の利かない道路構造令
ここまで読まれた方で,ある疑問にぶち当たった方がいるのではないでしょうか。それは,「道路構造令ってそんなに厳格なものなの?」という点です。
結論から言いますと,これを守らなくても道路としては成立します。ただ,補助金がもらえないなどのデメリットがあるだけです。
ところが,これまでの裏街道の説明どおり,補助金がほしいというのが本音にあるため,この規定に道路を併せざるを得ません。一方で,道路構造令の基準は全国一律になります。ここに道路構造令の弊害が発生するのです。
すなわち,「地域の特性に応じた道路が造れない」ということになるのです。例えば,地方の道路の場合でも,高速道路と一般道路とでは規格が大きく異なります。ところが,想定通行量が同じであれば,何も完全に同じにする必要はないのです。新幹線でも「ミニ規格」ができたように,高速道路でも「ミニ規格」を造っても通行量的には問題がないのですし,事業費も大幅に削減できます。また,想定通行量も細かく分析すると全線で同じになるわけではないため,場所に応じては例えば「1.5車線」も容認するなど柔軟性を持たせれば,その分の事業費も節約できます。当然,想定交通量を踏まえているため,渋滞も起こりにくいのです。なによりも,想定通行量の自動車が十分に走れるのであれば,地域の活性化にも大きく貢献できるはずなのです。
ところが,現状では「高速道路はこれ,一般道ならこれ」と完全に方が決められてしまいます。結果,建前を守るための費用がかさみ,総事業費が増加してしまうということが実際にあるのです。
もちろん,道路構造令の役割は道路の安定供給にあるため大変重要であることは承知していますが,一方で「地域の特性に応じた柔軟な対応」も可能にする必要があるといえるでしょう。
5 返せない補助金
補助金制度についても,実はいろんな問題があります。
その中で,一番痛いのが,「補助金を返してはいけない」という闇ルールです。
「あれ,さっきの表街道では余ったら返すといったじゃないか」というつっこみが聞こえてきそうですが,ここがまさに本音と建て前なのです。
確かに,補助金は流用禁止なので,余ったら返すのがセオリーです。しかし,実は,国(財務省)としては,「一度交付した金が戻ってくる」ことを異様なまでに嫌います。理由は様々ですが,「査定が甘い」と評価されるのがこまるというところが大きいです。
そうした裏事情もあり,補助金返還は断固拒否してくるのです。すると,地方自治体としては,補助金を使うためにやむなく「工事の距離を伸ばす」か「グレードアップする」かの二者択一の選択に迫られるのです。
結果,後々「無駄だったよねえ」と揶揄される道路となってしまうのです。
第3 本日のまとめ
無駄な道路と言われるもう一つの理由である「立派な道路」,これは補助金ありきの「逆回転道路計画」による場合と,「形式的すぎる道路構造令」による場合が大半なのです。特に「逆回転道路」は完全に邪道なので,原則どおり正確な利用推計を算出するという点から道路規模を算出することが無駄を減らす第一歩であるといえます。また,地域の特性の即した道路を造れるようにする必要があることが無駄を省く原点といえます。
当然,道路の計画が出た場合は,この想定通行量が本当に妥当なのか,後付の理由ではないのかなどを議会で厳しくチェックをするほか,住民にも情報公開をするなどしてあらゆる視点からチェックをするということが求められると言えるでしょう。いわば,私たち1人1人がお目付役となるのです。
ただし,「首都高の亡霊」にはくれぐれもだまされないように。
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>「1日利用予定台数」の算出についても~(中略)~
>本来的な事情を後追いで付け足していくのです。
やってました。
「官庁(=議員様)の事情優先のウソの交通量推計」。
「A交差点からB交差点の平成20年(交通量)、○万台にしたらどなうなる」
なんて電話をしたりうけたり。
当時は新入社員だったので、それがなにを意味するかまでは分からず、
上司のオウムでしかありませんでしたが(笑)。
もう15年以上前ですが、未だにその道は出来ていないような気がします。
いやあ,結構後付の調査結果をコンサルに押し付けるという事例も多いみたいですね。
でも,後付だと結局どこかでほころびが出ますから,事業が進まない場合も多いんですよね。
本当に必要か、有効か、という視点でやれないのはやはり、裏に利権とかエゴイズムがあるからでしょうね。
道路に限りませんが,結構「結論ありき」の公共事業は多いですよね。特に,「首長公約だから絶対やる」という事業になると,どんな後付理論を使ってでも事業を実施しますし,ひどいときは法令上の制限すら無理矢理回避しようとすることもあります。
ボトムアップで事業の必要性の有無を判断するのが本来的だと思うのですがねえ。